8月22日から、あっという間。
あれから、我が家の空気は一変しました。
相変わらず、慌しい毎日には変わり無いですが
8年半、一緒に過ごしたバービーとの時間が
プツリと途切れて、自分でどう気持ちをコントロール
していいのか、わからなくなりました。
以前、母を亡くしたショックから『パニック症候群』と
診断され、数年間本当に苦しみました。
あれから克服してるはずでしたが、やはり精神的に
参ってしまうほどストレスを溜めたり、多忙な日々が
続くと、悲しいかな。
『パニック症候群』と言うのは、なかなか完治は難しく
去年体調を崩した際にも、医師に言われましたが
症状が、ぶり返してしまう事があるらしいです。
バービーを亡くしたショックと、仕事など過剰なストレスで
食欲不振で激痩せ、心臓バクバク、もがくほど息苦しくなったり
さらに、突然耳が聞こえにくく、突発性難聴にも悩まされました。
ただ、幸いにもバービーが具合が悪くなった頃から、
急激に仕事が集中していたので、体調を崩しつつも
正直、悲しむ暇もなく多忙な日々が過ぎていた感じでした。
この忙しさが無かったら、私は悲しみに押し潰されて
一体どうなっていたか・・・
この程度の体調不良で済んだのも、多分バービーが
『おかぁちゃん、泣いてちゃダメでし。仕事するでし。』
そう言いながら、試練を与えていたのかも知れません。
バービーと出会いが無ければ、e-dogCafeも無くて
この仕事は、バービーと一緒に歩んで来た仕事。
バービーの『置き土産』だと思い、マジメに、大切に、
守っていかないとな・・・
バービーの闘病日記は、バービーの辛い姿を思い出してしまい
なかなか綴れずにいますが、少しづつバービーの想い出を
笑いながら、周りの方にお話出来るようにまでなりました。
旅立ちの支度は、お似合いだった赤いTシャツと
お気に入りだったオモチャとオヤツを持たせました。
バービーが旅立った夜、モラはバービーの傍から
離れようとしませんでした。
誰よりも、モラが一番さびしかったのかも知れません。
バービーの枕元で、お花を千切って悪戯しながらも
ずっとずっと、バービーに寄り添って、時々バービーの
寝顔を覗き込んだり・・・
亡骸が帰宅してから、たくさんの方からお花をお供して
いただき、階段スペースがお花で埋め尽くされました。
不思議と、ハウディもお壷に寄り添っていました。
人間以上に、動物は色々な事を感じているのでしょうね。
毎日、白い風呂敷に包まったお壷を眺めるたびに
いかにも『仏さん』のバービーが、悲しくて
辛くて辛くて仕方がなく、いつもお世話になってる
コロラドのまりさんに無理を言って
『バービーに似合ったお壷を探したので、送って欲しい』
と、お願いをしました。
日本では珍しいでしょうけど、アメリカには、その子に
合ったユニークなペット用のお壷が、たくさんあります。
リバティは、スワロフスキーの銀色の宝石箱みたいな
お洒落なメモリアルボックスに、眠っています。
バービーには、アメリカンならではの、お茶目で
ユニークな、クッキージャーみたいなお壷を選びました。
『BARBIE 2002~2010』とネックレスも作りました。
バービーと消火栓の関係ですが・・・
『消火栓とわたし・・・』と言うタイトルで
かつて、ブログにアップされていた画像。
妙に、消火栓が好きだったと言うか、地元の
ファイヤーマンのお兄さんたちにも、いつもいつも
遊んでもらったり、可愛がっていただいてたし。
赤い消火栓型の、IDチャームをブラブラ首から提げていたし。
今でも、部屋のどこかにバービーが居そうな気がして
不思議な空気が、ふっと流れる瞬間があります。
モラは、今でもバービーは2階で寝てると信じているのか
いつも、尻尾を振って階段の下から2階を見上げています。
相変わらず、いつも一緒に寝転んでいたリビングのお布団も
バービーの場所を、ちゃんと空けて寝ている律儀なモラ。
いつの頃か、どこでもいいからお互いの体をくっつけ合って
寝ないと落ち着かないほど、べったりな仲良しになったのにね・・・