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桓武天皇
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桓武天皇

(社会)
【かんむてんのう】

桓武天皇.第50代天皇.平安時代の最初の天皇.
在位781年4月3日〜806年3月17日

年譜

天平9年(737年):誕生
宝亀4年(773年)1月2日:立太子
天応元年(781年)4月15日:即位
延暦25年(805年)3月17日(70歳) :崩御

光仁天皇の第一皇子.
母は百済系渡来人(8世ぐらいと言われています)の高野新笠.
桓武平氏の始祖.

東北地方に大規模な征夷軍を派遣した.長岡京遷都,平安京遷都を実施.

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しかしながら新都の建設は少しずつ進んでいった。 六月九日起工の式、八月十日|上棟《じょうとう》の式、 十一月十三日遷幸と定められ、 人々も多少はゆとりをもってきた。 福原にどうやら新都らしいおもかげが出てきたが、 凶変の重なった夏もすでに過ぎ、秋はすでに半ばである。 人々は仲秋の月に心を慰めた。 福原の新都に落ちついた公卿たちは月見に出かけた。 かねて名所といわれたところや、 そのかみの源氏の宮を慕って人々は須磨から明石へ浦づたいに赴いた。 白浦《しらら》、吹上《ふきあげ》、 和歌の浦、住吉、難波、など景勝の地に月を賞ずるものもあれば、 尾上《おのえ》の曙の月を惜しむものもいた。 もとの都、京…

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京都を殊の外 気に入られた桓武天皇は、 大臣公卿、諸国の才人などに命じて、 土で八尺の人形をつくり、鉄の鎧兜を着せ、 弓矢をこれに持たせて東山の峰に西向きに立てたまま地に埋めた。 この都は永久に続くべしという桓武天皇のご祈念であった。 「末代になるともこの地から都うつすなかれ、 うつさば守護人となりてこれを罪せよ」 という意味であった。 それ故天下に大事の起る時、常にこの塚が鳴動するのである。 平ら安き都と書いた平安城は京都のことであるが、 平家の先祖桓武天皇が自ら定められ、 愛された土地から都をうつすとは、情ないことである。 先年嵯峨天皇のとき、 先帝の平城天皇が都を他国へ移そうとされたこと…

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