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八幡神
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八幡神

(一般)
【はちまんじん】

最も早い神仏習合神。本来は豊前国(大分県)宇佐地方で信仰されていた農業神とされる。781年、仏教保護・護国の神として大菩薩の号を贈られ、以後寺院の鎮守に勧請されることが多くなった。また八幡神を応神天皇とその母神功皇后とする信仰や、平安末期以降、源氏の氏神とする信仰が生まれ、武神・軍神としての性格を強めた。


三省堂提供「大辞林 第二版」より

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富岡八幡宮で八幡神を考える

2025年9月6日(土) 台風一過、富岡八幡宮(江東区)に行ってきた。 江戸最大の八幡宮とのことで、境内にたくさんの見どころがあった。 伊能忠敬像。日本全国を測量して近代日本地図を作った人だ。遠国を測量しに行く時は必ずこの神社で安全を祈願したらしい。 横綱力士碑。ここが江戸勧進相撲発祥の地らしい。 さて、東京は八幡宮が本当に多い、ような気がする。徳川家もとい源氏の氏神だから当然かもしれないが、日本全国でも稲荷社に次いで数が多いそうだ(数え方によっては八幡宮が一番)。 八幡神は応神天皇のことである、というのは以前から知っているが、それ以上のことは知らない。そもそも記紀に載っていない神様だ。何だろ…

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【景行天皇以降と応神王朝の成立②】

仲哀天皇は中津彦王なのか? 『古事記』から12代から14代の天皇についてみてみますと、12代の景行天皇は纒向(奈良)にいたことになっていますが、『日本書紀』では晩年は滋賀の高穴穂宮に移ったことになっていて、ヤマトを治めていたのか?と疑わしいところがあります。この天皇に関しては熊襲征伐、東国征伐と東西に奔走した皇子のヤマトタケルの話で終始するのです。また、カグロヒメノ命を娶っていることになっていますが、カグロヒメノ命は自分の息子であるヤマトタケルの息子のワカタケルの娘ですので、ひ孫を娶っていることになり、合理性に欠けます。ヤマトタケルの話は出雲口伝が伝えるように、景行天皇自身が各地を転戦していた…

八幡神を祀る秦氏の謎

八幡宮は全国どこにでもあり、自分の町にもある。 全国一、二の神社数を誇る八幡神と稲荷神だが、その祭祀を創始したのは秦氏だと伝わる。 しかし八幡神を奉斎した秦氏と、稲荷神を奉斎した秦氏は、はたして同じ秦氏だったのだろうか? というのが、今回のテーマである。 八幡神は伝承で「新羅の神を祀る」とされているが、聞くところでは八幡神を祭祀した秦氏も山背の葛野秦氏の一流だという説もあるそうだ。つまり、祖先が弓月君である。 しかし『日本書紀』によると弓月君らの秦氏は3年ほど加羅国に留め置かれてはいるが、百済からやって来た集団(百済人ではないが)で、元からの新羅の住民ではない。新羅の神を祀る理由はないと考えら…

鹿児島神宮へお詣りに、ヒコホホデミノミコトと八幡様が南九州を鎮護する

鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は大隅国一之宮である。鹿児島県霧島市隼人町内に鎮座する。 ここは「神話が息づく」という言葉がぴったりの雰囲気だ。そして、南九州でもっとも大きな力を持っていたと考えられる神社で、歴史にも大きく絡んできたのである。 海幸彦山幸彦伝説と八幡信仰と 長い参道を歩く 本殿へお詣り 御神馬 「正八幡」と称する 桜島を祭っている? 巨大荘園「大隅正八幡宮領」 島津貴久と大隅正八幡宮 海幸彦山幸彦伝説と八幡信仰と 主祭神は彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト、山幸彦)・豊玉比売命(トヨタマヒメノミコト)。相殿神として帯中津日子命(タラシナカツヒコノミコト、仲哀天皇)・息長帯比売命(…

― アワヒメを追って 131話 ―

― 鶴羽根神社 ― つるはねじんじゃ 2022年5月10日 10:00 御参拝 広島県広島市東区二葉 御祭神 品陀和気命 ほむだわけのみこと・・第15代天皇 応神天皇 息長帯日売命 おきながたらしひめのみこと・・第14代皇后 神功皇后 帯中津日子命 たらしなかつひこのみこと・・第14代天皇 仲哀天皇 伊邪那岐命 いざなぎのみこと 伊邪那美命 いざなみのみこと 〝鶴羽根神社〟という名前が美しく思え訪れたのですが、行ってみると武運の神である 八幡神をお祀りする神社でありました。 広島東部の総氏神だそうです・・・ 鳥居の向こうに見える太鼓橋が、神域との境界を感じさせてくれます。 手水舎。 この手水舎…

大坂夏の陣400年祭プレイベント・道明寺合戦 古戦場巡り『誉田八幡宮』

「大坂夏の陣400年祭プレイベント・道明寺合戦 古戦場巡り」で「誉田八幡宮」。 欽明天皇により応神天皇陵とされる誉田御廟山古墳の南の同地に、八幡神を勧進し応神天皇を祀る神廟が置かれた事をもって創建とされ、故に最古の八幡宮と称し主祭神は応神天皇。 歴代の征夷代将軍をはじめ源氏系武将の信仰を集め大変栄えた八幡宮です。 奈良時代には行基によって神宮寺の長野山護国寺も創建されましたが、明治期の廃仏毀釈によって搭頭十五坊すべて取り壊され現在では南大門のみが残されています。 東門・注連縄柱、鳥居の奥に拝殿が見えます。 割拝殿。 南大門。 拝殿の奥に中門が見えます。 拝殿の破風。 神馬。 誉田林古戦場址碑。…


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