
チィはニー君の何よりも大切な弟で、ユウの唯一無二の大親友で、ピンガの一番の強力な親衛隊で、アタシが最も愛し、そしてこんなアタシを全身全霊で愛してくれた素敵な子だった。
体が小さく運動神経に少し障害があり、健康な猫が普通に行う動作もチィには出来ない事が少々あった。
だからユウが来るまでチィは猫族のミソッカス的な存在で、ニー君はもちろんナツからも凄く大事にはされていたが遊び相手にはしてもらえなかった。
でも、そんなの全然問題の内には入らずチィは誰よりも勇敢で、そして誰よりも優しい子だった。
怒られて落ち込むピンガの隣りにそっと寄り添うのはいつもチィだった。
マーキングが原因でロミが躾と称した虐待をピンガにふるおうとした時、飛び出したアタシより先にロミとピンガの間に割って入り、不自由な四肢をしっかり踏ん張って真っ直ぐロミを見据えて大きな声で『ニャーーッ!!(やめろーーっ!!)』と叫んだ勇姿を今でも鮮明に覚えている。
どこまでもピンガに従い、守り、癒やし、そして徹底的にロミを嫌い、触られる事すら拒絶したチィ。
そんなチィの姿が《ピンガ帝国》を築き上げる基礎となった。
ロミが心を入れ替えてピンガに謝罪し、ピンガがロミの顔色を伺わなくなった頃、チィは初めて自らロミに抱きついた。
ロミは震える声で『いいの?チィタン…』と、改めて自分の愚かさを反省した。
1人の人間の心を入れ替えさせる。人間が成し得ない事をやってのけたチィはそういう凄い子だった。
そんなチィに愛された事がアタシの自慢だった。
チィは抱っこが大好きだった。
何をしていても抱っこをせがんだ。
アタシは小さなチィタンを左脇に抱えながら掃除機をかけたり、フライパンの中のハンバーグをひっくり返したり、鍋のスープをかき混ぜたり、洗濯機の渦巻きを眺めたり、何をするにもアタシ達はいつも一緒だった。
チィを抱っこすると必ず言っていたセリフがある。
『こんな可愛い子いない。』
そう言ってはお互い何度も頬ずりしあった。
アタシがぎっくり腰になって屈んでチィを抱き上げる事が出来なかった時期があった。
足元をウロウロして抱っこをせがむチィに『ごめんチィタン。できないの。』と何度も謝った。
謝っても謝ってもチィは諦めない。
『じゃあ…』と、足元でアタシを見上げるチィに両手を広げて『ジャンプ!』と言ってみた。
そんなアクションもそんな単語も初めてだ。ましてやまともなジャンプなど出来ないチィに難題を提示したようなものだった。
ところが、抱っこをせがまれる度にそれをやっていたらチィがアタシの左肩を目指してピョーンと飛んで抱きついてきたのだ。
『え?ウソッ』
残念ながら格好良くジャンプ!とはいかず、最初の飛行距離は頑張っても腰あたりだったのでガッシリとキャッチしてやると、後は自力で肩までよじ登ってきた。
ビックリした。嬉しかった。凄く誇らしかった。
『チィタン凄いじゃん!!ジャンプできたじゃん!!』
アタシは腰が痛い事も忘れてチィをギュッとした。
『こんな可愛い子いない。』
チィは瞳を細めて甘えた全開でアタシの肩にグリングリンと頬ずりするのだった。
ねぇ?
幸せってどうして続いてくれないんだろう。
アタシのチィはたった3歳でこの世から消えた。
2月28日 月曜日。
アタシとピンガはずっと一緒にいた。
横たわるピンガの隣りで惰性でテレビを観たり、携帯いじってゲームしたり、時々ピンガの体の向きを変えてあげたり、マッサージしたり、トイレに付き合ったりして静かな休日を過ごしていた。
夕方、台所で何をしていたのか覚えてないけど、流し台からクルリと向きを変えてテーブルの上に置いてあるタオルを取ろうとした時だった。
突然チィが飛び込んできた。
あの懐かしい不格好なジャンプスタイルでピョーンと抱きついてくる可愛いチィの映像がいきなり見えたのだ。
『え?』
アタシは思わず受け止める格好をした。
『…チィタン?』
声に出してその名を呼んだ。
我に返ったその時、数秒間止まっていた世界がゆっくり動き出し、音や匂いが遠くから戻ってきたような、そんな感覚の中にいた。
アタシはその場を動けなかった。
映像は一瞬で消えてしまったが、チィが来たと思った。
チィが死んで10年。
この10年、一度として気配を感じた事もなければ、どんなに願っても夢ですら逢えなかったチィがアタシの胸に飛び込んできた。
本当に不意の出来事だった。
目を閉じて、誰もいないはずの左肩を抱きしめながら幸せだった過去の感触を思い出してアタシは自然と笑みがこぼれた。
そして頬ずりして、、、愛して止まない小さな勇者に久しぶりにあの魔法の言葉を囁いた。
『こんな可愛い子いない。』
心がふんわりした。
今でも愛してる。
これからも愛してる。
優しくて切ない、切ないけど温かい不思議な不思議な再会だった。
チィはなぜ逢いに来たのだろう?
その時はそんな事全く考えもせずにアタシは愛し子との再会の余韻に浸っていた。