ワイアードな二次元論壇です
犯人が毒を飲ましたときに使った瓶、ピペット、医療器ケースなどの正体を突きとめるために、鑑識課の技師が、被害者を連れて、医療器具店や、瓶問屋を片っ端から調べて歩き、三カ月かかって、ようやく類似品を見つけ出した。それによると、いずれも戦前に出来た良質のものらしく、特にピペットと、医療用ケースは、軍で多く使っていたものらしかった。このピペットは特殊なもので、生化学や、分析化学関係のような、或は細菌学上の実験、軍関係の研究所などのほかは、あまり一般には用いられないものだった。さらに、そのピペットを入れて来た医療器ケース、瓶類は、戦後にはいずれも良質のものは生産されていないのに、生存者の話の様子では、そうとう良質なものらしいので、おそらく戦争初期のものと思われた。
だが、特に軍を強調した理由は何であろうか。これについての捜査本部の推定は次のようなものであった。第一に、犯人は、毒薬の量と効果に、強い自信を持っていたと認められることである。犯人が帝銀で使用した毒薬は、青酸化合物の溶液で、その濃度は五パーセントから一〇パーセント、一人に飲ました量は、だいたい五ccと推定された。この量は、青酸カリの致死量とすれすれの量であり、そこに、犯人が、最少の量でなるべく飲み易くし、しかも目的を達しようとした努力が窺われ、特に犯人が十六人を殺すのに、この溶液を、僅か一二〇cc入り小児用投薬瓶に入れて来て、これを一人に付二cc入りのピペットで二回半足らずを正確に計り出した点から見て、犯人は、これだけで十分目的を達し得るという、薬に対する知識と自信を持っていたことがよくわかるのである。もしこの自信がなければ、大事をとって、もっと濃度を高めるか、液量を増すかして、そこに素人臭い、なんらかのやり損いを見せる筈であるのに、このようにほとんど完全に近いまでに目的が達せられたということは、素人のまぐれ当りとして見逃すわけにはいかない、というのである。
平沢白説にとって、致命的なのは、昭和二十三年一月二十六日に、平沢に出所不明の大金が入っている事実である。これは、どのように平沢の側に立って贔屓している者でも、はたと当惑しないでは居られない。 弁護人団も、この金の出所になると、俄かに顔色が悪くなるのである。というのは、平沢は、金の点になると、弁護人にも曖昧なことしか言わないからだ。 平沢は一月二十八日に東京銀行へ、林誠一のチェーン預金を八万円し、一月二十九日平井の清水虎之助からといって、妻マサに渡したのが三万五千円、同じく三十日古河電機の西村啓造からと言って渡した一万円、同三十一日住友銀行の封鎖解除になったからと言って渡した九千円、合計十三万四千円は、確かに平沢が所持していたとみられている。
神戸市西区の男性(55)が、医師免許を持っていないのに医学博士や医師を名乗り、三木市を中心に兵庫県内各地で約10年にわたって健康に関する講演活動をしていたことが22日分かった。男性は同様の肩書で約8年間、同市内のコミュニティーFMでもレギュラー番組に出演。男性は取材に対し「知識を伝えたかった。ずるずると肩書を使ってしまった」と話した。三木市は、講演の依頼状況などを調査する。
男性は経歴について「大阪府内の小中高校を卒業後、東京都内の私立大医学部に入学。2年で中退して渡米し、カンザス州立大の生物・工学系大学院を修了した」と説明している。
講演は知人の代わりに依頼を受け、知人の肩書を使ったことがきっかけという。講演のチラシなどでは「東京大医学部卒業」「米・ニューヨーク州立大博士課程修了」などと紹介していた。
三木市によると、男性は2013年度、公民館などで計4回の講演を実施。講演料は2時間で2万円程度だったという。FM「エフエム三木」では2006年から、男性が一人で語る週1回30分の健康番組を放送。出演は無償だった。
男性は2年ほど前、「総合医療研究所」と称する事務所兼住居を神戸市西区に構え、理事長名義の名刺も作って活動していた。
男性は「亡くなった母の病気に付きっきりで仕事もままならず、医療費も高額だったため、活動を続けた。講演料は頼まれれば返す」と話した。
三木市は近日中に男性と面談し、支払った講演料などを調べる。「今後のことは弁護士と相談する」としている。(堀内達成、中川 恵)



Author:ukdata
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