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原子爆弾
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原子爆弾

(サイエンス)
【げんしばくだん】

原爆
ウラニウムやプルトニウムを使った核分裂反応により、莫大なエネルギー(衝撃波と高熱)を放出する兵器。

1945年8月6日午前8時15分に広島(ウラニウム型原爆)、同年8月9日午前11時2分に長崎(プルトニウム型原爆)と、いずれも日本の一般市民の頭上に落とされ、直後の被害だけでも広島14万人・長崎7万人、またその後の長期的な放射線障害によって、さらにほぼ同数の死者が出たと推測されている。

実戦で使われたのは世界史上、二回だけである。
→核兵器

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【受贈】 石本理彩「学校日誌にみる原爆記録について―五日市国民学校、福木国民学校、横浜国民学校を事例として―」(記録管理学会『レコード・マネジメント』№89、2025年11月)

石本理彩さんより標記論文の抜刷を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。論文は、査読ありで、掲載ページは3~24です。 論文は、広島市の被爆に関する基礎的資料集に収められなかった記録のうち、爆心地から5km以上離れたところに建つ国民学校3校の「学校日誌」へ新たに光を当てるものです。こうして、原爆被災の実像をさらに少しでも補っていく道筋をつけようとしました。学校資料は文書館への移管義務が無いため時が経てば失われていくものだけに、現存する「学校日誌」に注目することの重要性を提起しています。 ひととおり拝読し印象に残った点のうち主なものは次の4つです。 1つは、取りあげた国民学校3校…

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映画 『遠い山なみの光』

9月に半ばを過ぎても猛暑日ほどの暑さなので、涼しい映画館へ行ってきました。 映画 『遠い山なみの光』 原作はノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏なので気になっていました。 この作品は未読なので、全く前情報を入れずに観に行きました。 作者自身の出生地・長崎を舞台に執筆した長編小説デビュー作です。 今年は終戦から80年という事で今年公開になったのでしょう。 日本・イギリス・ポーランド3カ国合作による国際共同製作のヒューマンミステリー、 2025年・第78回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門正式出品作品です。 1950年代の長崎でのことを思い出しながら語る1980年代のイギリス在住の日本女性、 …

「平野文書」全文(8)

元帥が躊躇した大きな理由は、アメリカの戦略に対する将来の考慮と、共産主義者に対する影響の二点であった。それについて僕は言った。 日米親善は必ずしも軍事一体化ではない。日本がアメリカの尖兵となることが果たしてアメリカのためであろうか。原子爆弾はやがて他国にも波及するだろう。次の戦争は想像に絶する。世界は亡びるかも知れない。世界が亡びればアメリカも亡びる。問題は今やアメリカでもロシアでも日本でもない。問題は世界である。いかにして世界の運命を切り拓くかである。日本がアメリカと全く同じものになったら誰が世界の運命を切り拓くか。 好むと好まざるにかかわらず、世界は一つの世界に向って進む外はない。来るべき…

「平野文書」全文(5)

しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。恐らくあのとき僕を決心させたものは僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。今だ。今こそ平和だ。今こそ平和のために起つ秋ではないか。そのために生きてきたのではなかったか。そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。何か僕は天命をさずかったような気がしていた。 非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという…

「平野文書」全文(4)

原子爆弾が登場した以上、次の戦争が何を意味するか、各国とも分るから、軍縮交渉は行われるだろう。だが交渉の行われている合間にも各国はその兵器の増強に狂奔するだろう。むしろ軍縮交渉は合法的スパイ活動の場面として利用される程である。不信と猜疑がなくならない限り、それは止むを得ないことであって、連鎖反応は連鎖反応を生み、原子爆弾は世界中に拡がり、終りには大変なことになり、遂には身動きもできないような瀬戸際に追いつめられるだろう。 そのような瀬戸際に追いつめれても各国はなお異口同音に言うだろう。軍拡競争は一刻も早く止めなければならぬ。それは分っている。分ってはいるがどうしたらいいのだ。自衛のためには力が…

「平野文書」全文(3)

問 それは誠に結構な理想ですが、そのような大問題は大国同志が国際的に話し合って決めることで、日本のような敗戦国がそんな偉そうなことを言ってみたところでどうにもならぬのではないですか。 答 そこだよ、君。負けた国が負けたからそういうことを言うと人は言うだろう。君の言う通り、正にそうだ。しかし負けた日本だからこそ出来ることなのだ。 恐らく世界にはもう大戦争はあるまい。勿論、戦争の危険は今後むしろ増大すると思われるが、原子爆弾という異常に発達した武器が、戦争そのものを抑制するからである。第二次大戦が人類が全滅を避けて戦うことのできた最後の機会になると僕は思う。如何に各国がその権利の発展を理想として叫…

「平野文書」全文(2)

問 しかし日本だけがやめても仕様がないのではありませんか。 答 そうだ。世界中がやめなければ,ほんとうの平和は実現できない。しかし実際問題として世界中が武器を持たないという真空状態を考えることはできない。 それについては僕の考えを少し話さなければならないが、僕は世界は結局一つにならなければならないと思う。つまり世界政府だ。世界政府と言っても、凡ての国がその主権を捨てて一つの政府の傘下に集るようなことは空想だろう。だが何らかの形に於ける世界の連合方式というものが絶対に必要になる。何故なら、世界政府とまでは行かなくとも、少くも各国の交戦権を制限し得る集中した武力がなければ世界の平和は保たれないから…

「平野文書」全文(1)

以下に、「平野文書」の全文(1)~(9)を連載で転載します。(インターネット上の『みんなの知識 ちょっと便利帳』より) 昭和三十九年二月幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について―平野三郎氏記―憲法調査会事務局 私が幣原先生から憲法についてのお話を伺ったのは、昭和二十六年二月下旬である。同年三月十日、先生が急逝される旬日ほど前のことであった。場所は世田谷区岡本町の幣原邸であり、時間は二時間ぐらいであった。 側近にあった私は、常に謦咳にふれる機会はあったが、まとまったお話を承ったのは当日だけであり、当日は、私が戦争放棄条項や天皇の地位について日頃疑問に思っていた点を中心にお尋ねし、…

科学の闇と光:原子爆弾の影響と教訓

本日8月9日は長崎原爆の日です。20世紀の歴史を振り返ると、1945年の夏ほど、人類が科学の力とその影響を強く実感した時期はないでしょう。広島と長崎に投下された原子爆弾は、わずか数秒で都市を壊滅させ、数十万もの命を奪いました。その衝撃は、戦争の終結を早めたとされる一方で、人類が初めて大量破壊兵器の現実を突きつけられた瞬間でもありました。今回は広島と長崎を一瞬にして地獄に変えた原子爆弾について語っていこうと思います。 1.科学から兵器への転換 原子爆弾の開発は、アインシュタインらの科学者が理論的に示した「核分裂」の可能性から始まりました。特に第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが核兵器を開発している…


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