北マリアナ諸島自治連邦区 (きたマリアナしょとうじちれんぽうく、チャモロ語 :Sankattan Siha Na Islas Mariånas 、英語 :Commonwealth of the Northern Mariana Islands 、カロリン語 : Commonwealth Téél Falúw kka Efáng llól Marianas)、通称北マリアナ諸島 (チャモロ語 :Notte Mariånas )は、ミクロネシア のマリアナ諸島 のうち、南端のグアム島 を除く、サイパン島 やテニアン島 、ロタ島 などの14の島 から成るアメリカ合衆国 の自治領 (コモンウェルス )である。主都 は、サイパン島のススペ 。
北マリアナ諸島は、1945年 まで日本 の委任統治 領である「南洋諸島 」を構成していたが、戦後、米国の信託統治 下の太平洋諸島信託統治領 となった。
その後、ともに太平洋諸島信託統治領を構成したパラオ ・マーシャル諸島 ・ミクロネシア連邦 が米国と自由連合 関係にある独立国となったのに対し、北マリアナ諸島は米国の自治地域であるコモンウェルス となった。北マリアナ諸島の住民は、米国の市民権を有する。
州 とは異なり連邦税の納税 義務を持たず、合衆国大統領選挙 の投票権もない。ただし二大政党の合衆国大統領予備選挙 では州同様の代議員選出権があり、大統領候補者指名に加わることができる。
合衆国議会 の議員選挙権も無く、首都ワシントンD.C. に北マリアナ政府代表が常駐するにとどまっていたが、2008年 よりオブザーバーの資格で合衆国下院 の委員会に代表委員を送ることが認められるようになった。
「北マリアナ諸島連邦」と日本語訳されることがあるが、連邦 制を敷いているわけではない。
北マリアナ諸島の地図 北から順番に以下の通りとなる[ 1] [ 2] 。
日本語 チャモロ語 英語 人口 人 面積 km2 最高標高 m 北緯N 東経E 行政区画 ファラリョン・デ・パハロス島 (ウラカス島)Farallon de Pajaros (Uracas) Farallon de Pajaros (Urracas) 0 2.55 319 20°33' 144°54' 北部諸島市 マウグ島 Måug Maug Islands 0 2.13 227 20°02' 145°19' アスンシオン島 Asuncion Asuncion 0 7.31 891 19°43' 145°41' アグリハン島 Agrigan Agrihan 0 43.51 965 18°46' 145°40' パガン島 Pågan Pagan 0 47.24 579 18°08' 145°47' アラマガン島 Alamågan Alamagan 0 11.11 744 17°35' 145°50' ググアン島 Guguan Guguan 0 3.87 301 17°20' 145°51' ジーランディア礁 Papaungan Zealandia Bank 0 0 0 16°45' 145°42' サリガン島 Sarigan Sarigan 0 4.97 549 16°43' 145°47' アナタハン島 Anatåhån Anatahan 0 31.21 787 16°22' 145°40' ファラリョン・デ・メディニラ島 Farallon de Medinilla Farallon de Medinilla 0 0.85 81 16°01' 146°04' サイパン島 Sa'ipan Saipan 48,220 115.38 474 15°11' 145°44' サイパン市 サイパン海峡 テニアン島 Tini'an Tinian 3,136 101.01 170 14°57' 145°38' テニアン市 (英語版 ) テニアン海峡 アギガン島 (アグイハン島)Aguiguan Aguigan / Aguihan / Aguijan 0 7.10 157 14°42' 145°18' ロタ島 Luta Rota 2,527 85.39 491 14°08' 145°11' ロタ市
ロタ島の南にはアメリカ合衆国 準州 のグアム島 がある。グアム島も含める場合はマリアナ諸島 と呼ぶ。
北マリアナ諸島政府代表 他の州と同様に三権分立 の原則に基づき自治政府が構成されている。 外交 と防衛 は、アメリカ合衆国連邦政府に委任している。死刑 制度は無い。紀元前 に東南アジア から渡って来たチャモロ人 の定住を経て、古代にはタガ王朝 が成立した。1565年には全島がスペイン の支配下に入ったが、チャモロ人の反乱は絶えず、スペイン=チャモロ戦争 が勃発する。1698年には全島民がグアムに強制移住させられた。1898年、米西戦争 の結果ドイツ領 となり、第一次世界大戦後、日本 の国際連盟 委任統治領 になる。太平洋戦争中、日米の激戦地として住民を巻き込んだ地上戦 が展開された。戦後、アメリカ の国連信託統治領 を経て、1978年から北マリアナ諸島としてアメリカの自治領 になる。
南洋庁サイパン支庁
戦前の彩帆香取神社
太平洋諸島信託統治領政府庁舎
北マリアナ諸島のコモンウェルス盟約の署名
北マリアナ諸島政府本庁
チャモロの民族衣装 日本統治時代のチャモロ人(1930年代 ) アメリカ市民権を有する者の中では、先住民族 のチャモロ人 ・カロリン人 が圧倒的に多い。先住民の多くが、スペイン 統治時代に伝来したカトリック を信仰している。最初にこの島々に居住した人々の子孫はチャモロ人 と呼ばれるが、現在はミクロネシア連邦 に属するカロリン諸島 との交流も古い伝統があり、カロリン諸島系の住民(カロリン人)も少なくない。
ドイツ 及び日本 による統治時代には、先住民による遠洋航海禁止政策によって、一旦カロリン諸島との交流は途絶えたが、1970年 にサタワル島 の航法師ルイス・レッパンルックが再びカロリン諸島とサイパンの間をカヌー によって航海し、現在は両者の交流は再び盛んになっている。
戦後、北マリアナ諸島には、多くの外国人が移住しており、特にフィリピン人 と中国人 の人口は、チャモロ人を凌駕している。
民族構成の比率表(2010年)[ 4] 民族出自 人口 比率 アジア系 フィリピン系 19,017人 35.29% 中国系 3,659人 6.79% 韓国系 2,253人 4.18% その他 1,979人 3.67% ハワイ・太平洋系 チャモロ系 12,902人 23.94% カロリン系 2,461人 4.57% その他 3,437人 6.38% その他 1,343人 2.49% 複合人種 6,832人 12.68%
北マリアナ諸島では、主に公用語 である英語 、チャモロ語 やカロリン語 が話される。
ホテル・ニッコー・サイパン 主要産業は、日本人 を対象にした観光業 であり、観光客のほとんど(7割以上)を日本人が占めている。かつて、JALグループ は、グアム以上にサイパンの観光開発を重視しており、日本‐サイパン間の路線を毎週14便運航し、年間16万人を旅客輸送していた。ホテル経営にも積極的で、ホテル・ニッコー・サイパン を営業しており、最盛期には、大型ショッピングモールラ・フィエスタ・サン・ロケ・ショッピングプラザ をオープンさせ脚光を浴びていた。ラ・フィエスタでは、日本航空 のジャンボジェットで空輸した雪で雪まつりが行われ、観光客のみならず地元住民も楽しみにしているイベントであった。
しかし2005年 後半以降、収益性の低いリゾート路線のコスト削減の観点から、日本航空の定期便運休やサイパン地点撤退の影響もあり、ピーク時に比べ30%減と日本人観光客が減少傾向にある。これに対して韓国人 や中国人 の観光客が増加しているが、日本人観光客減少の損失を補えるほどではなかったため、北マリアナ経済は大きな打撃を受けることとなった。マリアナ政府観光局は、再び日本人観光客を誘致するための政策を行っているが、2018年 5月6日をもってデルタ航空 がサイパンから撤退することが決定し、サイパンと日本を結ぶ直行便は途絶えることとなった[ 5] 。しかしマリアナ政府観光局の働きかけにより、2019年 3月22日からスカイマーク が成田 〜サイパン間に国際チャーター便を就航させ、2019年11月29日より定期便化し、サイパンへの定期直行便が復活した[ 6] [ 7] 。だが、新型コロナウイルス感染症 の拡大に伴い2020年 3月26日以降運休しており、再開は未定となっている[ 8] [ 9] 。再びサイパン直行便が途絶えることとなったが、2022年 9月1日よりユナイテッド航空 が成田国際空港~サイパン国際空港を週三回往復する定期便を就航することとなった。ユナイテッド航空は、統合相手であるコンチネンタル航空 がかつて就航していた路線である成田-サイパン便を合併後に復活させたという形になる[ 10] [ 11] 。
かつて存在していた縫製工場 また、かつては繊維業 が盛んであった。北マリアナ諸島では、コモンウェルス盟約の規定により、独自の労働法 や出入国管理 制度が認められていたため、最低賃金 を合衆国政府が定める基準よりも低く設定し、そして、入国審査も緩くすることで中国人の出稼ぎ労働者 を受け入れ、彼らが働く繊維工場が域内各地に出来た。北マリアナ諸島は米国領であるため、「Made in USA 」の表示が許され、安価な北マリアナ製衣服が市場を席巻した。しかし、労働者に対する不当な搾取や、当地で生まれた子に米国籍を取得させるために中国人の妊婦が大挙して渡航する等の問題化したため、合衆国政府は北マリアナ諸島政府からこれらの権限を剥奪し、合衆国政府の管理下に置くこととなった。そのため、これらの繊維工場は次々と閉鎖されることになった。
2005年に国内リーグの北マリアナ諸島サッカーリーグ が創設された。北マリアナ諸島サッカー協会 (NMIFA)によって構成されるサッカー北マリアナ諸島代表 は、FIFA には未加盟のためFIFAワールドカップ には参加出来ない。アジアサッカー連盟 (AFC)には2020年12月に正規加盟が承認された。EAFF E-1サッカー選手権 の予選には出場しているが、本大会には未出場である。
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