『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 30 回
月刊『マガジン・アルク』 2008/08号
要約:南アで外国人労働者排斥の大暴動が発生。周辺のジンバブエ難民や、アンゴラなどから商人、そしてジンバブエ人を雇っているというだけの商店主などが、テレビカメラの前で平然と殺され、家に放火されていた。なんと言っていいかわからない衝撃。
珍しく日本に一ヶ月以上いる。日本にいると、外国まわりをしているときとは(当然ながら)ニュースがまったくちがうので、しばしば浦島太郎気分を味わうことになる。五月にガーナにいたときのニュースは、もちろん中国地震とミャンマー台風被害と、ついでにアメリカのクリントンvsオバマの対戦が中心だったんだけれど、もう一つ大きなニュースがあった。南アフリカでのものすごい暴動だ。
ご存知の方もいると思うけれど、CNN と BBC は同じニュースを一日に百回も二百回も流す。一日流しっぱなしにしたまま部屋にこもって仕事をしていると、世の中はそれしか起こっていないような錯覚に陥りがちになっていやなんだけれど、でもそれだけに、日本に戻ってきたらこの最後のやつのニュースが一切流れていなくて、まったくの別世界にやってきたような(まあ別世界ではあるのだけれど)めまいを覚えたことであるよ。
どんな暴動も事件も、間近で見ればそれなりにすごいのだろう。でもこの南アフリカの暴動はいろんな意味でひどかった。南アフリカは、アフリカの中では唯一多少なりとも希望があり、秩序と成長のあるところだけれど、それでもかなり失業が多い。ケープタウンでもどこでも、空港を出た瞬間にすさまじい掘っ立て小屋の密集したスラムが一面に広がっているのが見える。そこへ近年ではジンバブエなどの惨状もあって、近隣国からの難民や違法入国者が増え、かれらが自分たちの職を奪ってる、と地元の失業者たちの不満が高まっていたのだった。そしてそれが爆発した。
その光景はすさまじいものだった。人々が群れをなして外国人労働者(といってもぼくたちにはまったく区別がつかないけれど)を、カメラの前でもいささかもひるむ様子さえ見せずにぼこぼこにして、ほぼまちがいなく殺していた。あるいは何のためらいもなくその家に放火。果ては、外国人労働者を雇ったというだけで同胞たちの商店を破壊し、放火し、商店主を半死半生になるまで殴りつけている様子 (それもじつに楽しそうで、歌って踊りながら!) があからさまに放送されていて信じがたい光景だった。
そしてそれは、南アフリカがこれまで持っていたある種のイメージ(幻想かもしれないけれど)が崩れてしまった光景でもあった。これまでは多少問題があってもアパルトヘイトの遺産がとか言って白人のせいにできたし、一応は人種差別を乗りこえた国、というイメージで道徳的な高みにいるような印象もあった。でもそれが結局は排外主義の人種差別か。いやもちろん、生活がかかっているときにそんなきれい事ではすまないのはわかる。わかるんだが……
ぼくが出国するあたりでは、暴行と殺戮に怯えた人々は警察署や各種公共機関に助けを求め、いたるところ難民キャンプ状態だった。そして事態は一向に鎮静する様子もなく、かえって全国各地に暴動が飛び火しはじめて、そろそろ軍隊を投入して強硬な対応をすべきだという話になりつつあった。あれはどうなっただろう。もちろん日本では、一切報道されていない。ネットで検索すると、事態は一進一退らしいということがかろうじてわかるのだけれど。
昨年暮れにケニアで勃発したひどい民族浄化まがいの殺しあいについては、この欄で数ヶ月前に書いた。アフリカをめぐる絶望として。そして今度は、サハラ以南のアフリカでほぼ唯一、中進国になりつつある南アフリカでこのざまだ。ぼくはこれが、別個の現象には見えない。雇用をめぐって人々の不満が爆発するのは世界中で起こるし、また暴動だってどこにでもある。でもそれがいとも簡単に殺しあいに発展するとは。本当はここで、達観したような気の利いたせりふを言いたいところだ。人の本性とは何だろうかとか。でも、今のぼくは何と言っていいかわからない。