人間社会の凄さ、もしくは、不思議さは、貨幣という情報の管理がきちんとしていることである。偽札防止が徹底しているのが面白いところである。誰の手元にいくらあるか、財布の中身は見えないにしても、金額自体は動かせない事実である。1万円を30万円に増やしたりはできない。減らすにしても他人にあげないといけない。燃やしてしまえば減るが、そこまでは考えないことにする。ともかく、他人との関係で増えたり減ったりする。そういう数字の情報である。「あげる」と「もらう」にも経済社会のルールがあり、そこには等価交換の根拠がある。その「動き」が経済なのだから、たくさん動かせばいいのだが、安易な話ではない。根っこには時間の問題があり、一日あたりの労働とか一日あたりの食事とか、時間が根拠である。実際には時間を交換しているので、「あげる」とか「もらう」にも限度がある。根っこにあるのが時間だとしたら、なぜ「時間」を交換しないのか、ということだが、当たり前の話として、時間そのものは交換できない。たとえば他人から10時間を買って、自分の時間を一日34時間にすることは出来ない。本当に「時間そのもの」を売れるとすれば、それはすごいことだが、出来ない。一時間働いてもらって、時給を払う、という形になる。一日を34時間には増やせないとしても、自分の代わりに、10時間分の作業を誰かがしてくれたら、それで自分の10時間が節約できることにはなる。そういう間接的な形で時間を交換している。時間の交換以外でも、お金は動くが不労所得であり、例外である。
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