2011年3月11日、東日本大震災。大規模な停電と通信網の途絶により、多くの人々が情報から孤立する中、唯一の命綱となったメディアがありました。それは、電池さえあれば情報を届けることができる「ラジオ」でした。この震災で甚大な被害を受けた宮城県名取市で、被災者へ生活情報を届けるため、震災のわずか1か月後に産声を上げた臨時災害放送局がありました。 その「声」は、やがて復興のシンボルとなり、市民に愛されるコミュニティFMへと姿を変えました。今回は、この東日本大震災の経験を原点に持つ、株式会社エフエムなとり(愛称:なとらじ801)の決算を分析。災害時の「命のラジオ」としての使命を背負い、平時には地域を元…