弁護士の中川勝之です。
本日2020年9月14日付けで樽見英樹氏が厚生労働事務次官に就任するとの報道に接しました。
樽見氏は、2008年7月30日から2009年12月31日まで社会保険庁の総務部総務課長の職に就いており、2012年2月27日に実施された人事院審理において証人として証言しました。この機会には全国から弁護団が集まり、夜遅くまで尋問をしたことで思い出深いものがあります。
社会保険庁職員不当解雇撤回闘争についてはご存じかと思いますが、若干説明しますと、2010年1月1日、日本年金機構が設立され、社保廃止に伴い、2009年12月31日付けで525名の社保庁職員が分限免職処分を受けました。
これに対し、全厚生労働組合に結集する元社保庁職員39名が人事院に審査請求し、2013年に全厚生闘争団を含め合計71名の請求者全員について判定が出されました。結果は処分取消が25名(全厚生闘争団10名)、処分承認が46名であり、請求者全員における処分取消の割合は35.2%でした。
また、訴訟については、全厚生闘争団として、全国に7事案があり、東京地裁において原告1名が分限免職処分取消の勝訴判決を得たものの、東京高裁で取り消され、
最高裁でも敗訴が確定しました。
そして、2019年10月17日付けで秋田事案について、最高裁判所第一小法廷は、上告棄却と上告不受理の両決定をし、その結果、残念ながら、全厚生闘争団としてたたかってきた全国7事案について、訴訟自体は終了したことになりました。
そういった経過の後の樽見氏の厚生労働事務次官就任とのことでしたので、樽見氏の証言について述べたいことが多々ありますが、ここでは一点紹介します。
東京地裁での最終準備書面での主張の一部です。
5 残務処理要員定員不活用 厚労省には2010(平成22)年3月末までの社会保険庁残務処理要員枠が113名分あったにも拘わらず、これをまったく活用しなかった。これを活用し、同年4月以降厚労省に配転して過員のまま維持し、順次、退職者や出向による空き定員に当てはめていけば、同年中にはこれを吸収することが可能であった。 この点に関して、人事院審理において、宮野証人は、本件分限免職後の2010年度の採用数について、「4月以外の年度途中の採用が極めて、200人以上で非常に多くなっていると思います」と証言した(甲A76)。この中途採用の代わりに、残務処理要員枠を活用すれば、分限免職回避が可能だったのである。 ところが、厚労省も社保庁も、せっかくの枠を全く活用しなかった。 人事院審理において、樽見証人は、2010(平成22)年3月末まで引っ張ると、組織の改廃・定員の変更ではなくなるため、分限免職しにくくなるので、残務処理要員を使わなかった旨証言した(甲A74・104頁504項)。まさに、分限免職者を出すことが至上命題であったために残務処理要員枠を使わなかったのである。これも、前述した政党の意向を反映したものであり、政治の不当な介入による分限免職回避努力義務違反と言うべきである。 |
2009年12月末での分限免職処分を回避するため
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2010年1月から3月末までの残務処理定員113名分の予算を確保していた
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同人数分、3か月間、分限免職処分を回避できた
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にもかかわらず、定員を一人も使わず、分限免職処分を強行した
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分限免職処分回避努力義務違反、との主張です。
実際の樽見氏の証言は次のとおりです。
503(
渡辺輝人弁護士(京都第一法律事務所))それから、先ほどのキープという話ですけれども、平成22年の3月まで分限免職の対象になりそうな人をキープしておくという話があったですね。で、これはなんで'実際にやらなかったんですか。
(樽見)結果的に、4月まで持っておくという事によってどっかに転任できるというそういう口がなかったという事ですね、残念ながら。
504(渡辺)いや、だけどそれこそ、それまでに亡くなる人もいるかもしれないし急に辞める人もいるわけで、退職者の補充というのはきくんじゃないですか。
(樽見)そういう人が出れば、そこの中から回すというのは一面では出来るという事だと思いますけれども。ただ一方で、逆に抱えておいて、3月末日で例えば分限免職という事ができるかというと、3月末日になると組織の改廃・定員の変更があったというふうに、社会保険庁が無くなったのは12月末なので、それとの関係で3月末まで引っ張って分限免職っていうのが同じように出来るかというような問題もありましたので、ここは結果的には、使えなかったのは残念だと私今でも思っていますけど、使えなかったという事だと考えています。
505(渡辺)あなた、今すごい事言ったの分かります。廃職という枠組みが無くなっちゃうから、分限免職出来なくなるので、その枠組み使わなかったんだ、って証言したんですよ。
(樽見)はあ。
506(渡辺)それ重大な証言だと思いませんか。回避努力出来たのに、その期を逃したら法律上のやるチャンスが無くなっちゃうからやらなかったんです、っていう答弁ですよ、あなたがしたのは。
(樽見)回避努力を、ちょっとよく分からないんですが。
507(渡辺)いや機会が無くなっちゃうと言いましたね、機会が無くなったらいいじゃないですか、そのまま持っとけば。
(樽見)とはいっても、定員は無くなってしまうんですよね、まあそういう意味で言うと定員が無くなってしまうので、いずれにしても3ヶ月後にはここで。
508(渡辺)だから、そこの時に過員による分限免職処分を考えればいいんじゃないんですか。
(樽見)そうですね、ちょっとそこはあまり詰めて申し上げておりませんでした。そういう事で言うと、私の申し上げた事については3月末になると出来ないと言うのは、これは法律的には聞違いだったかもしれません。ここはちょっと訂正させてください。いずれにしても、社会保険庁が無くなってしまうというきっかけでは無い時点で、いづれ3ヶ月後に定員がなくなるという事態が生じてしまうので、そこの定員については結果的に使えなかったという説明。
509(渡辺)いやいや使えなかったって、あなた方が予算要求をして政府が予算措置してくれたわけでしょう。それ使えなかったって、意味分からないんですけど。使えばいいんじゃないですか。お金あるんだから。
(樽見)その3ヶ月間置いておいて、結局それってその3ヶ月間の後に行き先があると言う人のために使うという事で考えておったので、そこを3ヶ月経ったところで退職という形になるわけですから。
510(渡辺)なるかどうかっていうのは、あなた方がその就職先を転任先を見つけてくればいいんでしょ。それまでに努力を続ければいいんじゃないんですか。
(樽見)そういう事でいうと官民人材交流センターに。
511(渡辺)いや官民じゃなくて、さっきも言っているように、他省庁とかね。厚労省内部でも転任先をどんどん頑張って見つけてくればいいでしょ。その義務をやるという前提であれば意味のある3ヶ月なんじゃないんですか。
(樽見)まあ実際問題として、その時までにその3ヶ月の間に転任が出来るという数が出てこなかったわけです、結果的に言うと。
512(渡辺)でもあなたたちは、そこは流動的で実際でないと分からないと言うわけでしょ。その欠員というものは、例えば誰かが辞めるとか、誰かが死ぬとかそういう事情が無いと分からないと言っているわけでしょ。だからそれがいつ出るか分からないんだから、持っとけば出てくるかもしれないじゃないですか。
(樽見)いずれにしても、社会保険庁が無くなって平成21年12月31日までに日本年金機構に移行するという所まで、社会保険庁から他への転任という事について、最大限どれだけありませんかという事を聞いて回って、厚生労働省との関係でもそれまでの転任というのを全部決めて、その間ずっと増やしてきたわけですので、3ヶ月の間だけというと同時に、これまた余計な事言うと言われるかもしれませんけど、例えば旧社会保険庁の職員で国に転任した職員を、日本年金機構の方へ例えば130人程度出向させる。その間、穴になる所については、臨時の職員という事で埋めると言ったような事を含めて、12月31日を終期として行き先のない職員について、どれだけ職を提供できるかという事を一生懸命やってきたわけですので、12月31日の時点で整理をつけたという事です。
513(渡辺)整理つけたかったんじゃないの。あなたは先ほどのを撒回と言われたけど、結局その時点で整理をつけたかったのではないんですか。だってそうでしょ、予算措置まで取って別に誰も居る事について何も問題ないのに、あえてその枠を使わなかったわけです。
(樽見)そこは3ヶ月だけの残務整理という事です。
<以下省略>
当時、樽見氏から「あまり詰めて申し上げておりませんでした」との証言がありましたが、是非、厚生労働事務次官になった今こそ、詰めて考えて、
社会保険庁職員不当解雇撤回闘争の解決に向けて動き出していただきたいと切に思います。