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テキサス州に住んでいた時、
多くのクリスチャンの方々と交流させていただいた。
今思うとあの頃の私には偏見があり、
彼ら彼女らが何に向き合い何をしていたのか理解できていなかったと思う。
敬虔な教徒の夫婦が最愛の息子を交通事故で亡くしたとき、
彼らは絶望の中でこれは「私たちの知る由もない神の壮大な計画の一部なのだ」
と本気で思い、悲しみを乗り越えようとしていた。
周りの人たちはその痛みに寄り添いながら、
自分にも起こるかもしれない一見理不尽に見える神を受け入れようとしていた。
それをクリスチャンの方々はfaithとおっしゃっていた。
私自身は軸関連では全く酷い状態ではあるが、
その中でも失わないfaithとは何だろうか?
その対象は既存の名のある神ではないが、潜在意識全般とでも言えようか。
人智を超えた世界に思いを馳せている今日この頃です。
農業前:自然から食べ物を頂く、畏怖し感謝する存在
農業後:自然は管理及び搾取すべきモノ/資源であり、人間はこれをコントロールできる
自然をモノとしか見ない人間中心主義に移行する転換点に農業があるのではないか、と思った。
すると現代の農業を転換することは、この人間中心主義思想の根本的な転換に当たるのではないか。
それは単に狩猟採取時代に回帰する事ではなく、より高いレベルの調和を実現する事でなされる。
ありのままにみること。
自他共に。
思ったよりフィルターが多くて少し困惑してる。
とりあえずR揺らぎしていくしかない。
確かにこれらのフィルターを通すと固まってる感じがある。
魚と出刃包丁を買ってきた。
鯛とサバ。
一人で捌くのは初。
意を決して真新しい出刃をおもむろに鯛に入れていくが、、、
全然切れない。
切れ味がないとかのレベルじゃないくらい切れない。
無理やり頭を落とそうと苦戦した挙句気づく。
「鱗。。。。」w
魚の防御力は素晴らしいものだと学んだ。
背びれや腹ビレにも苦戦しつつ何とか3枚におろし、サバはしめ鯖に、鯛は刺身と適当に焼いてみよう。
頭と骨身はあら汁になるべくコトコト煮ている。
バタバタした船出だけど、とりあえず一歩前進。
ゆる、軸タン、ベスト、リアスクワット、尺八。
Dr. Strangeという映画にあった世界観。
これは現実なのだ。
人は物理空間で傷つけられても、情報空間で傷つけられても死んでしまう。
上達あるのみ。
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