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鯱(しゃち、しゃちほこ)は、姿は魚で頭は龍あるいは虎、尾ひれは常に空を向き、背中には幾重もの鋭いとげを持っているという想像上の動物。また、その形をした、屋根の大棟の両端につけられる装飾・役瓦の一種である。鯱の一文字でしゃちともしゃちほことも読むが、二文字で鯱鉾(しゃちほこ)とも書かれる。なお鯱は和製漢字である。
海生哺乳類のシャチ(Orcinus orca)の名前がこの鯱に基づくと言われることが有るが、「しゃち、しゃちほこ」という名称の使用はシャチに対しての方が歴史が古い[1]。なお、シャチの漢字表記としては元々は鱐が使われる[1][2]。
鯱はもともとは頭が龍(もしくは虎)、体が魚であるとする火伏せの霊験があるとされる想像上の霊獣である[3]。
鯱の形をした屋根の大棟を飾る飾瓦・役瓦を鯱瓦ともいう[3][4]。鯱には火伏せの霊験があることから、建物が火事の際には水を噴き出して火を消すという[3]。
同様に屋根の大棟の両端につけられる装飾として鴟尾があり、鯱は、この鴟尾から中国で派生した螭吻(チフン。または蚩吻、鴟吻(シフン))が日本に伝わったものである。中国の螭吻も同じく火伏せのまじないとして屋根に置かれたものであった。また、日本においても元々はしゃちほこでなく蚩吻もしくは鴟吻と呼ばれており、しゃちほこと呼ばれるようになったのは江戸中期以降である[1]。『大和本草』(1709年)や『和漢音釈書言字考節用集』(1717年)は鴟吻と書いてシャチホコと訓読している。
また、『和漢三才図会』(1712年)などに魚虎(しゃちほこ)という表記が見られる[5][6](なお『和漢三才図会』は「瓦」の段にて「蚩吻今で云う鱐(シャチホコ)」とも載せている[7])。
螭吻は中国では唐代には出現している[8]。日本には鎌倉時代には伝わっていたようで、鎌倉時代の絵物語『男衾三郎絵詞』(1295年頃)に、屋根に載った鯱が描かれている[1]。現存するものとしては長野県の大法寺に鎌倉時代末期から室町時代初期頃の制作の鯱がある。
室町時代には寺社の屋根や、寺院堂塔内にある厨子等を飾るものであった。のちに城郭建築に採用されるようになったが、その最古の例は安土城のものとされる[3][4](後述)。
明代中国の博物書『本草綱目』(1596年)には魚虎として「虎の頭を持ち、背にハリネズミのように針を持つ魚」が載るが、江戸初期の『多識編』(1612年)はこの魚虎をしゃちほこ(志也知保古)であるとした(なお『庖厨備用倭名本草』(1671年)はこれらの特徴をオコゼ(をこじ)に似るとし、『重訂本草綱目啓蒙』(1847年)はハリセンボンであるとする)。
『本草綱目』の挿絵における魚虎の姿はその説明の通り「虎の頭を持った魚」であったが、『和漢三才図会』(1712年)は魚虎を「龍の頭を持った魚」として描き、また、『本草綱目』の説明に加えて「歯や鰭が剣鉾のようで、鯨を襲い舌を噛み切る魚」の説明を載せ(なお『和漢三才図会』は「鯨」の段においてもこの魚虎(シャチホコ)を紹介する[9])、屋根に置く蚩吻はこの魚虎であると説く。
粘土製の鯱瓦は、重量軽減や乾燥時のひび割れを避けるために中を空洞にして作られているため、非常に壊れやすい。棟から突起した心棒と呼ばれる棒に突き刺し、補強材を付けて固定される。
木造の鯱は、木製の仏像を造る原理に木を組み合わせて、ある程度の形を造っておき、防水のため、外側に銅板などを貼り付けて細かい細工なども施す。粘土製と同じく心棒に差し込み補強材を付けて固定される。
城の天守や主要な櫓や櫓門などにはよく陶器製(鯱瓦)のものが置かれる他、青銅製や木芯銅板張りなどのものもある[3]。
城郭の装飾に用いられる鯱瓦では、胴部の成形方法が一体成形から上下の分割成形に、胸鰭の成形方法が胴体との一体成形から分離枘(ほぞ)差し型に、尾鰭の成形方法が扇形から二股形に変化した[3]。また、鱗も薄い粘土板を一枚ずつ貼り付ける形式から、U字形ヘラ刻み式、U字スタンプ押し式へ変化した[3]。
織田信長が安土城天主の装飾に取り入れて使用したことから城郭の装飾に使われることが広まったと言われる[10]。城郭建築に用いられている銅板張木造鯱のもので最大の現存例は松江城天守(高さ2.08メートル)のものといわれている[11]。青銅製(鋳造)のものでは、高知城天守のものがある。
織田・豊臣政権のもとでは権威や政治的位置を象徴するものとして、顔や鰭などに金箔を貼り付けた「金箔鯱瓦」が用いられた[3]。江戸時代になると名古屋城天守や江戸城天守で木芯に金板を打ち付けた金鯱が出現した[3]。
鯱は神社の狛犬と同様に雌雄一対(雄が開いた口、雌が閉じた口の様式)となっていることが多い[12](阿吽も参照)。姫路城の鯱鉾は雌型のみしか資料が残っていなかったため全て雌型で再建されている。
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