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浜田整体

野口整体への愛情または私はいかにして心配するのをやめて整体を愛するようになったか

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2013年9月12日 (木)

親鸞

出身地の石川県は真宗王国なのだが、高校の教師に僧籍だという先生が二人いた。一見して変わっていたし、授業を受けると実際にも変だった。禅宗でもないのに、授業でよそ見をしている生徒がいると、肩を棒の代わりに定規で叩く。

最近、ぼんやりと昔の事を思い出していたのだが、学校の先生>坊主>浄土真宗>親鸞という連想が続いて、なんとなく図書館の端末で検索ワード「親鸞」を調べてみた。

検索結果を見たら、内田樹の名前が出て来て、本当に何にでも名前が出て来るなと感心した。斉藤孝の『声に出して読みたい親鸞』という本もあって、これには笑った。このシリーズで一生食べていけそうだ。一覧を見ていたら、玄侑宗久・釈撤宗の『自然を生きる』が気になったので借りてみた。

臨済宗と浄土真宗のお坊さん二人の対談なのだが、内容はほとんど浄土真宗の話題に終始していた。縦軸の禅宗と横軸の真宗という対比で話が進められていたのだが、縦軸というのは秩序を象徴していて、横軸というのは連帯を象徴している。日本社会は縦軸が強いが、これからは浄土真宗的な連帯が必要だという論旨なのだが、釈撤宗という人はグルームホームの経営者でもあるそうで、話に説得力があった。

プロテスタントとカトリックを比べると、カトリックの方が自殺率が低いという話はおもしろかった。自分の人間関係を見回してもなんとなく分かる。知人のアパートの大家さんが、あの人はカトリックだから信用が出来ると、保証人もなしに部屋を貸した事をあるのを知っているのだ。

浄土真宗では修業を否定するが、修業が出来ないので辛いという話には笑った。でも、浄土真宗が連帯的だとするのならば、それは修業を否定しているからだろうとも思った。一旦、修業というパターンを設定すると、上達には個人差が出るだろうから、縦軸が強くなるはずだ。

読んでいて途中から、これは日本人論でもある事にも気がついた。稽古事でも段などが好きで、細かいテクニックで人を区別するではないか。ただ、段で序列をつくっておけば、組織の構成員の間での争いは起こりにくくなるから、それも争いを避ける為の日本人的な知恵だとは言えるかもしれない。

2013年9月12日 (木)|固定リンク

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