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父親と分かちあう日々の退屈

(「人生は映画で学んだ」(1994 年、河出書房新社編集部編)pp.46-48)

山形浩生

要約:B 級映画は夜中の穴埋めテレビで見るのが基本であり、そういうのに妙にくわしい父親なんかといっしょに見ているのがB級っぽくていいのではないか。執筆は 1993 年。


 トビー・フーパーがどうのとか、ジョージ・ロメロの昔の映画がなんだとか、ハーシェル・ゴードン・ルイスがどうたらとか、ラス・メイヤーの巨乳映画がどうしたとか、B 級ゲテモノ映画をめぐる物言いは尽きない。

 でも、巷でよくきく B 級ゲテモノ映画讃の多くには、B 級であること、ゲテモノであることそれ自体を称揚するような、自閉した雰囲気がある。別にいいのだけれど、でも、こういう物言いにのせられて、ビデオを借りてきてはがっかりさせられた経験を多々持つ身としては、つい懐疑的になってしまう。「B 級映画なんてそれほどのもんかぁ?」

 あまり期待してはいけない。B 級映画はしょせん「B 級」であり、したがって B 級映画に対する正しい賛辞は、通常は「まあ、こんなものかな」であり、最高(最低)でも「すばらしくくだらない」か「発狂するほどいかれてる」であり、その魅力の大半はキッチュのイカモノ趣味だ。過去のよじれた感性や突出した趣味が、時代のたゆたいの中で一時的な(部分的な)アピールを獲得することはある。だが、それはしょせんマニアックでスノビッシュな領域に属するものであり、そういう嗜好の人だけが気にすればいい世界である。

 では、B 級ゲテモノ映画は観る価値がまったくないのか?

 ない。ほとんどない。B 級映画とは、価値があるから観るものではない。その唯一の存在意義とは、暇つぶしである。かつてそうだったし、今なおそうだ。

 もともと B 級映画というのは、映画がロードショーに二本立てで上映されていた頃(地方館ではいまでもそうだけど)、おまけで上映された低予算映画だ。おもしろすぎて本編を食ってはいけないし、かといって客を帰らせてもいけないし、もちろん制作費も納期も厳守だし云々云々、といろいろあるけれど、一方でその条件を満たせば多少いいかげんでも許されるから、たまにわけのわからない変な代物がまぎれこんでくる。現在一般に言われる B 級映画というのは、低予算のホラー映画や SF、それにポルノみたいなジャンルの話だけれど、まあ事態は似たようなものだ。

 氏素性からも明らかなように、B級映画とはさっと観流されるべき、あっさり消費されて忘れられるべき代物なのだ。それをわざわざ映画館に観に行く? ご冗談を。大学生ならいざ知らず、専業の映画感想屋(評論家ともいう)ならいざ知らず、社会人はそれほど暇ではないのである。ビデオ屋? まだ許せる。が、毒にも薬にもならない暇つぶし、というB 級映画本来の主旨を考慮すると、現在の B 級映画に最もふさわしい出会いの場は深夜のテレビである。監督も、役者も、多くの場合はタイトルすら知らない、あえて調べる気にもならない映画の群れ。ギタギタにカットされまくった、時にストーリーすら不明の映画。つまらないのは承知の上。もともと疲れてるから、つまらないほうが神経にさわらなくて好都合。B 級映画の教えとは、くだらないものでも(時には)ないよりまし、ということかもしれない。そこに加えて一つでも楽しめる部分があれば、望外の歓びとしなくてはならない。だが、人生というのも(たぶん)そんなものである。

 前述の通り、B 級映画との最も現在的な出会いの場は、深夜テレビである。そして現在、日本の中流家庭でその場に最も接しているのは、たぶん父親勢である。

 これに気がついたのは、数年前の夜中にぼーっとテレビを観ていた時だった。親父がのそのそ起きだしてきて、チラッと画面を観るなりこう言う。「ああこれ、つまらん」「え? 知ってんの」「何度も観た。もうすぐこの女の子が、シュルシュルーとかいってヘビになっちゃうんだ」と言ってるうちに、せこい特撮でホントにそうなってしまった。「ほれ見ろ、バカらしい」と、その先の展開を細々と解説してくれたが、それが全部その通りに起こる。

 その後も、「どっかモーテルで客を首まで埋めて、人肉ジャーキーをつくる話」(「地獄のモーテル」ですな)や、「みんなでナマコを飲みこむ話」(クローネンバーグの「シーバース」だった)や「砂漠でゴロゴロする退屈な話」(B 級映画じゃないけど、アントニオーニの「砂丘」)などで博識ぶりを見せつけられて、ぼくは脱帽した。

 似たような症例は、知り合い数人からも報告されている。すると、いまは文化的な方面には無縁と思われ、家庭の中で居心地の悪そうな父親たちが、B 級ゲテモノ映画解説者として新たな地位を見出だす、なんて事態があるかもしれない。むろん、そんな地位が何の役に立つわけではない。しかし、これもまた B 級ゲテモノ映画らしい状況だ、とは言えそうだ。ジャック・ケルアックは、一日中ビールを呑みながら母親とテレビを観つつ死んだが、現代日本の退屈な日々においては、夜中に父親とごろごろしつつ B 級ゲテモノ映画をテレビで観る、なんてのが人畜無害で似つかわしいのかも知れない。

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YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>
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