小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明
ヤジよりも遺憾なこと

安倍晋三首相のヤジは、不適切だった。
とはいえ、既にご本人が非を認めて遺憾の意を表明している。
これで一件落着ということになると思う。
「安倍さんが表明したのは遺憾の意であって謝罪ではない。これでは納得できない」
と息巻いている向きもあるが、一国の首相たる者が「遺憾の意」を表明したことは、やはり重く受けとめるべきだ。なかなかできることではない。
ついでなので、「遺憾」という言葉について前々から思っていたことを明らかにしておきたい。
「遺憾」は、不思議な言葉だ。
いまから17年前の1998年、私は自分のホームページ上に公開していた日記(9月1日記述分)の中で、この「遺憾」という言葉について触れている。以下、引用する。
《ミサイルが飛んできた。
官房長官のコメントは例によって「極めて遺憾」というものだ。
奇妙な言葉だ。
何かこちら側に不始末があった場合も「遺憾」と言うし、逆に相手側に問題があった場合にも「遺憾」が使われる。
つまり、「遺憾」は、「謝罪」にも「非難」にも使われるわけだ。
足を踏まれても遺憾、足を踏んでも遺憾。
何だろう?》
「遺憾」という言葉がはらんでいる矛盾の様相は、17年後の現在でも、基本的には変わっていない。
いわゆる「遺憾の意」は、今回の安倍さんのヤジのケースのように、自分の側に何らかの不始末があった場合に、非をある程度認めて、現今の事態を招いてしまったことへの「残念」な気持ちをあらわす言葉として用いられる。
陳謝、謝罪、お詫びというほど重くないが、一定の責任を認めた言い方だ。
ここまではわかる。
不思議なのは、「遺憾の意」という同じ言い回しが、自分の側にではなくて、相手の側に問題があった場合にも同じように用いられていることだ。
たとえば、北朝鮮が日本海に向けてミサイルを発射したようなケースでは、官房長官あたりが「遺憾の意」を表明して対応するのが通例になっている。
この場合、「遺憾の意」は、「非難」ほど強力でなく、「不快感」ほど明確でないものの、現状についての「残念」な気持ちを伝えることで、先方に向けて一定量の懸念のニュアンスを伝えている。
要するに、「遺憾」は、こっちが間違いを犯したケースでも用いられるし、先方に失礼があった場合にも使われているわけで、この言葉はどうやら「非難」と「謝罪」という正反対の場面で使用できる、魔法の外交用語なのである。
英語では、“regrettable”と言うらしい。
実に味わい深い言葉だ。
「遺憾」の面白いところは、ニュアンスとしては「非難」や「謝罪」を匂わせているものの、実態としては「非難」も「謝罪」もしていないところだ。
先方に非があった場合の「遺憾」は、イエローカードの一歩手前の「注意」ぐらいのニュアンスで使われる。
外交の世界で、一方がいったん「非難」を発動してしまうと、禍根が残る。
たとえば、国家なり政治家なりが、公式の立場で相手を非難すると、なりゆきからして、経済制裁なり外交チャンネルの一時的な閉鎖なりといった「カタチ」を見せなければならない。と、それはそれで窮屈な展開になる。
だから、単に「遺憾」としておいて、先方に軽い不快感を伝えつつも、実際には形式上の警告にとどめる。それぐらいの力加減だ。
こちらに失策があった場合の「遺憾」も、公式な「謝罪」ではない。一定の地位に就いている人間や、外交関係を持っている国家が、「謝罪」や「陳謝」を言葉として発信してしまうと、当然、その謝罪に見合った賠償や埋め合わせのための実利を提供しなければならなくなる。
それをしたくない時に、「遺憾の意」という言葉で、軽くアタマを下げておく。そういう感じだ。
確認のために振り返っておく。
安倍総理の「ヤジ」は以下のようなものだった。
《--略--発端は19日の衆院予算委。民主党の玉木雄一郎氏が西川氏の政党支部への献金問題を取り上げていたさなか、首相は「日教組はやっている」と答弁席からやじを飛ばした。自民党の大島理森予算委員長が「静かに」と制止しても、首相は「日教組はどうするのか」と言葉を重ねた。さらに翌20日の予算委で民主党の前原誠司氏から謝罪を求められると、「日教組が(国から)補助金をもらい、(日本)教育会館から献金をもらっている民主党議員がいる」と主張した。
首相は23日の予算委でも日教組出身の民主党の神本美恵子参院議員の実名を挙げ、文部科学政務官時代に「教育会館という隠れみのではなく、日教組からダイレクトに献金をもらっていた」「日教組からパーティー券(購入)を受けていた」と批判した。--略--しかし、首相のやじや国会答弁には事実関係に誤りがあり、かえって民主党に付け入る隙(すき)を与えた格好になった。同党は(1)日教組は補助金をもらっていない(2)日本教育会館は献金していない(3)神本氏は政務官時代に政治資金パーティーを開催していない--と反論している。--略--》ソースはこちら
以上の経過を経て、最終的に、首相は「遺憾の意」を表明して、発言を撤回した。
野党議員が答弁をしている最中にヤジを飛ばすことが、首相としての品格を欠いた態度であることも、ヤジの内容が根拠を欠いていた点も、新聞各紙や民放各局のテレビ番組がさんざん指摘していた通りだ。
私が付け加えることは何もない。
安倍さんの国会でのマナーは、たしかに模範的ではなかった。
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