低学歴の親が「自分の子どもを大卒にして見返したい」というのはよくある。だが、運動が出来なかった親が「自分の子どもをスポーツマンにして見返したい」というのは、ほとんどない。運動が出来ないコンプレックスはおとなになっても一応は残るものであるが、運動より学歴ということになるし、おとなには体育の時間がないので、恥をかく機会もない。さて、ここで問題になるのは、学力は可視化されないので変な全能感があることだ。いかにも運動ができない奴を思い浮かべてほしい。そいつを小さい頃から鍛えたらスポーツマンになるかというと、極めて難しい、というより完全に不可能である。30点を50点にするとか、それくらいならできるだろうし、頑張ればいいと思うが、運動音痴は運動音痴。努力で少しはマシになるとしても、30点を100点にすることはできない。しかし、学力に関しては、運動音痴がスポーツマンという具合の転生が可能らしいのである。運動音痴が「恵まれた家庭環境に産まれていたら自分は運動ができた」と思うのはあり得ないが、学力では「本当は自分は~」という勘違いが可能なのである。おそらく「未知の自分」の話であり、運動に関しては、まさしく現在のこの肉体という生々しい現実なので、「まだ知らない自分がいる」という勘違いは出来ないが、学力に関しては、なぜか勘違いができる。肉体はこちらの世界にあるが、頭脳はあちらの世界であり、まだ見ぬ自分が壁の向こうにいるらしい。外見の良し悪しとか運動能力は、本能的なものであるのに対して、頭脳は本能的に把握できないので、あちら側に本当は天才の自分がいたりとか、そういう妄想が起こる。肉体に関しては絶対に有り得ない発想だし、生まれ変わるなら文字通り(家庭環境などではなく)恵まれた肉体に生まれ変わるしかないが、オツムに関しては、現在のオツムのまま環境を入れ替えればいいらしい。そんなことあるだろうか。
スポンサードリンク