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物事を計画するのは意識であり、すべては意識的に計画されているはずだが、どうしても人間というものを見ていると、無意識のうちに計画したとしか考えられないことがある。道重さゆみ(34歳)が強迫性障害になったそうだが、これもやはり計画したのである。無意識の道重さゆみが強迫性障害になることを選択したのである。34歳で先が見えないが、引退する切っ掛けがない。それでは切っ掛けを作ろうと無意識の道重さゆみが考えたのである。であるから、道重さゆみの強迫性障害は治らない。治ったら困るからである。まさに治ったら困るというのが、疾病利得であり、神経症の本質なのである。逆に言えば、治っても困らないなら治る。現在の道重さゆみ(34歳)だと芸能界を引退する理由が必要だから、治るわけがないが、引退してしばらくしたら治る。さて、無意識が望んだら神経症になるのか、望むだけで病気になるのかと問われたらイエスである。病気といっても、つまるところ、元栓を何度も確認するとか、玄関の扉を何度も確認するとか、手を何度も洗うとか、そういうことだから、儀式への固執でしかないし、この程度の病気は自ら作り出せるのである。儀式を行わないと焦りや恐怖があり、そして、不安を消すために儀式をするが、それでも平穏にならないから反復する。取り憑かれたように緊迫感やスリルを反復する。それだけのことである。人生の不安をそのように表現してるのであり、自分でそういう病気にしているのである。
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雑記 | 2023.12.29このエントリーをはてなブックマークに追加ツイート
https://mainichi.jp/articles/20231211/k00/00m/040/299000c
駐車場から施設の入り口まで、わずか数メートル。その距離は、障害のある息子の生死を分けかねない距離だった。だからこそ、施設には「職員2人で面倒を見る」と固く約束させていた。「施設の怠慢で約束を破られ、息子の命は失われた」と遺族の怒りは消えない。
2022年12月、大阪府吹田市の放課後等デイサービス施設「デイサービスアルプスの森」に通っていた清水悠生(はるき)さん(当時13歳)が施設内の駐車場で車から降りた直後に走り出して行方不明となり、近くの川で死亡する事故が起きた。府警は、施設の運営会社代表らを業務上過失致死容疑で再逮捕した。
清水さんの母亜佳里さん(42)は、その日を鮮明に覚えている。午後、携帯電話に何回か着信があった。知らない番号なので出ないでいると、今度は家の固定電話が鳴る。嫌な予感がして受話器を取ると、施設からだった。「悠生くんがデイサービスに着いて車から降りる時に走り出し、行方不明になった」。急いで駆け付けると、赤色灯をつけた警察車両が近くの川に集まっていた。1週間後、川で清水さんの遺体が見つかった。
清水さんには、つないだ手を突然離して走り出したり、水を見ると飛び込んだりする特性があった。このため父悠路(ゆうじ)さん(47)と亜佳里さんは清水さんが小学1年の時、当時施設側の代表だった宇津雅美容疑者に「施設で車を乗り降りする時は職員2人態勢で見ること」を約束させたが、事故当時は1人しか付き添っていなかった。事故後、吹田市から「何度か1人で対応していたようだ」と知らされた。施設側は23年9月に保護者向け説明会を開いたものの、約束を破った理由について納得のいく説明はなかった。
清水さんは大好きなグミやチョコレートを2歳下の弟に取られても怒らず、家族がくしゃみをしたらティッシュを渡してくれる優しい性格だった。当たり前のことをするのに時間はかかるが、「本当に少しずつだけど成長を見せてくれていた」と亜佳里さんは語る。
亜佳里さんは「施設側の対応からは、悠生の特性により『事故は仕方がなかった』という考えが透けて見える。亡くなったのは障害のせいでは断じてない。容疑者には、あの日どうして悠生を行方不明にさせたのか、きちんと説明してほしい」と訴えた。【洪玟香】

目を離すと事故を起こす知的障害者は大変である。衝動的に水に飛び込むというのでは、最低限の判断能力がないわけで、頭を抱えるしかない。これを食い止める義務があるとなると、やるせない。想像するに、昔から知的障害者の自爆的な事故死はあったと思う。キッチンにあるものは、いつ大火傷しても不思議ではないし、それこそ普通の部屋にあるハサミやホチキスでも危険である。というより、なにもかもが凶器になりうる。以前であれば家庭内で完結していたと思われるが、ここ最近は施設に預けることも多いから、損害賠償の話になってしまうようだ。次から次へとこういう遺族が出てきて、厳罰化への連帯を求められるのであるから、われわれも心労が絶えない。さすがにこの件に関しては、業務上過失致死の容疑で逮捕された施設の人間への同情も強く、法律改正とか、そこまで行くとは限らないが、遺族が騒いでるから警察も逮捕したのだろうし、まったく災難である。水に飛び込むという行動障害があるのなら、外出自体が危険であると思う。走り出して水に飛び込むという行動障害について、両親が最大限に努力したとも思えない。他人に預けないのが最高の選択であった。施設に責任を押し付ける以外に何をしたのか謎である。たとえば子どもが転落死したとして、自宅のベランダから転落する場合と、施設のベランダから転落するのでは扱いが違うのだろうが、なぜ親の不注意は咎められないのか、という根本的な疑問もある。親が目を離した隙に自宅ベランダから転落となると、親が自分自身に損害賠償を請求するという変な話になる。自分で自分に損害賠償請求することはできないので、法律で物事を考えると、どうしても他罰的思考を育んでしまう。民事と刑事事件は違うから、自宅で子どもが転落死した場合でも、なんらかの刑法に基づき、親の過失を罪に問うてもよさそうだが、警察も純粋な法律判断では動いていないのだろうし、遺族感情に合わせているのだろう。とはいえ、遺族がマスコミに出てくるときは、だいたい裏に弁護士がいるわけで、弁護士に毒された社会という文脈もある。弁護士は他罰思考の権化である。他罰から損害賠償金が発生するからだ。これは障害者に限らない。健常者でも同じ話である。街の雑踏を見渡せば、価値のなさそうな有象無象が溢れているのだが、もし事故死したとすれば、法的にはかなりの金額である。健常者でも、生きていると安いのだが、死んだ瞬間に尊い存在になる。われわれは殺人事件や死亡事故に着目することで、辛うじて命の価値を信じているのかもしれない。誰も死ななければ、命の価値はないかもしれないのだ。死ぬから価値があるのであり、生きていたら価値がない、それが生命の本質ではなかろうか。いつもなにかしら遺族がテレビに出ているのは、損害賠償という文脈において発生する命の尊さ、それによって普段の人生の安さを誤魔化しているのかもしれない。われわれは儀礼として、死者にお悔やみを申し上げるのだが、高齢者の死についての裁判とか見ると呆れるし、些細なことで復讐の鬼になる遺族が増えている。やはり弁護士という悪魔が原因であろうし、損害賠償の金額で心が曲がったと思うのである。遺族になった瞬間に復讐を考えるのは人間の本能かもしれないが、昔なら「仕方ない」と言われていたことでも、今は弁護士を引き連れて大立ち回りになるので、必ずしも原始的な生命観とは言い切れない。最近になって弁護士が付け足した生命観もあるわけだ。
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雑記 | 2023.12.23このエントリーをはてなブックマークに追加ツイート
そろそろ激怒している人も増えてきたので、重ねてわたしが怒り狂うのも蛇足であろうが、どうしてもこの手の保護猫動画は「本当にその経緯で保護したのか」という疑問がつきまとう。タイピーとかネコニチみたいな、人気の保護チャンネルでも、野良猫がいるのだから、どこかで捕まえたのだろうけど、本当にそういう経緯で保護したのかな、と首をひねることはある。そもそも「話を盛る」のは人間として普通のことであり、ふらふらと軸が定まらず漠然と生きているのが現実でも、後から動機を付け足したり、してもいない決意をしたとか、計画的行為を偶然と言ったり、まぐれの行動を計画的とうそぶいたり、過去をあれこれ修正して自分の歴史を再構成している。道路で野良猫を拾うとすれば、「車に轢かれそうなところを間一髪で助けた」ということになったりする。殺処分寸前とか餓死寸前とかボロボロの野良猫とか、なにかしら差し迫ったトリガーを挿入するのである。差し迫る前に保護してあげればいいという説もあるが、この斯界においては、差し迫った保護のほうが称賛されやすいし、「保護してくれてありがとうございます」という儀礼的な慣用句もあるだろうが、たぶん差し迫ったほうが物語的な起承転結がクッキリするし、ただの気まぐれで元気な野良猫を拾って飼うのではYouTubeの撮れ高としてかんばしくない。「僕とうみのスローライフ」は、海を泳いでいる三毛猫を掬い上げるわけだから、ずいぶん差し迫っているが、網で掬う前後の映像がないことも加え、ずいぶん綺麗で元気な子猫だし、普段から作り話に馴染んでいる猫動画閲覧者でさえも、名状しがたい違和感を持った人は多いであろう。この人が子猫を海に入れて、自ら網で掬った自作自演の光景をわたしが見た訳では無いし、いまさら現場で実況見分したとしても証拠は海の藻屑であろうが、GoProを使って撮影しているようだし、猫を網で掬うときだけ撮影ボタンを押したという感じもない。GoProは五万円程度ではあるが、素人が使うものとしては、それなりに本格的であるし、スマホの動画撮影には飽き足らない人が持つ。そういう機材を所有する動画撮影マニアが、「海から猫を掬う瞬間だけ撮影した(その瞬間以外は撮影していない)」というのもなさそうだし、ただひたすら違和感である。
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雑記 | 2023.12.20このエントリーをはてなブックマークに追加ツイート
なぜ人間にはペットが必要なのか、といえば、愛情を注いでも拒否されないし、批難もされないからである。人間と人間だと、愛情は支配であるし、なにかしら自分の都合のいい存在にしようというエゴである。だからペットなのである。犬や猫は理想世界を求めていない。犬や猫はそれなりの餌と寝床さえあれば満足であるし、飼い主の容姿や社会的地位や学歴などに不満を持つこともないし、愛だけでよいから、ずいぶん楽である。劣悪すぎる環境は論外としても、犬猫ならアパートとタワーマンションの区別はつかない。人間以外の動物は環世界を生きて、そこに適応しているだけであり、それが満たされれば終わりである。われわれ人間は、理想を求める。動物を飼うのは環世界への退行かもしれないが、社会的不満を持たない生き物がゆえの癒やしなのである。さて、それでは理想世界という人間的な業病は苦悩の根源であるから、これを手放したいかというと、また別の話である。犬や猫が好きという人が、犬猫のように、特段に何かを求めることなく、衣食住だけで満足する生き物になりたいかというと、そうではないはずだ。人間は環世界から脱出して欲求する怪物であり、それが人生を苦しませるとしても、たとえば性的に煩悶しているからといって去勢されたくはないわけである。どれだけ叶わなくて苦しくても、それが叶う可能性は潰されたくないのである。こう考えると、犬猫は発情期の本能があるだけで、性の快楽のために生きているわけではないから、去勢は苦痛でないとも言える。子孫を残すことについても、犬猫は本人のこだわりではないだろう。犬猫であれば、鏡に映る自分を自分と認識できないから、容姿の悩みもない。そもそも容姿で悩むのは人間くらいかもしれない。ともかく人間的欲求は度し難く、かといって、生きているだけで満足という人間にはなりたくないので、だからこそ人間ではないペット、つまり生きてるだけで満足という犬猫を飼うのである。
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雑記 | 2023.12.11このエントリーをはてなブックマークに追加ツイート
ふざけるのも大概にしろ、という動画が大人気である。海を泳いでいる猫を網で救って助けたというものである。さすがにおかしいと思っている人もいるようで、「ノーカットで見せろ」と食い下がっているコメントも多々見受けられる。わたしもノーカットで映像を見てみたい。特に猫を掬い上げる前の時点の映像が見たい。もし映像を出せないのであれば、「やらせ」と言われても仕方あるまい。

https://www.youtube.com/watch?v=XAFK-qhS6zE
【アンチコメントの方へ】
僕だって人間です。
心無いコメントが人の心を傷つけていることを知って、学習して下さると幸いです。
その言葉で有名人等が亡くなっている事もニュース等で知っているはずです。
軽い気持ちでのアンチコメントは、投稿者にとっては凄く傷ついたりします。
一人vs何百人や何千人。という状況。
また、他人に読まれているとこもお忘れなく。
他人に読まれて恥ずかしくない、気分を害するようなコメントは考えるべきだと僕は思います。
投稿者らしからぬ、事を言ってしまい申し訳ございませんでした。

木村響子さんが裁判を起こしていた中傷ツイートのひとつが愉快犯による捏造だと露見したわけである。木村響子さんも気の毒だが、木村花さんの死後に創作された誹謗中傷があるわけだ。問題の裁判がどのように決着したのか知らないし、報道しない自由なのか、木村響子さんもあまり見かけなくなった。愚かしいことに法改正もされたし、世の中はいろいろとトランスしている。左向きの風がやまないので、難儀ではあるが、そろそろ規矩を糺し、秩序を恢復しなければならない。なんにせよ、精神的に傷ついたとか、木村花さんが云々ではなく、猫を掬う場面をノーカットの映像で検証すべき、ということだろう。
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雑記 | 2023.12.08このエントリーをはてなブックマークに追加ツイート
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20231206001640.html
「看取り」とは、裁判で問う 「父の最期は自宅で」かなわず、救急搬送
2023年12月6日 16時30分
父を自宅で看取(みと)りたい――。訪問看護施設にそう希望を伝えていたのにかなわなかったとして、家族が施設側に損害賠償を求めた裁判の判決が8日、大阪地裁である。終末期のあり方をめぐっては、本人や家族が医師と事前に話し合うよう国は勧めるが、十分に浸透していない。

86歳で認知症の父親の容態が悪くなったという。自宅で看取りを希望していたのに、訪問介護の人に救急車を呼ばれてしまった。そして病院で死んだ。それが許せないとして、裁判をやっているそうである。本当にくだらないと思ったのは、父親の危篤の瞬間、この原告は仕事中だったらしい。仕事をやめて介護しているならともかく、仕事をしているなら、どっちみち死に立ち会える可能性は低かった。そこが悔いなのだろうが、まさに八つ当たりで裁判を起こした感じである。はっきり言って、この原告が怒っている何百倍も、わたしは激高している。怒りで腕が痙攣しプルプル震えているくらいである。朝日新聞の独自記事なので、左翼的な思想傾向があると思われる。原告が朝日新聞に持ち込んで記事になったのだろう。わたしの気の所為かもしれないが、朝日新聞でこの手の言いがかりのような記事をよく見る。左翼は人情家ではないので、逆に、原理原則にとても拘る。また、見出しを見た瞬間に、この原告は次男坊だなと思ったら、やはり次男であった。長男はすでに亡くなっているそうだ。次男は親孝行を頑張るので、その余勢で裁判にまでなったのだろう。変な言い方になるが、長男(嫡男)は息子であるが、次男は息子ではない。次男はルーツがないみなし子なのである。嫡男にとって父親は敵であるから、ようやく死んでくれた、という感じがあるが、次男(嫡男ではない人)からすると、親しい人(親しいだけの人)を失った、ということになる。ルーツとしての繋がりが薄いから、糊塗するような親孝行しかない。被告である訪問介護の人も、次男坊のわがままに付き合わされて災難である。嫌がらせ以外の何物でもない。ちなみにこの裁判の判決は12月8日だそうで、その2日前に朝日新聞が記事にしたわけだ。嫌なことである。
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雑記 | 2023.12.07このエントリーをはてなブックマークに追加ツイート
保守は感動するのが好きである。いわゆる感激屋であり、ヨッシャヨッシャと細かい部分はごまかされる。左翼は感激屋ではない。思想云々よりは、感激/冷淡という気質が根底にありそうである。左翼がインテリを気取るのも、感激屋ではない気質がそうさせるのであり、知能との相関関係はなさそうである。左翼というと、変なセミナーやカルトで号泣している印象があるが、感動しづらい体質がゆえに極端に走る。トランスジェンダーが左翼なのか、それは知らないが、表に出てくる活動家が左翼なのは疑いなく、もしかすると、性的指向の問題ではなく、感動しづらい気質が原因かもしれない。「自分はトランスジェンダーだ」と誤解して性転換して後悔する人がいるようだが、気をつけなければならない。感激タイプと冷淡タイプで人間を分けると、トランスジェンダー活動家の大半は冷淡タイプである。世の中は保守派の感激屋が多いので、そうでない冷めた気質だと、「自分はトランスジェンダー」という極端な錯覚に結びつく可能性がある。冷めている人間は、感動する能力が欠落しているのかもしれないが、どうしても選ばれた人間だという自意識はあるだろうし、虚空に手を伸ばしてしがみついたものが性転換という悪夢であることもある。感動するのは一種の手打ちであり、細かい部分は取っ払って握手してしまったほうが手っ取り早いという社交術である。細部にこだわらず感動でまとめる力である。そうやって世の中と和解する能力が低いと、理屈だけが尖るから、女装して女子トイレに突入するとか変なことをやりだす。性的にマイノリティなのではなく、路線対立で細かく分派しているだけかもしれないし、感激/冷淡という気質においてマイノリティである可能性を考える必要がある。感激しづらいから感激するためにカルトになるのはよくない。それであれば、簡単に感激してなあなあで済ませたほうがよい。
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雑記 | 2023.12.06このエントリーをはてなブックマークに追加ツイート
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