Kindle版もあります。
「タイトルから考えろ。」その言葉に、あなたはどれだけの覚悟を持てるか。
「いい記事を書いたのに、誰も読んでくれない」「うちのプレスリリースはなぜ無視されるのか」。その原因は、あなたの文章力ではなく、入口の設計ミスにある。AIが書く「無難で正確な文章」が溢れる今、読者は「読むのが面倒だ」と感じている。あなたのコンテンツが生き残るには、読者の心拍数を一瞬で変える「衝動」を仕掛けるしかない。元『週刊SPA!』の名物編集者であり、ヤフーニュースで数百万PVを叩き出した著者が、AI時代に必須の哲学を初公開。「納品主義」を捨て、読者の「感情のジェットコースター」を設計する具体的な思考法を「エアポート投稿おじさん」生みの親が伝授する。
そうか、著者は「エアポート投稿おじさん」の生みの親なのか……
僕も長年、ブログを書きつづけていて、たくさん読まれていた時期も、現在のように「商店街に昔からある、どうやって稼いでいるのかわからない和菓子屋」みたいな時期も経験してきました。
「読まれなくても、良い記事を書くんだ!」「他人のためではなく、自分が生きてきた記録として、ブログを遺す」なんて言いつつも、やっぱり、「せっかく時間と労力をかけて書いたのだから、大勢の人に読んでもらいたい」という気持ちもあるのです。
実際、まったく読まれていなかったら、ここまで続けてはこられなかったと思う。
その一方で、読む側としては、一時期氾濫していた「Wikipediaの情報を引用してきて、最後に『いかがだったでしょうか?』で締める『いかがでしょうブログ』や「インパクトがあるタイトルに惹かれて読んでみると中身がスカスカの記事」、最近では「AIによってつくられたと思われる、テレビ番組の出演者の発言の一部の切り抜きなどに、ずっと憤りも感じてきたのです。
こっちだって、そこまで暇じゃないのに(暇だからそういうのを読んでいるんですけどね)、こんなもの読ませやがって!と。
インターネットのPV(ページビュー:アクセス数)がお金につながるようになってから、インターネットは何かを買わせようとしている人たちによって「一昔前のバスツアーに組み込まれた土産物屋」のようになってしまった。
「釣りタイトル」とかはつけたくないし、他者のコンプレックスを煽ったり、わざと反論したくなるような極端な主張をしたりするのは嫌だ。
その一方で、「正しい」けれど、「誰にも読まれない良質な記事に、存在意義はあるのか?」というのは、誰も来てくれないブログの店番をしていると、頭に浮かんでくる疑問ではあるのです。
経時的にみると、以前ほど「釣りタイトルでとりあえずクリックさせる」ような手法はかなり廃れていて、「それなりに読み応えのある記事で、どうやって選んでもらうか」の競争になってきているんですけどね。
書いている側からすれば、近年は、無名の著者の記事はなかなか読んでもらえないというか、読む選択肢に入れてもらうことすら難しい。そして、一度読んでもらえたとしても、そこからずっと読者でいてもらうのは、さらに難しい。
僕自身も、記事が媒体や著者単位ではなく、「ひとつのエントリ」単位で消費されていると感じています。
前置きが長くなってしまいました。
この本の著者は、15年以上も編集者・ライターとして「文章に関する仕事」をしてきたそうです。『裏モノJAPAN』の編集部に新卒で入り、紙媒体の雑誌からウェブメディアへの大きな変化のなかで、さまざまなメディアで、ヤフーニュースで「バズる」記事を生み出しているのです。
日本では「ヤフーニュースのヘッドラインに載る」ということにはとてつもない影響力があります。
著者によると、2023年のヤフーニュースは月間約830億PVだったそうです。
芸人さんが、ネタとして「そんなこと言ったらヤフーニュースに載っちゃう!」なんてツッコミを入れているのをときどき見かけるのですが、実際は「よほどのことがなければ、ヤフーニュースのヘッドラインに乗ることは一生ない」のです。
悪いことで載ると、叩かれまくって、それはもう悲惨な状況になるみたいですが。
僕自身も、ヘッドラインではありませんが、自分が書いたものがヤフーニュースの記事として転載されたときのPV数を聞いておどろいたことがあります。
ちょっと注目されたら、そんなに読まれるのか……媒体の力ってすごいな、と。
想像してみてください。今、あなたはSNSのタイムラインをスクロールしています。次々と流れてくる情報の中で、あなたの手を止め、目を引くのはどんな投稿でしょうか?おそらく、写真や動画ももちろんですが、まずは「タイトル」や「見出し」ではありませんか?
コンテンツのタイトルは、いわば読者との最初の接点です。書店で平積みされた本のタイトル、ウェブサイトのトップページに並ぶ記事の見出し、ユーチューブのサムネイルに大きく書かれた文字。これらはすべて、読者の「なぜ?」という好奇心を刺激し、「もっと知りたい」という欲求を掻き立てるためのものです。
この読者の行動を裏付ける研究は多数存在します。データサイエンティストのマリア・グレンスキ氏らの研究「Consumers and Curators: Browsing and Voting Patterns onReddit」(2017)では、人気ソーシャルサイト「Reddit」のユーザーの行動ログを分析したところ、記事にかんする投稿の73%が、ユーザーが本文やコメント欄を一切見ることなく、タイトルだけで判断して投稿されていたと報告されています。これは、読者がコンテンツの「中身」に触れる前に、タイトルという表面的な文字情報のみをコンテンツとして消費していることを決定的に示していると言えるでしょう。
多くの人が、10年くらい前からすでに、「タイトルだけしか読まなくなっていた」のです。この研究が「記事に関して投稿した人」を対象にしていることを考えれば、投稿するまでに至らなかった「タイトルだけみてこんな内容なのかと判断してしまった人」の割合は、もっと多いかもしれません。
僕も自分の記事へのブックマークコメントをみていて、「書いていないことを勝手に読み取って、怒っている人」に辟易させられることが何度もありました。「読んでないだろ!」と愕然としたことが何度もありました。
とはいえ、僕自身もネットの記事は、よほど気になったもの以外は流し読み程度のことが多いのです。『X』でリツイートする記事は、なるべくきちんと読んで、ポジティブに「より多くの人に読んでもらいたい」と感じたものだけにしています。
この本を読むと、「読者の興味を引くためのタイトル」にも時代による変化がみられることがわかります。
ひと昔前の「攻略法」は、すでに読者から見切られているのです。
著者は、話題になったプレジデントオンラインの記事「日本初?リモート研修中にクビになった、法政大学新入社員の末路」について、こんなふうに述べています。
記事本文で「法政大学」という固有名詞を私はあえて出しています。これにより、記事のリアリティは一層増幅されます。単なる「都内有名私立大学」といったぼかした表現ではなく、あえて「法政大学」と具体名を出すことで、読者は「本当にあった話なのか?」と確認したくなる、いわゆる「確認消費(とりあえず、中身を読んで確認したいという動機から、クリックさせること)」の心理が強く働きます。東大早慶のような最難関大学では「エリートがなぜ?」という疑問が先行しすぎたり、日東駒専のような大衆的な大学では「まあ、そういうこともあるか」と納得されすぎてしまったりする可能性もあります。
(中略)
この記事のタイトルに込めた「確認消費」について、もう少し説明させてください。かつてネットメディアでは、「なぜ〇〇は成功したのか?」「〇〇の本当の理由とは?」といった「なぜ~〇〇なのか」という「理由系のタイトル」が全盛期を迎えました。これは、まさに読者の「知りたい」「疑問を解決したい」という純粋な好奇心を刺激する「クイズ形式」のタイトルであり、ある種の「確認消費」を促すタイトルの典型的な例と言えるでしょう。読者は、その「なぜ?」の答えを確認するためにクリックし、一時期は非常に高い効果を発揮した手法です。
しかし、この手法も多くのメディアで乱用され、読者はそのパターンに慣れてしまいました。タイトルを見ただけで「ああ、またあの手の記事ね」と食傷気味になり、クリック率は徐々に低下していったのです。読者の好奇心を刺激するだけでは、もはや十分ではなくなりました。
現代の「確認消費」は、より具体的で、かつ「誰が?」「どこで?」といった個別の情報に焦点を当てたものへと変化しています。例えば、タレントが何か発表した際に、わざとタレント名をタイトルに入れないのです。仮に、「元AKBじゃんけん選抜1位のメンバーが経営する焼肉店が大ピンチ」といったタイトルがあったとしましょう。このタイトルは、読者に「その人物が誰なのか知りたい」という確認欲求を掻き立てます。読者の心の中には「え、誰?」「まさかあの人?」といった具体的な疑問が湧き上がり、それを解決するために思わずクリックしてしまうのです。
たしかに、こういう「誰なのかタイトルに書けよ!」と言いたくなる(でもつい「確認」したくなる)記事って多くなりましたよね。以前は「その人の固有名詞でクリックさせていた」のに。
そして、そのヤフーニュースのコメント欄には「誰だよこれ、知らん人じゃないか!」という憤りのコメントが並ぶまでがひとつの流れになっています。
正直、この「確認欲求を利用する手法」も、すでにかなり飽きられつつあるのではないか、と読みながら考えてしまいました。
この本のなかで、著者が何度も言及しているのは、AIでつくられた「とりあえず形になっている(だけの)文章」に、人間の書き手はどう対抗していけばいいのか、ということなんですよ。
僕も「儀礼的に返事を出さなければならない文章」にはAIにたたき台をつくってもらうことがあるのですが(どうしても書き出すのに腰が重くなる文章では、AIは本当に有用だと思います)、ネットの記事では「AIは整いすぎていて、感情が伝わらない」気がするのです。そのあたりも、使い方によるだろうし、近い将来には解決されそうですが(たぶん「もっと感情をこめて」とかオーダーするだけで変わるとは思うんですけどね。本当に今のAIはすごくて、つい1時間くらいAIと演劇の感想について話し込んでしまいます)。
最近、YouTubeの番組で「悩み相談に対する人間とAIの回答を見分けるクイズ」というのを見たのですが、自分が人柄を知っている相手じゃないと、そう簡単にはわからない、「こっちのほうがちゃんと理路整然と答えているからAIだな」という感じです。
私たちが目指すのは、単に「情報を伝える」ことではありません。読み手の感情を揺さぶり、共感や驚き、あるいは怒りといった「情動」を生み出し、最終的に行動を促すことです。もしコンテンツが「つまらない」と感じるなら、それは読み手の感情が全く動いていない証拠です。その「つまらない」という違和感を放置せず、「どうすれば面白くできるか」「どうすれば人の心を動かせるか」と問い続けることが、言葉のプロフェッショナルへの道なのです。
この「つまらない」という感情が欠如している典型的な例として、採用説明会で質問に対し「部署によります」という回答を平気でする人事担当者が挙げられます。
採用説明会で学生から「御社は残業が多いですか?」と質問されたとします。これに対し、「部署によります」と答える人がいます(というか、私が新卒採用を受けていたときにいました)。この回答は、質問に「答えている」からこそダメなのです。
この採用説明会における人事担当者の真の目的は何でしょうか? それは、単に質問に答えることではありません。彼らの目的は、求職者の志望度を上げさせ、優秀な人材に入社してもらうことのはずです。そのためには、質問に対してただ事実を述べるのではなく、より詳しい情報を伝え、それによって誠実さを示し、ひいてはその情報によって学生の志望度を上げさせる、という「ゴール」があるはずです。
それなのに「部署によります」と回答するのは、自分の仕事を早く終わらせたいだけの「納品主義者」の行動そのものです。学生が本当に知りたいのは、部署ごとの具体的な状況、例えば「営業部は忙しいが、プロジェクトのスケジュールが詰まっていない時期によっては早く帰れる日もある」「開発部は残業が多いが、裁量労働制で自由度が高い」といった、具体的なイメージが湧く情報です。そして、その情報から「自分にとって、この会社、この部署は合っているか」という判断をしたいのです。
これに対して、「部署によります」という一言は、学生の疑問を解消せず、むしろ不信感を抱かせ、結果として志望度を下げることになります。これは、結果に興味がない無責任な振る舞いであり、このような人材は今後確実に淘汰されるでしょう。彼らは、コンテンツ制作における「読者の感情を動かす」というゴール設計を完全にサボっている自己中心的な存在なのです。
「部署によります」は、間違った答えではないのです。
でも、質問者が、本当に聞きたかったこと、知りたかったことは、おそらく「残業という行為に対して、この会社はどういう意識を持っているのか?働いている人のワークライフバランスを考えて、個々の社員に寄り添ってくれるのか?」なんですよね。
それを読み取り、「こんなふうに残業の話に真剣に対応してくれるのなら、ここで働いてみたいな」と相手に「誠意」を感じさせることができるかどうか?
そういう「察する文化」みたいなものの是非はさておき、それはAIには難しいし、AIの「自己判断」が進みすぎるのはリスクが高いような気もします(SFの読みすぎかもしれませんけど)。
少しでもブログのPVが増えないかな、と思って読み始めたのですが、「AI時代の人間の仕事」について、考えさせられました。
この本で語られているのは、「効果的な釣りタイトルのつけかた」ではなくて、「伝える相手をみて、その感情を動かすための技術と考え方」なんですよね。
id:fujiponはてなブログPro40代後半の男。内科医として働いていますが、現在はQOL重視でなるべく機嫌よく過ごすことを心がけて生きています。
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