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宮本慎也
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宮本慎也

(スポーツ)
【みやもとしんや】

プロ野球選手。東京ヤクルトスワローズの内野手(遊撃手、三塁手)。背番号は6。
1970年11月5日生まれ。大阪府出身。O型。176cm70kg。右投右打。
PL学園高校-同志社大学-プリンスホテル-ヤクルトスワローズ(1994年D2位逆指名)
その守備力は現在日本球界一といって過言ではない名手。
アテネオリンピックの野球日本代表ではキャプテンを務め、代表の精神的支柱となった。2006年より日本プロ野球選手会の第6代会長を3年間務めた。

略歴

アマチュア時代

PL学園時代には高校2年で夏の全国高等学校選手権大会優勝。
その当時のメンバーで1学年上には元・中日の立浪和義や元阪神の片岡篤史、元横浜の野村弘樹、元巨人の橋本清らがいる。
同志社大学2年春首位打者。社会人で1993年都市対抗出場。全日本入りをする。
アマチュア界のエリートコースを歩んだ。

プロ入り後

ヤクルトに入った後は当時の野村克也監督には「自衛隊」と呼ばれるように、守備では非凡なるものを持っていたために、当初は守備固めとして出場する機会が多かった。
しかし徐々に打撃力を向上させると、2番打者として犠打を堅実に決めるなど嫌らしい打者へと成長。ここ数年は3割前後の成績を残している。野村監督には「例え力がなくても、確実にポイントに当てて行けば強い球を飛ばせる。ボールを引き寄せて当てられるスイングをしなさい」というアドバイスを受け、それに忠実に従い打撃に開眼。

犠打に関しては川相昌弘・平野謙に次いで歴代3位の通算犠打数を誇っている。また、2001年にはシーズン犠打新記録(67個)を樹立している。

そのような守備力は、学生時代に行っていたシャドーボクシングならぬ「シャドー守備」(?)で培われたものらしい。
ゴールデングラブ賞は1997年、1999-2003年と連続して獲得している。

2012年5月4日、対広島戦で2回に福井優也からヒットを放ち、史上40人目の2000本安打達成を記録した。奇しくもヤクルト時代の同期・稲葉篤紀と同じ1976試合目での達成ということで話題に。さらに、41歳5ヶ月での記録達成となり、落合博満の41才4ケ月での達成を抜いて、歴代1位の最年長記録のおまけつきとなった。
2013シーズンをもって引退する事を発表している。
リスト::野球選手

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