Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


コンテンツにスキップ
Wikipedia
検索

16世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。このテンプレートの使い方
出典検索?"16世紀" – ニュース ·書籍 ·スカラー ·CiNii ·J-STAGE ·NDL ·dlib.jp ·ジャパンサーチ ·TWL
(2023年3月)
千年紀:2千年紀
世紀:15世紀 -16世紀 -17世紀
十年紀:1500年代1510年代1520年代1530年代1540年代
1550年代1560年代1570年代1580年代1590年代
盛期ルネサンス。歴代ローマ教皇の庇護によりイタリア・ルネサンスの中心はローマに移動した。画像はこの時代に再建がなされたローマのサン・ピエトロ大聖堂の内部。
神聖ローマ皇帝カール5世。スペイン王を兼ねイタリア各地やネーデルラントも支配したが周辺諸国との戦いにも明け暮れた。画像はティツィアーノによる騎馬像(プラド美術館蔵)。
「太陽の沈まない帝国」。カール5世の息子フェリペ2世の時代にスペインは目覚ましい発展を遂げ貿易網は地球全体に及んだ。画像はフェリペ2世によって建てられたエル・エスコリアル修道院。ここには王宮も併設されておりフェリペ2世はここで執務を行った。

16世紀(じゅうろくせいき)は、西暦1501年から西暦1600年までの100年間を指す世紀

16世紀の歴史

[編集]
アルマダ海戦(グラヴリンヌ沖海戦)。この戦いでスペインを打ち破ったイングランドは強国としてのしあがることになる。
イングランド女王エリザベス1世。宗教対立に揺れるイングランドにあって国教会の組織を堅持し「良き女王ベス」と讃えられた。画像は1600年頃に描かれた『虹の肖像』(ハトフィールド・ハウス蔵のサリスベリー・コレクション)。
スコットランド女王メアリー。元フランス王妃でもありイングランド王位継承者でもあったため、イングランドへ亡命後の人生は数奇なものとなった。最後はエリザベス1世の命で処刑されるが、現イギリス王室にその血は受け継がれている。画像はエルミタージュ美術館蔵の肖像。
イエズス会の躍進。対抗宗教改革の旗手であったイエズス会は大航海時代の風潮と相俟って新大陸からアジア各地にキリスト教を拡げた。画像は原田家本「紙本著色聖母十五玄義・聖体秘蹟図」に描かれたロヨラザビエル京都大学総合博物館蔵)。
南蛮人の到来。1543年のポルトガル人の種子島到着により、ヨーロッパ人の来訪は日本にまで及んだ。画像は伝狩野内膳『南蛮屏風』の一部(リスボン国立古美術館蔵)。
ベレンの塔。ポルトガル最盛期を代表するマヌエル1世幸運王ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見とポルトガルの発展を記念して建造した要塞。
ベニン王国。西アフリカのナイジェリアにあったこの王国はポルトガルとの交易で16世紀から17世紀に繁栄した。画像は青銅製の三人で並び立つベニンの戦士像(ハーバード大学ピーボディ博物館蔵)。
黄金郷トンブクトゥサハラ交易により塩・黄金・奴隷といった物資がここを経由し運ばれた。レオ・アフリカヌスらの旅行者はその豊かな富を驚嘆しつつ記録を残している。画像はトンブクトゥのサンコレ・モスク。
バルバリアの海賊。北アフリカのアルジェリアを根拠地とするバルバロス・ハイレッディンはオスマン朝に帰順して大提督となり地中海のキリスト教諸国を圧倒した。画像はイスタンブルトプカプ宮殿スレイマン1世に謁見するバルバロス。
アステカ皇帝モクテスマ2世。スペイン人コルテスの侵略に遭い事故に巻き込まれ事実上の最後の皇帝となった。画像は17世紀に皇帝を描いた再現画。
インカ皇帝アタワルパ。スペイン人ピサロの侵略に遭い処刑され事実上の最後の皇帝となった。画像はグァマン・ポマの『新しい記録と良き統治』の挿絵。
万能人レオナルド・ダ・ヴィンチ。「モナリザ」などに見られる巧緻な技術を持つ芸術家であるとともに解剖学・生物学・幾何学・建築学・力学に通じた手稿を残した天才であった。画像はトリノ王宮図書館英語版が所蔵するレオナルドの自画像。
ニッコロ・マキャヴェッリ。小国家分立のイタリアにあって強力な政治統合を唱え、そのためには権謀術数をも辞さないという主張は、宗教や道徳から政治を切り離すいわゆる近代政治学の嚆矢となった。
エラスムスの世紀」。「人文主義の王者」とも呼ばれたエラスムスは『校訂版 新約聖書』の他『痴愚神礼賛』のような諷刺の効いた著作を含め旺盛な執筆活動を行い、その思想は宗教改革前後の全ヨーロッパを席巻した。画像はハンス・ホルバインによるエラスムスの肖像(ルーヴル美術館蔵)。
マルティン・ルター。彼が1517年に起こしたヴィッテンベルク大学での「95ヶ条の論題」は西方キリスト教世界を大きく分裂させる端緒となった。画像はルターの友人でもあったルーカス・クラナッハによる肖像画(アウクスブルクの聖アンナ教会ドイツ語版蔵)。
ジャン・カルヴァン。パリ大学に学び主著『キリスト教綱要』で改革派であることを表明、ジュネーヴ神権政治を行った。画像はユトレヒトカタリナ修道院博物館英語版博物館にあるカルヴァンの肖像。
システィーナ礼拝堂の「最後の審判」。ミケランジェロによる大画面の壁画でキリストの再臨と死者の再生を題材としているが、西ヨーロッパ世界の信仰分裂の苦悩を表しているとも言われ、その複雑な人体表現はマニエリスム芸術の先蹤ともなった。
ファブリカ』 。ファブリカとは解剖学者アンドレアス・ヴェサリウスの著書『人体の構造』のラテン語での略称のこと。精確で細密な今迄にない写実的な解剖図を添付することで人々を驚かせた。
アントウェルペン。オーストリア系ハプスブルク家の支配下にあったネーデルラントは、スペイン系に支配が移っても長らくヨーロッパ国際貿易の要衝であった。画像はネーデルラントの中心地アントウェルペンにこの世紀に建てられたアントウェルペン市庁舎英語版オランダ語版マルクト広場に面した、壮麗なルネサンス様式建築である。
ピーテル・ブリューゲルの絵画世界。聖書などの物語絵を描く一方で、市井の人々の身近な日常を取り上げ、類例のないこの時代の貴重な記録ともなっている。画像は「ネーデルラントの諺」(ベルリン絵画館蔵)。
サン・バルテルミの虐殺。プロテスタントとカトリックの対立はフランスでは王権をめぐる内戦となり、この混乱からブルボン朝が生まれることになる。画像はスイス・ヴォー州ローザンヌ美術館蔵のフランソワ・デュボワ(16世紀の画家)英語版による同時代の虐殺の記録画。
カルマル同盟の解体と再編。デンマーク王クリスチャン2世の「ストックホルムの血浴」によりスウェーデン人の反発が強まり、グスタフ・ヴァーサを国王とするスウェーデン王国がカルマル同盟から独立した。画像はグスタフ・ヴァーサ(グスタフ1世)の肖像。
奇想の宮廷。神聖ローマ皇帝ルドルフ2世が宮廷をプラハに置いたことにより、この地は学問・芸術・神秘思想の国際マニエリスム文化の中心となった。画像はアルチンボルドによる「ウェルトゥムヌスに扮するルドルフ2世(スウェーデンスコークロステル城英語版蔵)」。
ポーランドの黄金時代英語版ヤゲウォ朝最後の国王ジグムント2世の時代にこの国は経済的にも文化的にも大いに繁栄した。画像はジグムント2世(アウグスト)王のモノグラム「S・A」が刺繡されたタピストリーで1555年頃にブリュッセルで作られたもの。
イヴァン4世。ロシアを強国にするため各地を征服した一方で、専制君主として恐れられ「雷帝(グローズヌイ)」の異名がついた。画像は雷帝死後間もなく描かれたパルスナドイツ語版様式の肖像画(コペンハーゲン国立美術館蔵)。
モスクワの聖ワシリイ大聖堂。ロシアのイヴァン4世(雷帝)がカザン征服を記念して建てたビザンティン様式の教会で、佯狂者聖ワシリイを顕彰している。
ロシアのシベリア征服の始まり。イヴァン雷帝の時代にコサックイェルマークに率いられた一群がシビル・ハン国に大勝してその都カシリクを奪取し、以後シベリアにおけるロシアの東方拡大の端緒となった。画像はワシーリー・スリコフの歴史画「イェルマークのシベリア征服」。
モルダヴィア北部の壁画教会群。オスマン帝国の攻勢に絶えずさらされたスチャヴァ地方では外壁をフレスコ画で飾る独特な教会建築が発展した。画像はその一つモルドヴィツァ修道院英語版
第一次ウィーン包囲。壮麗王とも呼ばれたスレイマン1世の時代にオスマン帝国の領土はハンガリーを含んだ中欧にまで広がり、ヨーロッパ諸国の脅威となった。
オスマン帝国の天文学。1577年に首都イスタンブルに天文台が建てられた。ここで活躍したのがダマスカス生まれのアラブ人天文学者タキ・アルディン英語版であった。画像はタキ・アルディンの研究室を描いた細密画。
チャルディラーンの戦いオスマン朝イェニチェリ鉄砲隊が、無敵を誇ったサファヴィー朝の騎馬軍団クズルバシュを撃ち破った戦いとして知られている。以後西アジアでも鉄砲や大砲の優位性が認められ、「火薬帝国」と呼ばれる帝国の並立が固定化した。
ムガル帝国アクバル大帝。帝国の基盤を固める一方でイスラム教徒とヒンドゥー教徒の融和に尽くした賢君とされている。画像は『アクバル・ナーマ』の細密画ヴィクトリア&アルバート博物館蔵)で戦象に乗って戦うアクバル。
シク教の展開。16世紀初めにパンジャーブ地方ナーナクにより創始された。画像はアムリトサルにあるシク教の中心地ハリマンディル・サーヒブ(黄金寺院。1574年着工)。
サンカローク窯。タイのスコータイ朝の副都シーサッチャナーライ近郊にあった窯で、ここから数多くの焼き物が輸出された。日本では桃山時代に評価が高まり宋胡禄焼(すんころくやき)の名で知られている。画像はロサンゼルス・カウンティ美術館の所蔵作品。
アルタン・ハーン。モンゴルを再統一したダヤン・ハーンの孫でトゥメト部を率いたアルタンは、庚戌の変では北京にまで迫り明の人々を恐れさせた。
寧波。貿易港として文化都市として知られたが、1523年の寧波の乱では日本船同士が衝突を起こし、以後貿易は制限され倭寇が跳梁するきっかけをなした。画像は寧波に残る1561年に建立された中国最古の書庫「天一閣」。
宮廷画家から文人画家へ。明代中期から画壇の中心は文人画となり、沈周を祖とする呉派が伸長した。就中、詩書画に巧みな文徴明は三絶と呼ばれ、90歳の天命を全うし名作を残した。画像は文徴明の「枯木寒泉図」(ロサンゼルス・カウンティ美術館蔵)。
王陽明の登場。明で官学となった朱子学に対し「心即理」や「知行合一」といった理念を掲げたのが陽明学である。明末には陽明学左派の李卓吾のような型破りの学者も現れ、文芸などを通じ思想界はかつてない活気を見せた。
張居正の改革。財政再建と綱紀粛正のため神宗万暦帝のもとで改革を推し進めたのが内閣大学士の張居正である。一条鞭法の導入や全国的な丈量の実施により財政は好転したが、彼の死後、万暦帝の親政で改革はなし崩しにされていった。
万暦赤絵。明の中期から後期には五彩など華やかな意匠の陶磁器が発展し、万暦帝の治世に因み「万暦赤絵」と呼ばれた。画像は「五彩竜仙人文尊形瓶(ボルティモアウォルターズ美術館蔵)」。
雪舟等揚。明に渡って漢画を学んだ雪舟は、山口を拠点に日本各地を遍歴し、戦国画壇の先駆けとなった。画像は雪舟の最晩年にあたる1501年頃に実景をもとに描いた山水画の大作「天橋立図」。
富士信仰の高まり。民間の信仰団体が組織され、その一つ富士講の始祖とされる修験者の角行が活躍したのもこの時代のことである。画像は16世紀前半に狩野元信が描いたと伝わる「絹本着色富士曼荼羅図(富士山本宮浅間大社)蔵)』。
日本の戦国時代。室町幕府の支配が衰えると各地で群雄が割拠する時代へと突入した。画像は1561年の武田信玄上杉謙信の激突を描いた「川中島合戦図屛風」(岩国美術館蔵)。
石見銀山。1533年の本格的な銀生産が始まって以来、長らく尼子氏毛利氏の係争の地であった。ここで産出された銀は世界的な規模で流通し、南蛮貿易や中国の秤量貨幣システムにも影響を与えた。画像は石見銀山の氏神である佐毘売山神社
洛中洛外図応仁の乱後も畿内は争乱が続いたが、京都の復興は目覚ましく、戦国大名もこの地を目指した。画像は織田信長から上杉謙信に送られた「洛中洛外図屛風(上杉本)」(米沢市上杉博物館蔵)で、京都の町衆による祇園祭が描かれている部分。
織田信長尾張の領主から身を起こし、駿河今川氏美濃斎藤氏を倒して勢力を拡大、室町幕府を滅ぼし、時代に先んじた政策で天下へ号令をかけた。画像は愛知県豊田市長興寺にある信長の肖像画。
豊臣秀吉本能寺の変で横死した織田信長の路線を踏襲して、戦国の混乱に終止符を打ち「天下統一」を成し遂げた。画像は狩野光信による絹本着色「豊臣秀吉像(京都高台寺蔵)」。
怪物たちのいる地図。16世紀前半に至っても人跡未踏の地域は未だ広大であり、怪物たちが闊歩する想像力豊かな地図が描かれ続けた。画像はオラウス・マグヌスによって描かれ1539年に出版された北欧の海図「カルタ・マリナ」の部分。
世界地図の変容。16世紀後半には大航海時代の発見や調査に伴う新しい知見が盛り込まれ、新大陸を含めた今までにない世界地図が生まれた。画像はオランダの地理学者ペトルス・プランシウスにより1594年に作成された世界地図。
グレゴリウス暦の誕生。それまで用いられてきた古代ローマ時代以来のユリウス暦の大幅な誤差を正すべく、教皇グレゴリウス13世のもと改暦が行われた。これが現行のグレゴリウス暦である。画像は教皇を前に改暦の議論を続ける天文学者たち。

世界

[編集]

ヨーロッパではルネサンス宗教改革の嵐により中世的な世界観にかわり、近世的な新しい世界観が生まれた。また、これまで天動説の体系が長らく信じられてきたが、ニコラウス・コペルニクスにより地動説が発表された。当初はなかなか支持を得られず、明確に賛同する天文学者ヨハネス・ケプラーガリレオ・ガリレイの登場まで現れなかった。では、ローマ教皇グレゴリウス13世ユリウス暦を改良して新暦となるグレゴリオ暦を制定すると、まずはカトリック国家で使われ始めたが、世界中に浸透するまでにはまだ時間を要することとなる。

スペインが送り込んだコンキスタドールやヨーロッパからもたらされた伝染病などにより、新大陸の既存の文明であるインカ文明アンデス文明)、アステカ文明は滅亡、マヤ文明も大きく衰退(17世紀に滅亡)し、大航海時代における「冒険の時代」から「征服の時代」へと移行した。

西洋史では、ルネサンス宗教改革以降を近世と区分する(イタリア・ルネサンス年表も参照のこと)。

長い16世紀

[編集]

フランスの歴史家フェルナン・ブローデルはその著書『地中海』で、地中海世界を中心とした考察から「長い16世紀」という概念を提唱、およそ1450年から1650年頃に中世から近代の移行期と捉え、この時期にヨーロッパの世界進出、ベネチアの商業資本主義から始まってジェノバの金融資本主義等の誕生と社会の貧富格差激化、やがてイタリアで投資先の消失から利子率の低下と衰退、30年戦争にもつながる不況等が起こったとする[1]

歴史学者の山下範久は、「長い16世紀」を気候変動と交通・商業技術の発展を基本背景とする人口・生産の持続的拡大と経済社会の世界的拡大であるとし、その基本背景はヨーロッパ史に限らず少なくともユーラシアに共通するとしている。即ち、中世の温暖期が終わり、14世紀後半から氷期に入ったが、その中でも15世紀後半から17世紀半ば迄は比較的温暖で生産が伸び人口が回復、また、氷期による乾燥で草原地帯が縮小した為衰退した馬による運輸を補うために航海が造船技術や羅針盤等の航海技術の進歩にも支えられて発展し、貴金属不足を補う信用をもととした金融技術の発達と相俟ってこれらをもたらしたとしている[2]

日本

[編集]

室町時代後期(戦国時代)、安土桃山時代にあたる。

日本は9世紀平安時代以降、断続的に内戦が続き、16世紀には戦国大名の乱立する状態になったが、天下統一を目前に本能寺の変で自害した織田信長に代わり、家臣豊臣秀吉が統一を果たした。しかし、秀吉の死後には豊臣政権内の対立が表面化、関ヶ原の戦いにより徳川家康率いる東軍が政権擁護派の石田三成ら西軍に勝利を収め、家康の覇権を決定的なものとした。

中国・アジア

[編集]

中国では明朝時代中期から後期にあたる。

アジア各国では新たな繁栄の時代となり、国内政治が充実し、文化経済が発展した。新大陸や日本から流れた大量のが世界的なインフレーションを起こし(価格革命)、西欧・アジアの経済が急速に拡大した。

できごと

[編集]

1500年代

[編集]
→詳細は「1500年代」を参照

1510年代

[編集]
→詳細は「1510年代」を参照

1520年代

[編集]
→詳細は「1520年代」を参照

1530年代

[編集]
→詳細は「1530年代」を参照

1540年代

[編集]
→詳細は「1540年代」を参照

1550年代

[編集]
→詳細は「1550年代」を参照

1560年代

[編集]
→詳細は「1560年代」を参照

1570年代

[編集]
→詳細は「1570年代」を参照

1580年代

[編集]
→詳細は「1580年代」を参照

1590年代

[編集]
→詳細は「1590年代」を参照

1600年代

[編集]
→詳細は「1600年代」を参照

人物

[編集]

ヨーロッパ

[編集]

イタリア

[編集]

ポルトガル

[編集]

スペイン

[編集]

ネーデルラント

[編集]

神聖ローマ帝国

[編集]

スイス

[編集]

フランス

[編集]

イングランド

[編集]

スコットランド

[編集]

北欧

[編集]

ハンガリー・ポーランド他

[編集]

ロシア

[編集]

南北アメリカ

[編集]

北アフリカ・西アジア・中央アジア

[編集]

南アジア

[編集]

東南アジア

[編集]

東アジア

[編集]

[編集]

越南

[編集]

モンゴル

[編集]

チベット

[編集]

朝鮮

[編集]

日本

[編集]

誕生

[編集]

脚注

[編集]
[脚注の使い方]

出典

[編集]
  1. ^21世紀を読み解くには「長い16世紀」を知るべきである”. Foresight(フォーサイト). 新潮社. 2026年1月3日閲覧。
  2. ^『もっと深く知る アジアから見る世界史』NHK出版〈NHK3か月でマスターするMOOK〉、2025年10月23日、137-138頁。 
  3. ^The Lusiads”. World Digital Library (1800年 - 1882年). 2013年9月1日閲覧。
  4. ^Mirror of the Cruel and Horrible Spanish Tyranny Perpetrated in the Netherlands, by the Tyrant, the Duke of Alba, and Other Commanders of King Philip II”. World Digital Library (1620年). 2013年8月27日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
  • ウィキメディア・コモンズには、16世紀に関するカテゴリがあります。
16世紀の十年紀と各年
《1490年代 《1500年14世紀 15世紀 - 16世紀 - 17世紀 18世紀1601年》 1610年代》
1500年代1501年1502年1503年1504年1505年1506年1507年1508年1509年
1510年代1510年1511年1512年1513年1514年1515年1516年1517年1518年1519年
1520年代1520年1521年1522年1523年1524年1525年1526年1527年1528年1529年
1530年代1530年1531年1532年1533年1534年1535年1536年1537年1538年1539年
1540年代1540年1541年1542年1543年1544年1545年1546年1547年1548年1549年
1550年代1550年1551年1552年1553年1554年1555年1556年1557年1558年1559年
1560年代1560年1561年1562年1563年1564年1565年1566年1567年1568年1569年
1570年代1570年1571年1572年1573年1574年1575年1576年1577年1578年1579年
1580年代1580年1581年1582年1583年1584年1585年1586年1587年1588年1589年
1590年代1590年1591年1592年1593年1594年1595年1596年1597年1598年1599年
1600年代1600年
千年紀世紀
紀元前 (BC)
BC11千年紀以前 -BC10千年紀 -BC9千年紀 -BC8千年紀 -BC7千年紀 -BC6千年紀 -BC5千年紀
BC4千年紀BC40世紀BC39世紀BC38世紀BC37世紀BC36世紀BC35世紀BC34世紀BC33世紀BC32世紀BC31世紀
BC3千年紀BC30世紀BC29世紀BC28世紀BC27世紀BC26世紀BC25世紀BC24世紀BC23世紀BC22世紀BC21世紀
BC2千年紀BC20世紀BC19世紀BC18世紀BC17世紀BC16世紀BC15世紀BC14世紀BC13世紀BC12世紀BC11世紀
BC1千年紀BC10世紀BC9世紀BC8世紀BC7世紀BC6世紀BC5世紀BC4世紀BC3世紀BC2世紀BC1世紀
紀元 (AD)
1千年紀1世紀2世紀3世紀4世紀5世紀6世紀7世紀8世紀9世紀10世紀
2千年紀11世紀12世紀13世紀14世紀15世紀16世紀17世紀18世紀19世紀20世紀
3千年紀21世紀22世紀23世紀24世紀25世紀
4千年紀以降
全般
国立図書館
芸術家
その他
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=16世紀&oldid=108286865」から取得
カテゴリ:
隠しカテゴリ:

[8]ページ先頭

©2009-2026 Movatter.jp