ずーっと雨。寒い → 梅雨明け1日目からいきなり酷暑。
なんだろう。身体がキツい。
なんで朝起きた瞬間から「あ~疲れた」と口に出てしまうんだろう。

みんなも部屋のすみっこで寝てばかりいるし。
ついでに言えば、猫たちは涼しい部屋に連れて来ても連れて来ても、なぜエアコンの無い灼熱の部屋に戻って行くんだろう。
うーん、文章は書けないこともないんだけど、写真が撮れない。
とナマケていたらたちまち前回から1ヶ月を超えておりました。

水が大きな手術をしたり、やはり気候のせいか、それぞれ少し体調を崩したり、ちょこちょこいろいろありますが、とりあえずみんな無事です。
我が家は古めかしくて狭苦しい賃貸住まいですが、日本でも有数の大きな花火大会を窓から見られるというのがセールスポイントのひとつです。
でも動物と暮らしていると花火大会もあまりうれしくはなかったりしますね。

幸いうちは花火に対してひどくおびえる子はいませんが、花火大会というといつも思い出すことがあります。
まだ私が中学生だったある夏、部活の友人達と待ち合わせしてウキウキと花火大会に出かけました。
それもまた日本有数の大きな花火大会で、1時間程度の間に無数の見事な大玉が絶え間なく打ち上げられます。
私達はできる限り打ち上げポイントに近い、ほぼ真下のように見られる場所に陣取り、夜空を見上げてはしゃいでいました。

でも途中でふと、私の視界の端に1頭の犬が映ってしまった。
その子はいわゆる中型ミックス、飼い主らしき人はおらず、ひとりぼっちでした。
眼を泣きそうに見開き、しっぽは脚の間に深く巻き込まれ、絶え間ない爆音と光と、おそらく人々の喧騒にもひどく怯えて、でもどうしたらいいのかわからずに人ごみの中をただオロオロと歩き回っていました。
すぐ足元を通っても誰一人犬に眼を向ける人はおらず、楽しそうに家族や友人と笑い合っていました。
犬は誰にも守ってもらえす、逃げ込む場所もなく、ただただ辺りをさまよい、やがて人ごみに消えました。

私はまだ幼く無知で、そんな時どうしてあげたらいいのかわかりませんでした。
でもその子の恐怖と孤独が伝わってきて、胸が痛くて痛くて、花火はもう楽しめませんでした。
なぜ友人達やまわりの人々があの子にまるで無関心でいられるのかもわからなかった。
もうずっと昔のことなのにはっきり覚えています。
その事に限らず、似たようなことはその後も何度かあり、そのたびに自分の無力を悔いてきました。
今でも全部憶えています。
はっきりと。

ささやかな保護活動を始めたのはそんな後悔の積み重ねによるところもあるのかもしれません。
無力ですと宣言してしまうのは楽だけど、本当に無力な人なんかいない。絶対に何かしらできる。
生活や体力は厳しくても、自分の胸にウソをつかないように力を尽くし、「後悔なく」行動できた時、そのことは私にとっては何よりも価値があります。
なんだかどんどん無理がきかなくなってきた今日この頃だけど、それでも今あの子達に会ったら連れて帰るだろうな。
でもいっぺんには出てくるなよ。破産する。

ポプラは少しずつですが成長を続けています。
散歩はまだ「落ち着きがある」というほどではないですが、たびたび私を見上げながら一生懸命考えて歩いてくれます。
先日は家族以外の人の手から初めておやつを食べられました。
くわえた瞬間にダダーっと遠くに逃げてから食べてましたが、でもそれまではずっと長いことくわえに行くこともできなかったから、やっぱりすごいのです。

家族なら頭を撫でられても身を引かなくなり、撫でられる時の表情も変わりました。
口元がふにゃっと緩んで、茶色の瞳にもうれしさが控えめに宿ります。
すごいのは「ポプラおいでー。」と呼ぶと、他の部屋からでもちゃんと私の足元に来るようになり、ハウスも私が傍らに立ってちょっと入口を示しただけでだけでさっさと入ってくれるようになったこと。

まだ恐い物もたくさんあるし、私も本当に信頼を得ているという実感はまだまだ無いですが、それでもゆっくりゆっくりと距離は縮まっています。
1日1日を積み重ねていくことで互いにわずかずつ成長しているだけなので、今回は特別な出来事がなくてすみません。
でも本当は「何もない」が一番幸せなこと。
ポプラもみんなも、今日もありがとうね。
