愛華の顔は、一転、戸惑いの色を湛えていた。
脱力したように、ぺたんと地面に尻をつく。そして、
「……どうして?」
「知らなかったもん……」
「私が潰そうとしてて、お父さんがいって――」
「だから、お父さんが……、嬉しくなくなって……」
と、言葉を連ねていく。その瞳には、涙が溜まっていた。
誠一は答えなかった。――俺は卑怯だ。彼は、素直にそう思った。だが、今はこの虚脱感や安心感に身を委ね、ただ苦痛が消えゆく時を待ちたかった。
――時々あの子がわからなくなる、か。
誠一は、通話口で聞いた麻美子の言葉に思いを馳せた。ただ、頭がおかしいなんてことはない。狂ってもいない。それだけは言える。誠一は、そう確信していた。
『時々すごく残酷なことをしたり、乱暴になったり』
――そうだな。それで喜ぶ人間がいるから。そして、他に方法を知らないから。
『見下すような冷たい態度をとったり』
――それも……同じことかな。
誠一は心の中で、麻美子と会話していた。気が紛れる気がしたからだ。今感じている苦痛から、少しでも解放されたい。そう思っていた。
『本人には罪悪感が全く無いみたいで』
――良いことをしてるつもりなんだ。彼女なりに、一生懸命。
『精神的にも、幼い気がする』
――それは、その通りかもな。
誠一は仰向けのまま、あらためて愛華に目を遣った。へたり込み、未だ放心したような表情を浮かべている。それでも決して美しさを損なわない彼女に、誠一はあらためて感服する。特にその瞳は、虚を湛えながらも輝きを纏い、力強くさえ感じられた。
――麻美子。愛華は冷たくなんてない。逆だ。心優しい子なんだ。表情ひとつで察することができるほど他人の気持ちや感情に敏感で、相手を喜ばせたい一心で頑張る。その信念はとても固くて、最後までやり遂げようと努力する。最高の娘じゃないか、なあ。
「ごめんな……嘘、ついてて」
誠一は、愛華にそう声をかけた。
「愛華に潰されていったものが、羨ましかった。お父さんも、愛華に踏み潰されたい。殺されたい。本気でそう思った」
「でも、死ぬのは……、殺されるのは、やっぱり怖い。いざとなって、それがわかった」
「それに、愛華――。お父さんは、お前を人殺しにするわけにはいかない」
彼はもう、隠さなかった。
愛華は口を挟むことなく、誠一の言葉にじっと耳を傾けていた。不思議そうな顔で。
やがて俯き、彼女はポツリと呟いた。
「でも……、やっぱり潰さなきゃいけないよ。そう望まれたから」
「望んでないよ」
誠一はかぶりを振るが、愛華の瞳の光は消えなかった。
「ううん。――お母さんが望んでるよ」
END
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