| この項目では、俳優の渡辺徹について記述しています。俳優以外の同名の人物については「渡辺徹」をご覧ください。 |
| わたなべ とおる 渡辺 徹 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 本名 | 渡辺 徹 | ||||
| 生年月日 | (1961-05-12)1961年5月12日 | ||||
| 没年月日 | (2022-11-28)2022年11月28日(61歳没) | ||||
| 出生地 | |||||
| 出身地 | |||||
| 死没地 | |||||
| 身長 | 180cm[1] | ||||
| 血液型 | A型 | ||||
| 職業 | 俳優、歌手、タレント、司会者 | ||||
| ジャンル | テレビドラマ、映画、舞台 | ||||
| 活動期間 | 1981年 -2022年 | ||||
| 活動内容 | 1981年 - (文学座研究生・座員として)2022年 | ||||
| 配偶者 | 榊󠄀原郁恵[2](1987年 -2022年) | ||||
| 著名な家族 | 渡辺裕太(長男)[3] 渡辺拓弥(次男)[4] | ||||
| 所属劇団 | 文学座 | ||||
| 事務所 | 文学座映画放送部 | ||||
| 公式サイト | プロフィール | ||||
| 主な作品 | |||||
| テレビドラマ 『太陽にほえろ!』 『風の中のあいつ』 『気になるあいつ』 『いのち』 司会 『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』 『スーパーマリオクラブ』 『オールスター赤面申告!ハプニング大賞』 『直撃!!ウワサの5人』 『アングリー・セブン』 映画 『夜明けのランナー』 舞台 『功名が辻-山内一豊の妻-』 『あかさたな』 | |||||
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渡辺 徹(わたなべ とおる、1961年〈昭和36年〉5月12日[1] -2022年〈令和4年〉11月28日[5]) は、日本の俳優、歌手、タレント、司会者。文学座所属[1]。妻は女優、タレントの榊󠄀原郁恵[2]。
栃木県小山市にて、流しのアコーディオン弾きの子として出生[6][7]。生後3か月で、茨城県古河市に転居[6][注釈 1]。父親の職業は“流し”で、様々な盛り場を流して歩いてお金をもらう職業のため定住をしなかった[6]。母親は茨城の古河の食堂の看板娘[6]。渡辺の記憶にある最初の家は古河の6棟の三軒長屋で、安普請の六畳間と四畳半の台所の二間だった[6]。幼稚園の年長の時に同じ古河市内の松原町から小砂町へ転居[6]。
子供のころはケンカばかりの毎日であった[6]。当時の古河市はサッカーが盛んであり、小学3年生からサッカーを始めた[6]。茨城県古河市立古河第一中学校卒業。同級生に物理学者になる大槻東巳がいた。茨城県立古河第三高等学校卒業。高校在学中は生徒会長を務める。
1980年、高校卒業後に文学座附属演劇研究所本科に入所。同じく文学座出身の第二の中村雅俊として売り出す。翌年、同研究所本科を卒業して文学座研修科の研究生となる。
文学座に入って間もなく、テレビドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ・東宝)の新人刑事役に抜擢され、一躍人気を獲得した。1981年に放送された同ドラマの通称名・ラガー(竹本淳二)刑事役でデビュー(1985年まで出演)。1982年、EPICソニーから『彼〈ライバル〉』で歌手デビュー。同年発売のセカンドシングル『約束』は、グリコ「アーモンドチョコレート」のCMソングとなり大ヒット。1983年、『夜明けのランナー』(東宝) で映画デビュー。
1984年、キリン生AのCMでジャッキー・チェンと共演し、武道館のイベントに出席する。
1985年には正式に文学座座員となり、演劇以外の仕事もこなす中、終生所属を続けた。
1987年10月14日、榊󠄀原郁恵と結婚[2]。披露宴の模様は日本テレビ系列で生中継された[9]。郁恵とは日本テレビ系『風の中のあいつ』『気になるあいつ』で共演していた。
1993年に当時27歳のモデルとの約300日間に及ぶ愛人生活を報じられたことから記者会見を開き、不倫を否定した[7]。
1998年のNHK大河ドラマ「徳川慶喜」において倒幕に向け、次々とあくどい所業を企て実行してゆく西郷隆盛を威厳と貫禄十分に演じ切って見せた。また、本来「文学座」の所属俳優だったことから、多忙な中でも年に1 - 2本のペースで原点である劇団公演を中心に舞台に立ち続けていた。
司会者・マルチタレントとしても幅広く活動。司会者としては、三田佳子、芳村真理、野際陽子、和田アキ子、上沼恵美子、山田邦子といった女性タレント達のサポート役を歴任し、メイン司会者を立てつつ自らの存在感も同時に発揮する独特の司会術を持ち合わせていた。それ以外にまた、後進の育成指導にあたったほか、講演会出演やナレーター業等、まれにドラマの脇役等も含めゲスト出演していた。
ラジオではNHKFM『おしゃべりクラシック』のパーソナリティを8年務め、クラシックコンサートなどにも出演していた。ほかにも学校法人和光学園の理事や大学教員を務めた。
2014年4月より淑徳大学人文学部表現学科客員教授、2019年より城西国際大学メディア学部特任教授を務めた。
2019年に茨城県で開催された第74回国民体育大会(いきいき茨城ゆめ国体)では総合開閉会式の総合司会を務めた[10]。
若いころは1日6000kcalを摂取する大食漢であった。こうした影響もあり、30歳で急性糖尿病を発症。1990年代以降、急激なダイエットやリバウンドを何度も繰り返しながらたびたび病気との戦いを迎える。2012年の虚血性心疾患の他、2013年には膵炎で入院し、2021年5月に大動脈弁狭窄症の手術を受け[11]、同年7月11日には体が優れないまま活動を再開している[12]。晩年は糖尿病を起因とする慢性腎不全のため、週3回の人工透析を受けていた[13]。
2022年11月19日、「心臓病とともに元気に生きる」をテーマにした秋田大学医療フォーラムにオンライン対談(テレワーク)での出演が生前最後の仕事となった[14]。体調を崩したまま当日から発熱が見られたため、新型コロナウイルス検査を実施し、結果は陰性判定であったが、念のため会場には登壇せず別室からZOOMによるオンラインでの出演(テレワーク)に切り替えていた[15]。帰京後の翌20日に発熱や腹痛などの症状で都内の病院で検査を受け、細菌性胃腸炎と診断され入院。その後容態が悪化して敗血症となり、人工呼吸器やECMOを装着されて集中治療を受けていたものの、2022年11月28日午後9時01分、敗血症のため死去[5][16]。61歳没。訃報は同年12月2日に公表された[13][17][18][19]。
12月5日、東京都内の斎場で長男の渡辺裕太を喪主として家族葬が営まれ、その後荼毘に付された。同日、ホリプロ事務所で妻の榊原郁恵と渡辺裕太が揃って会見し、郁恵は「お足元悪い中、世の中がサッカーで盛り上がっている中で、渡辺徹のことで集まって頂き、家族としてすごくうれしいです。話題にしてもらって、渡辺徹のことをああだこうだ言ってもらえることは、それを見て『渡辺徹は偉大だったんだな』と思います。まずは感謝しております」と語った[20]。戒名は「陽光院賢徳徹真居士」[21]。2023年3月28日にグランドプリンスホテル新高輪でお別れの会が行われ、約1200人が出席した[22]。
身長180 cm。血液型はA型。趣味は草野球、将棋(二段)。2014年に日本将棋連盟より将棋親善大使を委嘱される[23]。芸能界でよく指した相手としてコントでよく共演した志村けんがおり、志村によると「徹ちゃんの方が全然強い」とのこと[24]。また、霊感があり、『ダウンタウンDX』などのトークバラエティ番組にゲスト出演する際には自身が体験した怪談話を披露することが多い。
関西出身ではないが、エセ(似非)関西弁でツッコミを入れることもあった。これは、かつて抱えていた6人の付き人が全員大阪出身であったために自然に関西弁がうつったこと、大阪で約20年間レギュラー番組を持っていたことが影響していると話している[25]。
子供のころから肥満児であった。「太陽にほえろ!」のオーディションに合格した時は83kgほどであったが、オーディション合格から撮影開始まで半年以上の期間があったため、その間にアクションや体作りの特訓で絞り込まれ、69kgになった。「太陽にほえろ!」降板・終了後は、TBSの料理番組「料理天国」にレギュラー出演したこともあり、20代後半には130kg前後まで体重が増える。役者としての仕事が減少したことから、司会者・タレントとしての活動が多くなった。
ピークは結婚時であったため、妻である郁恵の料理によりダイエットに成功し、1991年には90kgまで減量に成功した。その後も何度か増減を繰り返しているが、2012年4月に虚血性心疾患であることが判明し、5月に手術を受け、退院時には79kgまで体重が減少した[26][27]。
肥満を心配した郁恵に「マヨネーズ禁止令」を出されている中で、隠れて大量摂取するほどのマヨネーズ好きであった。没後に行われたお別れの会の際には故人に因んで、特製ラベルが貼られた渡辺徹オリジナルデザインのマヨネーズが参列者に返礼品として贈られている[28]。
両親は結婚を反対されて駆け落ちして一緒になっていて、「子供はいらない」と言った父親を母親が説得して生まれたのが渡辺である[6]。母の兄は妹を奪った渡辺の父のことを「見つけたらぶっ殺してやる」と言って探し回っていたが、渡辺が小学校の3年生の頃に和解している[6]。
妻は歌手、タレント、女優の榊󠄀原郁恵。郁恵とは「おしどり夫婦」として知られていたが、2度の不倫の事実があり、郁恵がその度に許していた[7][29]。2児の父であり、長男は俳優・タレントの渡辺裕太[3]。次男の渡辺拓弥も2024年に俳優デビュー[30]。少年時代、貧しい長屋暮らしだったことから“家”への思い入れが強く、長男が生まれると世田谷の一等地に豪邸を建て、さらに次男が誕生すると、同じ世田谷に推定4億円の豪邸を設けた[7]。
| # | 発売日 | A/B面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格品番 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| EPIC・ソニー | |||||||
| 1 | 1982年 4月21日 | A面 | 彼《ライバル》 | 山川啓介 | 堀内孝雄 | 石川鷹彦 | 07・5H-117 |
| B面 | コスモス246 | ばんばひろふみ | 瀬尾一三 | ||||
| 2 | 1982年 8月25日 | A面 | 約束 | 大津あきら | 鈴木キサブロー | 大村雅朗 | 07・5H-132 |
| B面 | 青空よメモリー | ||||||
| 3 | 1982年 12月10日 | A面 | 愛の中へ | 木森敏之 | 07・5H-146 | ||
| B面 | Season | ||||||
| 4 | 1983年 5月21日 | A面 | 灼けつくメモリー | 来生えつこ | 来生たかお | 川村栄二 | 07・5H-163 |
| B面 | 心に海を抱きしめて | 尾崎亜美 | |||||
| 5 | 1983年 9月21日 | A面 | AGAIN | 康珍化 | 鈴木キサブロー | 大村雅朗 | 07・5H-171 |
| B面 | 君に愛のすべてを | 岡本おさみ | 財津和夫 | ||||
| 6 | 1984年 5月1日 | A面 | 瞳・シリアス | 松本隆 | 筒美京平 | 川村栄二 | 07・5H-200 |
| B面 | 6月の別れ | 井上鑑 | |||||
| 7 | 1985年 8月25日 | A面 | 気になるあいつ | ちあき哲也 | 杉本真人 | 桜庭伸幸 | 07・5H-259 |
| B面 | 涙のゆくえ | 秋元康 | 伊藤心太郎 | 船山基紀 | |||
| 8 | 1986年 2月1日 | A面 | 熱情 | 有川正沙子 | 稲葉喜美子 | 大谷和夫 | 07・5H-282 |
| B面 | 夢の予感 | 大津あきら | 木森敏之 | 新川博 | |||
| ワーナー・パイオニア | |||||||
| 9 | 1991年 4月10日 | 01 | ビタミンCM | 高木篤 | 久米大作 | WPDL-4225 | |
| 02 | (IKE IKE MEGA-MIX) | 高木篤 ラッキィ池田 | |||||
| 発売日 | デュエット | 曲順 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格品番 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| キングレコード | |||||||
| 1994年 3月16日 | 山田邦子[注釈 5] | 01 | ちょーどいいのがNo.1 | 山田邦子 | 小杉保夫 | 加藤みちあき | KIDS-178 |
| 02 | My Destiny | 渡辺徹 | 茂村泰彦 | ||||
| 東芝EMI | |||||||
| 1995年 9月27日 | 山田邦子[注釈 6] | 01 | 遠い夢に逢えるまで | 森雪之丞 | 平間あきひこ | TODT-3502 | |
| 02 | D!〜グースカピー〜 | 山田邦子 | 庄野賢一 | ||||
| 発売日 | レーベル | 規格 | 規格品番 | アルバム |
|---|---|---|---|---|
| 1984年06月21日 1984年11月21日 1992年12月12日 1995年08月21日 | EPIC・ソニー | LP CT CD | 28・3H-126 28・6H-108 ESCB-1374 ESCB-1639 | TW〜BEST SELECTIONS〜 |
| 2011年11月23日 | Sony Music Direct | CD | MHCL-1855 | GOLDEN☆BEST 渡辺徹〜シングル・コレクション〜 |
| 年 | 楽曲 | タイアップ |
|---|---|---|
| 1982年 | 約束 | グリコ「アーモンドチョコレート」CMソング |
| 愛の中へ | ||
| 1983年 | AGAIN | 東宝映画「夜明けのランナー」主題歌 グリコ「アーモンドチョコレート」CMソング |
| 1984年 | 瞳・シリアス | 日本テレビ系テレビドラマ「風の中のあいつ」主題歌 |
| 1985年 | 気になるあいつ | 日本テレビ系テレビドラマ「気になるあいつ」主題歌 |
| 1986年 | 熱情 | 日本テレビ系テレビドラマ「春風一番!」主題歌 |
| 1992年 | ビタミンCM | 放送広告の日・CMソング |
| 1994年 | ちょーどいいのがNo.1 | テレビ朝日系「あなたが主役」EDテーマ |
| 1995年 | 遠い夢に逢えるまで |
| ディスコグラフィー |
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|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| テレビドラマ | |||||||||
| テレビ番組 |
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| ラジオ番組 |
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| 関連項目 | |||||||||
| 関連人物 | |||||||||
24時間テレビ総合司会 | |
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| 1978年 - 2000年 |
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| 2001年以降 | |
エランドール賞 新人賞 | |
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| 1950年代 | |
| 1960年代 | |
| 1970年代 |
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| 1980年代 | |
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 | |