こんなはずじゃなかった。
気付かれぬように、そっと苦しめることに意味があったのだ。
私が男性の苦痛の声や表情などといったものにいつから興奮を覚えるようになったのか、定かではない。もちろん、おかしな性癖だ。記憶を探ろうとしたことは幾度もあった。が、二十歳を過ぎてもなお、その答えらしきものは見つからない。
ドS。
最近になって市民権を得てきたこの俗語を使って己を表現するのが、一番手っ取り早く、気楽に思えた。だが、それでは説明がつかないことがあまりにも多すぎた。
朝の電車は混雑するから、わざと乗る。自分で言うのはいささかおこがましいが、男性は私に少なからぬ魅力を感じるらしい。下心のある男性への接近と誘惑には事欠かない。身体を密着させ、下半身を指先でなぞる。男性がそこでふっと恍惚の表情を見せる瞬間に、肘や拳を鳩尾に埋めるのだ。
「――っ」
自然と苦悶の声が上がる。当然、気付かれては意味がない。偶然を装う。言い訳ができる程度に加減する。必要があれば「すみません」と声をかける。そうすれば、ほとんど怪しまれることはない。
ヒールで男性の足を踏み付けたこともあった。胸を押し当て、困惑を湛える男性の表情を見つめ続けたこともあった。男性の股に膝を擦りつけることもあった。全て、さりげなく。だが、やはり実際に行動を起こすときには、いつも破裂するほど心臓が激しく音を立てた。苦しいし、緊張する。けれど、その行為が私にもたらす愉悦は、並大抵ではないのだ。
誰にも迷惑をかけずに済むようになるのなら、それに越したことはないのかもしれない。
心の病?
もしそうであるなら、私は治療なんてしたくない。治ることが怖い。この快楽を失ってしまうかもしれないのなら、私は病気のままでいい。
大晦日。
除夜の鐘が響いてくる中、私は走っていた。
趣味だ。擦り切れるような寒風が心地よく感じるくらい、身に着けた上下セットのトレーニングウェアは暖かかった。ビビットピンクを基調に、黒の縦ラインの入ったものだ。風を通しにくく、裏がメッシュのウインドブレイカータイプ。素足に直接、白のスニーカーを履いて走るのが、私の日課だった。大晦日の夜だからといって変わるような習慣ではない。
ただ――
今日は妙に、例の衝動が強かった。
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