弁護士の平井康太です。アマゾン配達員に関する取り組みの続報です。
当事務所では、井上幸夫弁護士、菅俊治弁護士、本間耕三弁護士と私がアマゾン労働者弁護団としてアマゾン配達員の労働組合(東京ユニオン)の支援をしています。
アマゾン配達員の労働組合結成や労働組合や弁護団のこれまでの取り組みについては以前の記事をご覧ください。
Amazon配達員に人間らしい働き方を! アマゾン配達員による労働組合結成 ―2022年6月26日(日)全国ホットライン実施します― :東京法律事務所blog (livedoor.jp)
配達ドライバーホットライン(第2弾) Amazon配達員に人間らしい働き方を! ― 9月11日(日)10時~20時実施予定 ― :東京法律事務所blog (livedoor.jp)
Uber EatsとAmazonは配達員の団体交渉に応じよ ~Uberへの団交応諾命令とMake Amazon Pay~ :東京法律事務所blog(livedoor.jp)
アマゾン配達員画期的な労災認定 :東京法律事務所blog (livedoor.jp)
東京ユニオンは、アマゾンジャパン合同会社に対して、いわゆるデリプロ(下請企業からの下請)で働くアマゾン配達員、アマゾンジャパンと直接の契約関係にあるアマゾンフレックスで働く配達員の労働環境などの改善について団体交渉を申し入れています。
にもかかわらず、アマゾンジャパンは団体交渉を拒否しています。
労働組合法では、使用者は、正当な理由なく団体交渉を拒むことが禁止されています(7条2号)。
そこで、2024年1月26日、アマゾン配達員が組合員として所属する東京ユニオンは、アマゾンジャパン合同会社について、東京都労働委員会に不当労働行為救済申立てをしました。
労働委員会が、アマゾンジャパンの団体交渉拒否が不当労働行為であると認定すれば、労働委員会は、アマゾンジャパンに対して、組合と団体交渉に応じることを命じるといった救済命令を出すことになります。
労働基準法といった労働関係法令の遵守や、増えすぎた荷量の軽減といったアマゾン配達員の労働環境を改善するには、下請会社に対しても絶大な力を有するアマゾンジャパンが率先して取り組む必要があり、アマゾンジャパンが団体交渉に応じることは、改善に向けた重要な一歩になります。
アマゾンジャパンに全国のアマゾン配達員の労働環境を改善させるためにも、是非応援のほどよろしくお願いします。
2 アマゾン配達員の解雇訴訟提起
株式会社若葉ネットワークとの間で業務委託契約を締結していたアマゾン配達員2名が、配達中に問題があったとして、契約解除とされました。
しかし、アマゾン配達員と若葉ネットワークとの間の契約は、労働契約に該当し、若葉ネットワークの契約解除は解雇権の濫用として違法無効であると考えています。
そこで、当該アマゾン配達員2名は、横浜地方裁判所に、解雇が無効であるとした訴訟を提起しました。
この訴訟は、アマゾン配達員が、労働契約法上の労働者に該当することの判断を裁判所に正面から初めて求めるものであり、全国のアマゾン配達員にとっても重要な訴訟になります。
こちらの訴訟も是非応援をよろしくお願いします。
私たちアマゾン労働者弁護団と、東京ユニオン及び東京ユニオンが加盟する全国ユニオンとで、多忙な配達員もご相談しやすいようにLINE相談窓口を設けています。
#配達ドライバーホットラインでは、
・荷物量が多すぎて遅くまで働かされている
・荷物量や配送範囲に見合った報酬の支払いがない
・ガソリン代が高いのに何も支給されない
・賠償義務を負担させられた
・事故、怪我に遭ったが自己負担させられている
・利用者とのトラブル対応を命じられて困っている
・労働組合づくりに興味がある
などのご相談に応じています。
以下のリンクもしくはQRコードから公式アカウントを友だち追加して、トークルームからお気軽にお問い合わせください。メッセージをお待ちしています。
公式アカウントのID @752sspza
今回の件については以下の報道がされています。
(朝日新聞)「団交に応じて」、アマゾン配達員 不当労働行為で救済申し立て
https://digital.asahi.com/articles/ASS1V5V22S1VULFA018.html?iref=pc_ss_date_article
(弁護士ドットコム)アマゾン配達員、団交求めて初の救済申立て 「AIに支配された荷量がつらい」
https://www.bengo4.com/c_18/n_17103/
(弁護士ドットコム)アマゾン配達員は「業務委託じゃなく雇用」、契約解除の無効求め下請会社を提訴
弁護士の平井哲史です。だいぶ久しぶりの投稿になります。
昨年10月12日(木)、提訴から8年かかっていた水戸地方裁判所における裁判が結審となりました。今年3月14日15時に判決言い渡しの予定となっています。ちょっと時間がとれたので、この裁判を振り返ってみました。
この裁判は、動力炉・核燃料開発事業団(略称『動燃』)に1969(昭和44)年から1975(昭和50)年にかけて採用された方々が、動燃により「敵性」判定を受けて「非良識派」とレッテルを貼られ、「あーいう連中に巻き込まれないように」などと職場で喧伝されて良好な人間関係の形成を阻害されるとともに、差別的人事処遇を受けて、昇級昇格差別を受けたとして、2015(平成27)年に4人が、2017(平成29)年に追加で2人が訴え出たものです。(動燃は、数々の問題を引き起こして1998(平成10)年に核燃料サイクル開発機構へと改組し、さらに2005(平成17)年に同機構と日本原子力研究所が統合して、今は国立研究開発法人日本原子力研究開発機構となっていますので、裁判の被告はこの機構になります。)
今回は、この思想信条による差別を問う裁判について書いてみます。「1、背景事情」、「2、動燃のとった差別政策」、「3,裁判に立ち上がった原告」、「4、裁判の内容と展開」と順に書いていくので、長くなってしまうことを最初におことわりいたします。
1、前置き(背景事情)
(1)動燃の設立
動燃は、1967年に、当時「経営が不安定な状態に陥っていた」とされる日本原子力研究所(略称『原研』)に代わり、原子燃料公社が行っていた核燃料開発に加えて新型原子炉の開発を目的として設立された事業団である、というのが世間一般でなされる説明のようです。
ですが、原研内にあった労働組合(略称『原研労』)の『15年史』を読むと、①もともと日本ではポツダム宣言受諾とともに原子力研究が禁止となっていたところを、②朝鮮戦争を機に方針転換がなされ、原子力の研究開発をするために原研が誕生しますが、③研究者を筆頭に原子力の危険性を指摘して安全確保を徹底して求める声が職場で広がり、何度も労使紛争が起きていたことが書かれています。原研労は米軍横須賀基地に原子力潜水艦が寄港することへの反対運動にも参加をしていきます。そうした原研労の活動が邪魔だったようで、動燃が設立されたということが『原研労15年史』には出てきます。
この背景事情を年表にすると、↓こんな感じです。
1945年8月 ポツダム宣言受諾。原子力研究の禁止。 1951年 朝鮮戦争 → アメリカの方針転換 1955年 日米原子力双務協定締結、原子力基本法成立 1956年 原子力委員会発足 日本原子力研究所、原子燃料公社設立 1962年9月 CP闘争 1963年 米原潜横須賀基地寄港反対の運動への参加 1967年10月 動燃設立(原子燃料公社を改組) |
(2)動燃内での安全確保を求める声の高まりと原告らの入社
こうして労働運動の活発だった原研と切り離して、新型転換炉や高速増殖炉と核燃料の開発を動燃で進める体制がとられたわけですが、原研内での「JPDRロックアウト争議」(*)を前後して、動燃ではプルトニウム燃料の本格製造、核燃料再処理施設の建設が計画されていました。そうした背景から動燃内の労働組合(略称『動燃労』)も原研労とともに原子力開発の危険性と安全確保に関するシンポジウムを共同で開くなどし、歩調を合わせる動きをするようになっていきました。
* 動力試験炉(JPDR)の五班三交替勤務を四班三交替勤務に改める業務命令に反対して部分ストを実施した労組に対し、原研がロックアウトで対抗し、組合員の賃金カットを行った事案
こういう状況の中で原告らは高校を卒業して動燃に採用され、動燃労の運動に参加するようになります。
そして動燃労内では、原子力開発を第一に進めようとする事業団の姿勢に対して、これをよしとする潮流もありましたが、あくまで働く者の安全確保や労働条件の向上が優先と主張する声が大きくなり、その声は再処理工場で1974年12月に転落死亡事故が起きるといっそう大きくなりました。そうした主張をするグループの代表格であった円道正三氏が1975年に動燃労中央執行委員長に選任されます。円道氏は、同年11月には転落事故の調査をしていた衆議院科学技術振興対策特別委員会に参考人として招致され、転落事故を起こした動燃のスケジュール優先の姿勢を批判しました。さらに、円道氏は、翌1976年1月には東海村村議選挙に立候補して当選をします。これは原子力開発に対し安全確保を主張して慎重な開発を求める勢力が政治の舞台でも発言力を得たことを意味します。原告らは、それぞれ、円道氏の当選に向けて応援しました。
ここまでの概略を年表にすると、↓こんな感じになります。
1968年3月 原研でJPDRロックアウト争議勃発 原研労、動燃労によるシンポジウム運動開始 1969年4月 原告今井忠光入職(東海事業所) 1971年~ 動燃で核燃料再処理工場建設着工 1972年4月 原告菅原薫入職(東海事業所) 原告川上秋雄入職(大洗工学センター) 1973年4月 原告椎名定入職(東海事業所) 1974年4月 原告小松﨑賢治入職(東海事業所) 1974年12月 再処理工場における転落死亡事故 →動燃労によるストライキへ 1975年4月 原告高野真一入職(東海事業所) 1975年7月 円道正三氏が動燃労中央執行委員長に選任 1975年11月 衆議院科学技術委員会に円道氏が参考人として出席し、動燃の姿勢を批判 1976年1月 東海村村議選でE氏が立候補・当選 |
2、内部資料にあらわれた動燃のとった対抗策(本件の差別処遇)
原子力の研究開発に対し、安全確保優先を求めると、「安全が確認されない限り大規模には進めない」「商業利用には進まない」という方向にどうしてもなります。これは人の生命・身体を守るうえでは当然の要求と言えますが、開発を進めたい事業団としては「邪魔な声」に映ったことでしょう。
そこで動燃は次の手を打ったとみられます。
① 公安警察や勝田署、動燃内の「良識派」として分類した職員らから、職員の身辺や信条に関する情報を幅広く収集し、「A」「B」「C」とランク分けをして「敵性」判定をおこない、「非良識派」としてレッテルを貼る。(甲5) ② 新人研修などの際に、講師となった労務担当者らから、職場の中で共産党が組合運動を革命運動に利用しようとしているからそうした人達の発言が組合全体の意見とならないようにとか、安全確保の優先を主張する声を「団結を弱める」、「原子力開発を否定するもの」と歪曲し、近づかないよう呼びかける教育をおこなう。(甲6および7号証) ③ 枢要業務からの排除、「ぶん回し」や「封じ込め」の人事配置で対象労働者の影響力の拡大阻止をはかる。(甲9号証) ④ 昇給格差をもうけるとともに昇級昇格を止める。「転向」を呼びかける「復権」運動をおこない、「一緒にやろう」との呼びかけに答えて「転向」した者は差別処遇を解除する。(甲12号証) |
びっくりするような内容ですが、これらのことは、当時、動燃の東海事業所で労務担当をしており、後に1995年12月に高速増殖炉「もんじゅ」が起こしたナトリウム漏れ事故の対応を任されていたさなかに不審な死をとげた故西村成生氏が残していた資料(「西村資料」と呼んでいます。)に書かれていたこから原告団および弁護団として理解したものです。証拠番号を引用しているのはこの西村資料の中で裁判に使用したものの番号です。
どんなことが当時なされていたのか詳しくは『原子力ムラの陰謀 機密ファイルが暴く闇』(今西憲之+週刊朝日編集部著)にも書かれています。
原告らは、「能力形成期」にあると位置づけられていた級までは他の職員と同様に昇級していましたが、そこから先には長らく昇級が留め置かれていました。原告らと同期同学歴の職員らは「敵性」判定を受けていないか、「復権」をした人であれば、1997(平成9)年頃までにごくわずかな例外を除き、皆、より上の級に昇級していましたが、原告らは2007(平成19)年(原告小松﨑さんだけは2008(平成20)年)に一斉に昇級するまで、昇級昇格が止められたままでした。このため昇給にも格差が生まれ、グラフにすると↓こんな状況になりました。
このグラフを見れば、明らかに途中から大きな格差ができていったことがわかります。
原告らはなにか差別をされているのではないかとは感じていましたが、なぜ、またどうしてそのような扱いを受けていたかはわからず、この本により自分たちが実は思想信条調査を受けて「非良識派」と決めつけられ、それが故に差別処遇を受けていたのだと気づきました。
3、差別裁判の「壁」に立ち向かった原告
多くの差別を争う裁判で、難しいのは、使用者による差別意思の立証と、この差別意思と不利益処遇との因果関係の立証です。差別をしている側は、そうとわかる証拠を普通残そうとはしませんから、普通の差別裁判では、たくさんの間接事実、間接証拠を並べて裁判官の「推認」を勝ち取らねばなりません。このため「差別されている!」と確信をしていても、それを裁判所に認定させることは容易なことではありません。
西村資料により、格差処遇、差別の源がわかった原告らでしたが、その時点ですでに定年を迎えていたり、定年間近でした。今更何年もかけて裁判をやるのか?と思うと二の足を踏まれた方もいたでしょう。ですが、西村資料にあらわれていたのは、事業団の進める施策に反対をする者は圧殺する姿勢です。それがわかってなお許していいのか、そんな職場環境をそのままにしていいのか、傷つけられた自分の尊厳を回復する挑戦をしなくて誇りを持って生きられるか、そんな自問自答の末に、原告ら6名は裁判闘争に立ち上がることを決意しました。
4、裁判の内容と展開
(1)裁判の内容
本件裁判で直接求めていることは、差別処遇によりこうむった昇級昇格ができなかったことによる賃金差額相当額と慰謝料、そして弁護士費用の損害賠償になります。本来求めたいのは一人の普通の職員として扱われず長年にわたり差別を受けてきたことに対する人間の尊厳の回復なのですが、時がまき戻らない以上、技術的にそれは無理で、やむなく金額換算をして請求するとこのようになります。
しかし、たとえば社会診療報酬支払基金で起きた差別処遇是正を求める裁判(東京地判平2.7.4 労判565号)では、時間はかかりましたが、裁判の結果、その後は目立った差別処遇は影を潜めるようになっています。経営も裁判から学び、労働者の処遇に気をつけるようになったものと評価できます。このように裁判の結果、職場の空気が変わることはあります。原告らも、この裁判の副次的効果として、ものを言っても不利益を被らない、自由にものが言える職場がつくられることを期待してこの裁判を提起しました。
(2)裁判の展開
その後の裁判の展開は、ざっくり書くと、↓以下のようになります。
2015年7月 提訴 <準備書面の応酬> 2022年7月 第1回証人尋問 2022年8月 第2回尋問 2022年9月 第3回尋問 2022年10月 第4回尋問 2022年12月1日 第5回尋問 2023年1月19日 第6回尋問 2023年3月9日 第7回尋問 2023年4月20日 第8回尋問 2023年10月12日 結審 |
提訴から結審まで実に8年かかっており、いまどきの労働裁判では異例中の異例と言えます。当初、被告は、西村資料を完全否定し、差別なんてないとする主張で、個々の原告の人事評価に言及していませんでした。それが提訴後数年経ってから、昇級昇格の遅れは差別とは関係なく人事評価の結果に過ぎないとして個別の人事評価について長々と主張立証をしだし、原告側もこれに応戦せざるをえず、訴訟は遅延し、双方とも40本以上の準備書面を提出することとなりました。
(3)被告の主張と証人尋問で語られたこと
ここはどうしても原告代理人の主観的評価が入ります。
裁判の中で、被告側は、昇級昇格には「より上位の資格に必要とされる職能を保有する」と認められることが必要として、原告らについては「上位の級について十分な能力があり、かつ勤務成績が良好であるという昇格の基準を満たさなかったため」であり、差別ではないと主張していました。
そして、各原告について、定型化されたものについては概ね行っていたものの、自ら自発的に問題点を見出して、その課題を解決するために考察し、改良・改善を実行していくという態度がみられなかったとか、他の職員を牽引する能力がなかったなどと主張していました。被告が申請した各原告の元上司も概ねこの被告の主張に沿わせるように証言をしていました。
ですが、まずもって、元上司として証言した人々は、原告らの上司であった期間が短く、当該原告の評価をほとんどしていなかったりするなど証人としての適格性に疑問を覚える方もいて、その証言の信用性は低いと言えるものでした。
証言の内容も、口をそろえて、各原告について悪い評価ではなかったことを証言しており、そうであれば昇級昇格を著しく遅らせる理由はないと言えます。
そして、昇級昇格させるには足りなかったとする要素としてあげていた積極性等についても、個々の人事評価者の評価者コメント欄にはこうした被告側の説明と異なり、積極的に業務に取り組んでいたことが評価されていたり、評価点が平均的なものより高い評価を受けていたりしており、元上司の証言は客観的な書証と矛盾すると見られるものもありました。
もちろん、証言の評価は立場により分かれうるところではありますが、法廷で語られた元上司らの証言からは、原告らを長年にわたり昇級昇格させないでいなければならなかった積極的な理由は見いだすことはできませんでした。
5、支える仲間=「動燃から続く不当差別是正訴訟を支援する会」とともに勝訴判決を迎えたい
原告らは、もともと組合活動に積極的で、それぞれの住んでいる地域でも諸活動に参加をしていました。そして、動燃の後継組織が2005年に原研と統合再編して日本原子力研究開発機構となった頃に、原研労に組合を移籍しました。
こうして地域でもつながりを持ち、職場においても仲間を得た原告らが裁判を起こすと、原研労が支援をしてくれ、原研労が加盟する特殊法人労連の中でも支援の輪が広がりました。また地域でも、日本国民救援会茨城県本部の人々や、日立製作所関連でやはり差別争議をたたかった方、さらには東京電力による思想差別事件をたたかった方など、いろんな縁で結びついた皆さんが関心を寄せていただき、「動燃から続く不当差別是正訴訟を支援する会」がつくられました。この会の皆さんが常に法廷傍聴に参加してくれ、年に一度総会を開き、公正な判決を求める署名集めに奮闘してくださってきました。
法廷の中では原告らおよび弁護団が、法廷の外では「支援する会」の皆さんが協力してこの裁判をたたかってきましたが、結審前の昨年7月、原告団長を務めてこられた原告小松﨑さんが病気で他界をされました。原告の中でもひときわ差別扱いに対する悔しさを前面に出し、頑張ってこられた小松﨑さんが訴訟の遅延により判決を迎えることができなかったことは大変残念で悲しいことでした。原告団、弁護団、そして傍聴席を埋めた「支援する会」の皆さんの心情を察してか、結審期日の冒頭で、裁判長が原告小松﨑さんに哀悼の意を述べたことは印象的でした。
だから勝てるという甘いものでは裁判はありませんが、動燃の経営サイドにいた西村氏が残した内部資料である西村資料で存分に差別行為があったことは立証されていると確信をしています。しっかり勝訴判決をもらい、原告小松﨑さんの墓前に「ホワイトデー」の贈り物としたいと思います。「支援する会」で裁判所に提出するための「公正な判決を求める署名」はコチラ↓です。
動燃差別訴訟を支援する会 - 署名用紙等 (google.com)
賛同いただける方は、ダウンロードして印刷し、署名をお寄せいただけましたら幸甚です。次は、判決の報告を書く予定です。