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 | | 大林 芳五郎(1864〜1916) | 難工事を次々完遂、近代土木建築業の基盤築く ・ 西洋式土木建築の将来性に着目し、呉服商から転身 ・ 数々の大規模工事を完遂し、社会的信用を確立する ・ 不屈の精神で生駒山トンネル工事を完成 | | 【主な関連企業】株式会社大林組 | | 【出身地】大阪府 |
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 | | 竹中 藤右衛門(14代)(1877〜1965) | 作品第一主義で建築界の発展に尽くす ・ 「最大たるより、最良たれ」を基本に、作品第一主義を貫く ・ 新しい建築方法の開発・導入に注力し、「技術の竹中」を確立する ・ 建築界・建築文化の発展に貢献する | | 【主な関連企業】株式会社竹中工務店 | | 【出身地】愛知県 |
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 | 辰野 金吾(1854〜1919)※写真上
片岡 安(1876〜1946)※写真下 | 建築設計と都市計画で近代都市・大阪をつくる ・ 建築設計の第一人者・辰野金吾、大阪に進出する ・ 大阪の街の顔つくった辰野と片岡の近代建築 ・ 事業家としても都市計画を実践 | | 【主な関連企業】大阪商工会議所 | | 【出身地】 辰野 金吾:佐賀県 / 片岡 安:石川県 |
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 | | 武田 長兵衞(5代)(1870〜1959) | 研究開発体制をいち早く整備し、新薬開発に果敢に挑戦 ・ 洋薬取扱いベースに、新薬研究体制を整備し、製薬事業に本格進出 ・ 赤字覚悟で新薬開発に取り組み、医薬品メーカーとしての基礎を築く ・ 国内外で薬草園を開設し、原料確保と品質向上に努める | | 【主な関連企業】武田薬品工業株式会社 | | 【出身地】大阪府 |
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 | | 田邊 五兵衞(12代)(1849〜1921) | 優れた化学薬品で産業の発展に貢献、製薬メーカーへの基礎つくる ・ 西洋医学普及の動きを察知し、和漢薬から洋薬に転換 ・ 清酒用防腐剤サリチル酸を輸入し、酒造家の絶賛を浴びる ・ 良質の水銀製剤を生産し、養蚕や造船業発展にも貢献
| | 【主な関連企業】田辺三菱製薬株式会社 | | 【出身地】大阪府 |
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 | | 塩野 義三郎(初代)(1854〜1931) | 産学共同で新薬開発し、直接ユーザーに訴える手法で販路開拓 ・ 低廉な洋薬提供めざし、直輸入を開始する ・ 産学共同で新薬開発、新しい手法で販路開拓 ・ 製薬メーカーへの転換果たし、経営の近代化を推進 | | 【主な関連企業】塩野義製薬株式会社 | | 【出身地】大阪府 |
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 | | 藤澤 友吉(初代)(1866〜1932) | 「樟脳」の成功ベースに、果敢に新薬メーカーへ ・ 特色ある薬種商をめざし、樟脳の精製・販売に着手する ・ 決断に富む宣伝戦略で樟脳の普及を推進 ・ 製薬国産化の動きをうけて、製薬事業への転換を決断する | | 【主な関連企業】アステラス製薬株式会社 | | 【出身地】三重県 |
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 | | 森下 博(1869〜1943) | 斬新な広告宣伝で「仁丹」を世界に広める ・ 社会に役立つ事業として薬業を選び、長寿商品「仁丹」を生み出す ・ 斬新な販売と広告宣伝を展開 ・ 世界の「仁丹」として、外貨獲得に貢献する | | 【主な関連企業】森下仁丹株式会社 | | 【出身地】広島県 |
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 | | 上山 英一郎(1862〜1943) | 除虫菊栽培の普及に尽くし、蚊取線香の開発に成功する ・ 外貨獲得策として除虫菊栽培を奨励、貧困に苦しむ農民に仕事を与える ・ 長時間使用可能な渦巻型蚊取線香を発明 ・ 除虫菊を世界各国に輸出。業界No.1をめざし「金鳥」をブランド名に | | 【主な関連企業】KINCHO(大日本除虫菊株式会社) | | 【出身地】和歌山県 | 【開発商品】蚊取線香パッケージ、線香(大正〜昭和初期)
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 | | 小林 一三(1873〜1957) | 一般大衆の心をとらえ、私鉄多角経営のモデルを確立 ・ 沿線の住宅地開発を着想し、頓挫寸前の鉄道計画を甦らせる ・一般大衆の心をとらえる娯楽サービスを相次ぎ事業化 ・市民の生活スタイル変えたわが国初のターミナルデパート | | 【主な関連企業】阪急阪神東宝グループ | | 【出身地】山梨県 |
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 | | 今西 林三郎(1852〜1924) | 都市間連絡電車と郊外住宅開発の先駆け ・ 大都市間を連絡する高速電気鉄道をいち早く開通させる ・わが国私鉄の中で最初に沿線の住宅開発に着手する ・集客施設を沿線に配置、私鉄経営の先駆的モデルとなる | | 【主な関連企業】阪神電気鉄道株式会社 | | 【出身地】愛媛県 |
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 | (1874〜1939) | 大阪ー京都間の高速大量輸送を実現、沿線の枠を超えた広域的な事業を展開 ・ 大阪〜京都間に平行して2本の鉄道を敷き、両都市間の輸送力を強化する ・沿線の開発を手がけ、事業拡大と収益増加を図る ・沿線の枠を超えて広域的な事業展開を推進 | | 【主な関連企業】京阪電気鉄道株式会社 | | 【出身地】山口県 |
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 | | 大塚 惟明(1864〜1928) | 斬新な旅客サービスと電化推進でわが国初の純民間鉄道を育てる ・山陽鉄道・讃岐鉄道で斬新なサービスを展開、「旅客吸収策の天才」と呼ばれる ・中長距離蒸気鉄道の電化と競合路線の併合により輸送力を強化する ・鉄道輸送に限定した事業方針を改め、新規事業に乗り出す | | 【主な関連企業】南海電気鉄道株式会社 | | 【出身地】熊本県 |
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 | | 金森 又一郎(1873〜1937) | 開業の試練乗り越え、「大和・河内から伊勢・名古屋への一大鉄道網」の夢実現 ・ 社運を賭けた生駒トンネル工事を不屈の精神で完遂する ・会社再建を果たし、日本一の私鉄路線網を形成する ・鉄道事業の進展に合わせて不動産事業、旅客誘致施設の拡大はかる | | 【主な関連企業】近畿日本鉄道株式会社 | | 【出身地】大阪府 |
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 | | 久保田 権四郎(1870〜1959) | 鋳鉄管と産業機械の技術革新に情熱注ぐ ・ 鋳鉄管製造技術の革新通じて生活インフラ整備に貢献 ・鉄管需要激減から、産業用機械の製造に進出。 自動車製造も ・鋳鉄管の直鋳技術にも挑戦 | | 【主な関連企業】株式会社クボタ | | 【出身地】広島県 |
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 | | 山岡 孫吉(1888〜1962) | 「燃料報国」をモットーにディーゼル王国を築く ・石油発動機で農業の近代化を推し進める ・世界で初めて小形ディーゼルエンジンの開発に成功する ・優れた宣伝企画力でディーゼルエンジンの普及に努める | | 【主な関連企業】ヤンマー株式会社 | | 【出身地】滋賀県 | 【開発商品】世界初の小形・水冷・横形4サイクルエンジン(500kg)
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 | | 栗本 勇之助(1875〜1948) | 法曹界を出て一大鉄管メーカーを築くと共に、大阪工業会の基礎を作る ・ 弁護士の道を捨て、鉄管製造にチャレンジする ・最新技術に対するこだわりと30年をかけた技術開発 ・大阪工業会を設立し、工業界の仕掛人として活躍 | | 【主な関連企業】株式会社栗本鐵工所 | | 【出身地】和歌山県 |
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 | | 中山 悦治(1883〜1951) | 薄鉄板製造からスタートして、銑鋼一貫メーカーへ ・ 労働者供給請負業から転身、亜鉛鉄板の生産で名声を博す ・薄鉄板製造で業界に旋風を起こす ・独力で溶鉱炉を建設し、銑鋼一貫体制を完成 | | 【主な関連企業】株式会社中山製鋼所 | | 【出身地】福岡県 |
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 | E.H.ハンター(1843〜1917)※写真上
範多 竜太郎(1871〜1936)※写真下 | 父子2代でわが国造船技術向上に貢献 ・ 海に囲まれた日本の造船業の将来性に着目し、洋式造船所を導入 ・ 経営の再建と先駆的な建造実績の蓄積 ・ 範多竜太郎による経営刷新と大型船建造技術の移入 | | 【主な関連企業】日立造船株式会社 | | 【出身地】 E.H.ハンター:英国 範多 竜太郎:兵庫県 |
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 | | 椿本 説三(1890〜1966) | チェーンとコンベヤで動力伝達と搬送を革新 ・町工場を買収して自転車用チェーンの製造に挑む ・機械用チェーンに転換、新しい伝動装置をわが国にもたらす ・高度成長期とともに、チェーンとコンベヤの用途を拡大 | | 【主な関連企業】株式会社椿本チエイン | | 【出身地】大阪府 |
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 | | 小林 愛三(1889〜1982) | 変圧器と溶接機通じ、産業の生産自動化・能率化に貢献 ・柱上変圧器に特化。専門家、標準化による大量生産でコスト低減をはかる ・柱上変圧器で国内トップメーカーの座へ ・溶接機も手がけ、機械産業の自動化・能率化に貢献する | | 【主な関連企業】株式会社ダイヘン | | 【出身地】兵庫県 |
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 | | 新田 長次郎(1857〜1936) | 工業用革ベルトの発明考案で産業の発展を支える ・工業用革ベルトの製造に成功 ・海外の先進技術を導入し、製革事業の発展に取り組む ・製革で蓄積した技術をもとにゼラチンなど事業を多角化 | | 【主な関連企業】ニッタ株式会社 | | 【出身地】愛媛県 |
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 | | 水野 利八(1884〜1970) | スポーツを生活文化として確立し、その大衆化に力注ぐ ・ 注文生産から量産化へ、選手のアドバイスによる優良商品の開発 ・ 性能とファッション性を重視。徹底したブランド戦略を展開 ・ スポーツイベント創出で、市場の裾野開拓はかる | | 【主な関連企業】ミズノ株式会社 | | 【出身地】岐阜県 |
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 | | 井上 貞治郎(1881〜1963) | 国産段ボールの開発と普及にかける ・ 「なまこ紙」で人生を再起、「段ボール」と名付ける ・不況下の積極経営「きんとま哲学」で業界トップに ・パッケージの主役として、高度成長を支え世界を包む | | 【主な関連企業】レンゴー株式会社 | | 【出身地】兵庫県 |
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 | | 黒田 善太郎(1879〜1966) | 和式帳簿からスタート、事務・オフィス近代化をリード ・ 「買う身になって」をモットーに和式帳簿の生産開始 ・複式簿記普及に合わせ洋式帳簿へ進出 ・総合事務用品・文具メーカーへ | | 【主な関連企業】コクヨ株式会社 | | 【出身地】富山県 |
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 | | 伊藤 喜十郎(1855〜1936) | ゼニアイキ(金銭記録出納機)の開発などオフィス近代化に新風 ・ 発明を奨励し、国内産業の発展と外貨獲得を期する ・ 企業の活動活発化に対応し、事務用品・生活雑貨に着目 ・ 自社オリジナル商品の発明と製造に取り組む | | 【主な関連企業】株式会社イトーキ | | 【出身地】大阪府 |
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 | | 西村 俊一(1915〜1982) | クレパスなど画材の普及で美術教育振興に尽くす ・25歳で社長に就任。販売ルートの整備など手腕を発揮 ・産学共同研究で油絵の具の品質向上 ・美術教育の啓蒙活動に意欲を燃やす | | 【主な関連企業】株式会社サクラクレパス | | 【出身地】京都府 |
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 | | 中山 太一(1881〜1956) | 化粧品産業の近代化とメセナによる社会貢献 ・ 品質は商人の魂…「善良な製品は直に販路を拡める」 ・外国人技術者の招聘による品質の向上と斬新な宣伝活動 ・科学的管理法を導入、関西の能率運動のリーダーとなる | | 【主な関連企業】株式会社クラブコスメチックス 株式会社サロン ド フルベール | | 【出身地】山口県 |
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 | | 市川 銀三郎(1898〜1952) | 魔法瓶の普及に尽くす ・ 輸入魔法瓶に関心持った電球加工職人の弟と製造開始 ・ 「象印」の魔法瓶を世界に売り込む ・ 工業組合設立し、わが国魔法瓶工業の発展はかる | | 【主な関連企業】象印マホービン株式会社 | | 【出身地】愛知県 |
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 | | 田嶋 一雄(1899〜1985) | 創意工夫は無限大 光学技術で世界市場へ ・ ドイツ人とともに起業、その離脱が独創的な商品を生む ・高品質のカメラを世界へ、宇宙へ ・蓄積した光学技術を活かして事業領域を拡大 | | 【主な関連企業】コニカミノルタホールディングス株式会社 | | 【出身地】和歌山県 |
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 | | 島野 庄三郎(1894〜1958) | 自転車部品で世界トップの基礎きずく ・ 「フリーホイールに的をしぼり、輸入品に対抗しうる製品づくりをめざす」 ・ 品質改良へのあくなき努力が「サンドブラスト法」に結実 ・ 業界要職を歴任、自転車産業の振興に力を尽くす | | 【主な関連企業】株式会社シマノ | | 【出身地】大阪府 |
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 | | 鳥井 信治郎(1879〜1962) | 「やってみなはれ」の精神で、国産洋酒のパイオニアに ・ 日本人の味覚に合った「赤玉ポートワイン」を生む ・ 独創的な宣伝でワインの新市場を開拓する ・ 「やってみなはれ」で、国産ウイスキーを生み出す | | 【主な関連企業】サントリー株式会社 | | 【出身地】大阪府 | 【開発商品】赤玉ポートワイン(大正時代)
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 | | 江崎 利一(1882〜1980) | “おいしさと健康”を基本理念に子どもたちを思う心が「グリコ」を生む ・ 牡蠣のエキスを入れた栄養菓子「グリコ」を開発 ・ 赤いパッケージに、ゴールインマーク。キャッチフレーズは「一粒300米(メートル)」 ・ 子どもたちの心身の健康を願って、お菓子と豆玩具をひとつの箱に | | 【主な関連企業】江崎グリコ株式会社 | | 【出身地】佐賀県 | 【開発商品】初期のパッケージ(大正時代)とオマケと愛称されているおもちゃ(昭和初期)
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 | 浦上 靖介(1892〜1966)※写真上
浦上 郁夫(1937〜1985)※写真下 | 日本の家庭料理・カレーライス文化をつくる ・洋食普及にあわせてカレー製造に挑戦 ・街頭での実演販売・試食で、家庭料理としてのカレーを普及 ・多様化する「食」へのニーズに応えて総合食品メーカーへ | | 【主な関連企業】ハウス食品株式会社 | | 【出身地】 浦上 靖介:徳島県 / 浦上 郁夫:大阪府 | 【開発商品】ハウスカレーのパッケージ(昭和初期)
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 | | 鳥井 駒吉(1853〜1909) | 日本人の嗜好にあう初の純国産ビールを製造 ・ビールの将来性に着目し、日本酒醸造から転換 ・“日本のビール”めざし、最新式醸造所を吹田に建設 ・「アサヒビール」ついに誕生、念願の輸出も果たす | | 【主な関連企業】アサヒビール株式会社 | | 【出身地】大阪府 | 【開発商品】アサヒビール(1892年=明治25年頃 大阪麦酒会社)
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 | 吉本 せい(1889〜1950)※写真上
林 正之助(1899〜1991)※写真下 | 大衆演芸を組織化し、“笑い”をビジネスに ・寄席のチェーン展開と芸人の自社専属制を導入(吉本せい) ・漫才に着目、発掘した才能をラジオで全国に送り出す(林正之助) ・映画進出の一方で、漫才の質向上をめざし文芸部を創設(林正之助) | | 【主な関連企業】吉本興業株式会社 | | 【出身地】兵庫県 |
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 | 白井 松次郎(1877〜1951)※写真上
大谷 竹次郎(1877〜1969)※写真下 | 古典劇の品格を守りつつ近代的興行を確立 ・志高く、兄弟で商業演劇の世界に身を投じる ・興行界を近代化させ、演劇のすそ野を拡大 ・災禍にも挫けず、演劇界統一をめざして邁進 | | 【主な関連企業】松竹株式会社 | | 【出身地】京都府 |
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 | | 飯田 新七(4代)(1859〜1944) | 顧客の利便性追求と斬新な販促活動追求する百貨店文化を形成 ・京都から大阪へ、斬新な販促活動で心斎橋店をオープン ・化粧品、輸入雑貨へ扱い商品拡充し、百貨店への脱皮はかる ・大阪・東京で大規模店を同時出店、一流百貨店に押し上げる | | 【主な関連企業】株式会社髙島屋 | | 【出身地】京都府 |
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 | | 下村 正太郎(11代)(1883〜1944) | 大衆消費社会の「流行」発信拠点としての百貨店文化つくる ・200年来の座売りを廃止して百貨店に転換 ・消費喚起ねらいに、情報発信と“流行”創出に力そそぐ ・高級感と利便性を向上させ、消費者心理を刺激する | | 【主な関連企業】株式会社大丸 | | 【出身地】京都府 |
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 | 村山 龍平(1850〜1933)※写真上
上野 理一(1848〜1919)※写真下 | 「朝日新聞」の基礎築く ・報道体制・紙面づくりを刷新し、新たな「中新聞」のジャンルを開拓 ・速報性と文化性を追求し読者層拡大に成功 ・多彩な文化事業を展開し、“文化の朝日”の基礎つくる | | 【主な関連企業】株式会社朝日新聞社 | | 【出身地】 村山 龍平:三重県 / 上野 理一:兵庫県 |
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 | | 本山 彦一(1853〜1932) | あくなきパイオニア「毎日新聞」生む ・自助自立の新聞を目指していち早く経営近代化 ・国際的視野で組織リード、記録的大躍進を実現 ・文化、スポーツに新しい波、社会貢献にも力 | | 【主な関連企業】株式会社毎日新聞社 | | 【出身地】熊本県 |
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 | | 前田 久吉(1893〜1986) | 新聞販売店から一代で全国紙「産経新聞」を生む ・ 地域の人々に役立つ新聞づくりに挑戦する ・ 全国紙「日本工業新聞」を発刊、新聞業界のキーマンとして活躍 ・ 「産経」を全国紙に育てるとともに、電波業界にも進出 | | 【主な関連企業】株式会社産業経済新聞社 | | 【出身地】大阪府 |
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