Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


Hatena Blog Tags
はてなブログ トップ
東京裁判
このタグでブログを書く
言葉の解説
ネットで話題
関連ブログ

東京裁判

(社会)
【とうきょうさいばん】

正式名称は「極東国際軍事裁判」。
第二次世界大戦中に日本の指導部がおかしたとされる戦争犯罪を裁く裁判で、1946年から1948年まで、東京・市ヶ谷の旧陸軍省参謀本部で行われた。
基本的に、戦勝国が敗戦国である日本の指導者を有罪とする結果が決まっていた出来レース的な裁判であった*1
また、罪刑法定主義・法の不遡及が保証されていない裁判であった。
裁判長であるウェッブ氏は、検察官と裁判長の役割を一人二役で勤めていた。

A級戦犯28人が起訴され、うち東条英機ら7人に死刑、16人に終身刑、2人に有期禁固刑の判決が下された*2

この裁判を批判する人は、
・罪状は平和に対する罪、人道に対する罪など事後法によるものである。
・戦勝国側の都合で行われた不公正な裁判である。
・判事(裁判官)については、中華民国から派遣された梅汝敖判事が自国において裁判官の職を持つ者ではなかったこと、ソビエト連邦のI・M・ザリヤノフ判事とフランスのアンリー・ベルナール判事が法廷の公用語(日本語と英語)を使用できなかったことなどから、この裁判の判事の人選が適格だったかどうかを疑問視する。
・オーストラリアのウエッブ裁判長とフィリピンのジャラニ判事は法廷に持ち出された事件に、前もって関与していたので判事としては不適格であった。
・判事の一人であるパール判事が、息子であるプロサント氏に「裁判所が判事団に指令して、あらかじめ決めている多数意見と称する判決内容への同意を迫った。さらにそのような事実があったことを極秘にするために、誓約書への署名を強要された」と語り残している。
・ウェッブは2人の米国人弁護士を東京裁判から除籍した。スミス弁護人は、是が非でも日本を断罪するという姿勢から打ち出されるウェッブ裁判長の偏った訴訟指揮に対して、「不当なる干渉だ」と述べた。その指摘に怒ったウェッブはスミス弁護人を法廷から追放したのだ。また、カニンガム弁護人は東京裁判が進行中の時期に、シアトルでの全米弁護士大会に出席して「東京裁判は、(連合国による)報復と宣伝に過ぎぬ」と発言したことを以て、これまたウェッブから除籍された。
・東条英機の弁護人ブルウェット、それにブレークニー弁護人らは「原子爆弾という国際法で禁止されている残虐な武器を使用して、多数の非戦闘員を殺戮した連合国側が、(日本軍の)捕虜虐待についての責任を問う資格があるのか」と問うた。ウェッブ裁判長は「本裁判所の審理と関連はない」として全く、この問題を取り上げなかった。
・日本の法曹関係者の関与が広島市への原子爆弾投下と長崎市への原子爆弾投下をめぐる処理を複雑化し、戦勝国、特にアメリカ合衆国にとっては望ましくない影響をもたらす可能性があったため、同時期のドイツが舞台となったニュルンベルク裁判では、ドイツの法曹関係者の大半が裁判に協力しているが、極東国際軍事裁判では、日本の法曹関係者の裁判への協力は行われていない。

といった主張をする。
それに対しては、
・戦争や革命などによって世界史の全く新しい局面が到来することがある。その局面において全く新しい法概念が生成し、為政者がそれによって裁かれることがある。
・東京裁判の法理によって、たとえば原爆投下を人道に対する罪として訴追する道も開かれた。
といった反論がありうる。

*1:被告の弁護人が、戦勝国側に都合の悪い事を述べると、弁護が途中で打ち切られる事もあり、司法の精神を踏みにじった裁判だったと言ってもよい。

*2:残り3人中2人は判決前に病死、1人は免除

このタグの解説についてこの解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

関連ブログ

戦争は法で裁けるか・下

靖国神社 パール博士顕彰碑 インテキスト:都築陽太郎訳『東京裁判 全訳 パール判決書』 (Kindle版、幻冬舎メディアコンサルティング平成28年)サブテクスト:①田中正明『パール判事の日本無罪論』(彗文社昭和38年、小学館文庫平成13年) ②日暮吉延『東京裁判』(講談社現代新書平成20年) あらためて「国際軍事裁判所憲章」Constitution of the International Military Trribunalと「極東国際軍事裁判条例」 International Military Tribunal for the Far East の「 罪」とされたものの違いをみておきましょ…

ネットで話題

もっと見る

関連ブログ

戦争は法で裁けるか・上

メインテキスト:田中正明『パール判事の日本無罪論』(彗文社昭和38年、小学館文庫平成13年)サブテキスト:ラダビノード・パール著/田中正明編著『パール判事「平和の宣言」』(東西文明社昭和28年、小学館平成20年) 東京裁判判事団 1946.7.29 【令和7年11月16年の日曜会での発表に基づいてまとめました。】 ラダビノード・パール判事は、よく知られているように、日本の大東亜戦争時の戦争犯罪人を裁いた極東国際軍事裁判、通称東京裁判に、十一人の日本と戦った各国を代表する判事団にインドから参加し、中で一人だけ、被告全員の無罪を唱えた人です。ただし彼は、無理に日本の味方をしようとしたわけではありま…

靖国神社

みなさんは、靖国神社に行ったことがありますか?私は、30年ぐらい前ですが、行ったことがあります。靖国神社は、その人の思想性を測るリトマス試験紙のようなものだと思います。私の場合は、明確な反応がありました。行った時の、私の感想を述べます。そのとき、私は自分が強烈に拒絶されているような感じを受けました。「ここは、おまえなんかの来るところではない」と言われているようでした。私は、ものすごい違和感を覚えました。ですから、私は「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の議員さん達とは、真逆の思想性を持っていることになります。靖国神社は、普通の他の神社とは明らかに異なっています。そこは、あたかも昭和16年…

【読書日記】歴史と外交 東郷和彦 

「鈴木宗男事件」により、2002年に外務省を罷免され、ライデン大学やプリンストン大学で勤務。北方領土関係の書物を読むと、東郷和彦さんの名前が多く出てくるだろう。たとえば、佐藤優さんの著作。 母方の祖父は、東郷茂徳。第二次世界大戦終戦時に外務大臣だった。本書にその祖父の話も出てくる。また母方の祖母は、ドイツ系であった。 いわゆるロシアスクールなのだろうが、本書では、ロシアだけでなく、日中、日米戦争、韓国、台湾、原爆投下、靖国、東京裁判など、2008年ごろの日本の外交についてのホットな話題が語られている。今、(2025年)となっては、古い情報もあるが、当時の「外務省」の思考の一端を覗くことができる…

プチ東京散策 #13 池袋

皆さんこんばんは!PC大好き小5です。 今回はある用事で池袋に行ったので、少し散策してきました。 ガラポン!!! 巣鴨プリズン跡 ガラポン!!! サンシャインシティで北海道のイベントが開催されていて、何やらガラポン抽選会が開催されていたのでやってみました!! 回したら、、、金色の玉が出てきました。 なんと、特賞の「シマエナガキュンちゃん」のぬいぐるみがもらえました!!! 特賞が当たってびっくりしました!! 巣鴨プリズン跡 サンシャインシティのすぐそばに、極東国際軍事裁判で死刑判決を受けた東條英機らが処刑された巣鴨拘置所の跡地があるらしいので行ってみました。 東池袋中央公園です。 ここの公園には…

「落日燃ゆ・城山三郎」//広田弘毅は戦争を止められなかった責任は感じていた、それが死刑とは・・・

落日燃ゆ(新潮文庫) 作者:城山三郎 新潮社 Amazon あらすじ 平和につくした外交官が、なぜA級戦犯となり、絞首刑となったのか。元首相・外相、広田弘毅の生涯。毎日出版文化賞・吉川英治文学賞受賞。 東京裁判で絞首刑を宣告された七人のA級戦犯のうち、ただ一人の文官であった元総理、外相広田弘毅。戦争防止に努めながら、その努力に水をさし続けた軍人たちと共に処刑されるという運命に直面させられた広田。そしてそれを従容として受け入れ一切の弁解をしなかった広田の生涯を、激動の昭和史と重ねながら抑制した筆致で克明にたどる。 読後感想 広田弘毅の半生記 石屋の息子として生まれ、決して家系的には恵まれたもので…

日帝の指導者はいかにして裁かれたか - 映画「東京裁判」(1983) 宝塚シネ・ピピアにて

鑑賞の動機と日時 私は2025年8月15日に宝塚シネ・ピピアで上映された、小林正樹監督による映画作品「東京裁判」を鑑賞した。 上映時間は12:10から17:00までの約3時間、良心的な映画館である宝塚シネ・ピピアが特別料金を徴収するほどに長尺として企画された大作だ。 当日の宝塚シネ・ピピアに掲示された「東京裁判」のポスター 元々、ケチな性分な私はこの名画を宅配レンタルのDVDで安く済まそうとしていたが、大作映画というものはやはり、チャチな自宅のTVではなく、大きなハコに良質な音で満たされた静かな映画館で、多数の観客と時を同じくして観たいものだ。 運が良いことに、偶々このシネ・ピピアで短い期間な…

【戦後80年】「自虐史観」は東京裁判から始まった?パール判事と「戦後レジーム」を優しく解説!

2025年、日本は戦後80年という大きな節目を迎えます。私たちが当たり前のように享受しているこの平和。でも、その「始まり」がどうだったか、考えたことはありますか? 「東京裁判」「自虐史観」…なんだか難しそうな言葉ですよね。でも実はこれ、80年経った今の私たちの考え方や社会のあり方に、深く、深く、繋がっているんです。 今回は、戦後の日本を形作ったともいえる「東京裁判」を、歴史が苦手な方にも分かりやすく、紐解いていきたいと思います。 そもそも「自虐史観」って何? 東京裁判との関係は? 「勝者の裁き?」 東京裁判が抱えていた大きな問題点 「被告は全員無罪だ!」たった一人、異を唱えたパール判事 安倍元…

日航機墜落事故40年に感じる「アメリカ仕事」

www.sankei.com www.sankei.com ここ数日、関係ない記事を投稿しながら、九州や北陸の大雨についてはやはり気になっており、お亡くなりになった皆様のご冥福をお祈りしつつ、被災された皆様にお見舞いを申し上げます。 各地酷い状況でこれからの片づけが気掛かりでありながら、明日ぐらいから暑さも戻ってくるようで、片づけ作業をされる皆様には熱中症にくれぐれもご注意もしていただきたく思うのはもちろんですが、各管轄の行政がムラなく隅々までスムーズに行き渡ることを願ってやみません。 さて、今日は日航ジャンボ機墜落事故から40年の日でした。 まずは墜落事故の犠牲となられた方々のご冥福をお祈り…


[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp