水口洋介弁護士、今泉義竜弁護士、本田伊孝弁護士が弁護団に参加しているIBMロックアウト解雇事件(1次・2次)、原告5名全員の勝訴判決が出ました!
旗出しする今泉弁護士・細永弁護士(旬報法律事務所)
記者会見する水口弁護士(右端)
取り急ぎ、組合・弁護団の声明を以下に紹介します。
声明(全員勝訴)
2016年3月28日
JMITU(日本金属製造情報通信労働組合)
JMITU 日本アイビーエム支部
IBMロックアウト解雇事件弁護団
1 東京地裁民事第36部(吉田徹裁判長)は、本日、ロックアウト解雇事件1次・2次訴訟に関して、日本IBM(会社)のなしたロックアウト解雇を違法無効として、原告全員5名につき地位確認及び賃金の支払いを命ずる原告ら全面勝訴の判決を言い渡した。東京地裁は、解雇規制法理を無視した日本IBMの乱暴な解雇を断罪したものである。
2 会社は、2012年7月以降、本件ロックアウト解雇を突然に開始した。これ以前は、会社は、2008年末以降、執拗な退職勧奨によって1300人もの労働者を退職させていたが、業績不良を理由とする解雇を一切していなかった。ところが、2012年に米国本社から派遣された外国人社長が就任した直後から本件ロックアウト解雇が連発されたのである。
2012年7月~10月にかけて11名、2013年9月5月~6月に15名を、2014年3月に4名を、2015年3月~4月に5名の組合員を解雇した。これ以外に非組合員15名も解雇通告されている。本件1次・2次訴訟の原告は2012年及び2013年に解雇された組合員であるが、他にも6名の解雇された組合員が地位確認訴訟を提起し、現在東京地裁に係属している(3次~5次訴訟)。
3 本件解雇の特徴は、先ず、会社が原告らに交付した解雇理由書には「業績が低い状態にあり、改善の見込みがない」という抽象的な理由が同一文言で記載されていた点がある。しかも、10年、20年以上勤務してきた原告らを突然呼び出して解雇を通告し、その直後に同僚に挨拶をする間も与えずに社外に追い出す(ロックアウト)という乱暴なものであった。さらに、2012年7月以降の会社全体の被解雇通告者は50名にのぼるが、そのうち解雇通告当時、組合員であった者が34名であり、まさに組合員を狙い撃ちにしたものであった。
原告らは長年にわたり会社に勤続してきた労働者であり、会社が主張するような業績不良や改善見込みがないなどという事実は一切なかった。ところが、会社は、人員削減と労働者の「新陳代謝」を図るために、業績不良という口実をでっちあげて解雇したものにほかならない。これはリストラに反対してきた労働組合の弱体化を狙って実施された解雇でもある。まさに、本件ロックアウト解雇は、米国流の「解雇自由」に基づくIBMによる日本の解雇規制法理に対する挑戦であった。
4 東京地裁は、解雇の有効性については、原告らに一部、業績不良があるとしたが、「業務を担当させられないほどのものとは認められず、相対評価による低評価が続いたからといって解雇すべきほどのものとも認められないこと、原告らは被告に入社後配置転換もされてきたこと、原告らに職種や勤務地の限定があったとは認められないことなどの事情もある」として、本件「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であるとは認められないから、権利濫用として無効というべきである」とした。まさに、IBMによる日本の解雇規制法理への攻撃を退けた点について高く評価できる。
他方、東京地裁は、上司が本件組合に対する否定的な評価の発言をしたことを認定しながら、解雇の判断に直接つながるような内容ではないとして、不当労働行為性を否定した。この点は不十分な判断である。
5 現在、東京地裁で6名の組合員の解雇訴訟が係属している。また、本件ロックアウト解雇等について労組が東京都労働委員会に救済申立をして現在も審理中である。しかし、本日の判決で、本件ロックアウト解雇の違法性は明らかになった。
われわれは、会社に対して、1次・2次訴訟の控訴を断念すること、そして、3次~5次訴訟原告を含めた原告全員の解雇を撤回し、直ちに復職を受け入れるよう強く要求するものである。
以上
弁護士の今泉です。小部弁護士と取り組んでいた国賠事件で、東京都に賠償を命じる勝訴判決を得ました。
各種報道もされています。
NHK 朝日新聞 毎日新聞 東京新聞 産経新聞
以下、長いですが報告します。
1事件の概要
被害者は新宿区で鮨店を経営する二本松進さん。2007年10月の早朝、奥さんの月恵さんが運転する車で築地市場に行き、月恵さんを運転席に残して仕入れに向かった。月恵さんは、路上に停車して夫の帰りをまっていた。付近では、朝はいつも数十台のトラックやバンや乗用車等が仕入れのため駐停車している。
そこに二人の警官(高橋眞知子・渡邊すみ子)が近づいてきた。無人の放置車両については素通りしていたものの、月恵さんが乗っている車の付近に立ち止まり、ちょうど仕入れから戻った進さんに対し「ここは法定禁止エリアだ」などと述べ、取締りをしようとした。二本松さんが仕入れであること、他は全く取締りをされていないのに自分だけ取り締まるのは不合理であるなどと反論すると、警官らは「免許証だせ!」と激高、手に持っていた黒カバンを突き付けて進さんに迫った。進さんは何事かと驚き後ずさりし、車に戻って「もう勘弁してよ」と懇願するも、高橋警察官は突如「暴行!暴行!」と叫びだし、応援の無線によって数台のパトカーが臨場、駆けつけた警官らが進さんを羽交い絞めにして逮捕した。この騒動は、100名ほどの通行人が周囲に集まり目撃していた。
あとから判明した逮捕容疑は、「婦人警官の胸を7~8回突く等の暴行を加え,車両のドアを閉める際に婦人警官の右手にドアを強くぶつける等して,職務執行を妨害し,暴行により全治10日間の傷害を負わせた」という進さんにとって全く身に覚えのないものであった。
二本松さんは19日間にわたって勾留・取調べを受けた上、「自白しないと,いつまでも勾留され,店が潰れる」「起訴されて長いこと刑務所に入る」「回数を少なくしてもよいから,自白したら」等と取調べの警察官や五島検事から自白を強要された。二本松さんは抵抗したが、肉体的・精神的な負担に耐えきれず「黒カバンに触れ,巡査の胸に振動が伝わったかも知れず申し訳ありませんでした」という虚偽の自白調書へ署名をさせられ、起訴猶予の不起訴処分となった。
2提訴、文書提出をめぐる攻防
怒りが収まらない二本松さんは、2009年10月、本人訴訟として国、東京都を相手に国家賠償請求訴訟を提起した。その後、国民救援会を通じて東京法律事務所に相談が来て、小部弁護士と当職とで担当することとなった。
国と東京都は虚構のストーリーを作り上げてきた。こちらは2010年10月に本件にかかるあらゆる捜査資料について文書送付嘱託をかけたところ、裁判所はとりあえず不起訴記録一式の送付を検察庁に求めた。しかし、検察庁は刑訴法47条を楯に記録をごく一部しか任意に開示しなかった。
あらためて文書提出命令を申し立てるなどし、捜査資料の提出を巡っての攻防が長期間続いた。都及び国側の抵抗がなされる中、裁判所は勾留請求時の送致記録について、最高裁判例に基づき国に対して文書提出命令をし、一定の捜査資料が開示された。
私たちは、勾留請求後の捜査記録についても開示を求めるとともに、本人及び高槗、渡邊、事件の目撃者4名、取り調べにあたった警察官、勾留請求をした検察官、勾留決定をした裁判官の人証申請を行った。なお、目撃者は、月恵さんが事件直後に現場でビラ配りをしていたところ声をかけてくれた3名、そして本件裁判中に現場で弁護団が検証している際に声をかけてくれた1名である。
裁判所は、勾留請求後の捜査記録についての開示請求については判断を留保した上で、まずは進さんら本人及び高槗、渡邊を証人採用して取り調べた上、その後その証人調べの結果を踏まえてその他の捜査記録の開示及び人証調べの必要性について判断するとの訴訟指揮を行った。
3 証人尋問と忌避、再度の証人尋問
かかる訴訟指揮に基づき、2013年11月29日に高槗及び渡邊、同年12月11日に進さん、月恵さんの証人尋問が実施された。弁護団はこの証人尋問で、高橋及び渡辺に対し、供述が相互に矛盾している点、また暴行の態様など重要な事実について捜査段階から供述の変遷を繰り返している点を徹底的に追及した。
上記証人尋問が終わった後、裁判長及び右陪席が異動となり、2014年1月26日に松村徹裁判長が、同年4月1日に池田幸子裁判官が新たに上記事件を担当することとなった(左陪席は、山崎文寛裁判官)。
そして、証人採用及び文書提出命令申立について、すでに行われた証人尋問の結果を踏まえ、3月7日の弁論準備期日で双方の主張がだされ、5月23日の期日にて、進行について協議する予定となった。しかし、5月23日の期日で、松村裁判長は、「証人の採否及び文書提出命令申立についての判断は、大事なことなので次回の弁論期日に伝えたい」などと述べるだけで、7月4日を弁論期日として指定した。
その7月4日の弁論期日においては、松村裁判長は、「記録を検討した結果、事実関係について判断できる状態である」などと述べ、そのように判断した具体的理由を再三問いただしても、何ら具体的理由を述べることなく、目撃証人4名を含むすべての人証申請を却下し、さらに勾留請求後の捜査記録の文書提出命令については何の判断も示すことなく、最終準備書面の作成を当事者双方に促そうとした。
弁護団は、かかる不当な訴訟指揮を受け、その場で裁判官3人全員に忌避(民訴法24条)を申し立てた。松村裁判長は、面食らった表情を一瞬浮かべ、裁判官3人は退廷した。
その後、忌避は却下されたものの、改めて再開された弁論期日において弁護団は民訴法249条3項(合議体の裁判官の過半数が代わった場合において、その前に尋問をした証人について、当事者が更に尋問の申出をしたときは、裁判所は、その尋問をしなければならない)を根拠に、進さんと月恵さん、二人の警察官の再度の取り調べを要求した。結果、裁判所は進さん、月恵さんの二人についてだけ職権で再度の証人尋問をすると述べた。
2015年9月30日、進さん、月恵さんの再度の証人尋問が開催され、改めて自分たちの経験した出来事を説明し、不当な逮捕・勾留であったことを訴えた。
4 判決
目撃証人を一人も採用しなかったという訴訟指揮から、弁護団は99.9%敗訴判決だろうと覚悟していた。進さんは、判決の日に記者会見をやろうと弁護団に提案していたが、弁護団は、敗訴判決について会見場を押さえるのは困難であると判断、判決前のプレスリリースにとどめた。
2016年3月18日11時。入廷した松村裁判長は、緊張した面持で「ゆっくり読みますのでよく聞いてください」と前置きし、主文を読み始めた。
「主文。原告らの訴えのうち、被告らに対する文書発行請求に係る部分をいずれも却下する」
ここまでは想定通りであった。次は本案の棄却判決だろうと予想していた。
「被告東京都は、原告二本松進に対し、240万円および…」
ここで、勝訴したことが分かるのだが、全く予想していなかったため、喜びよりも「?」という思いの方が強い。進さんの方を見やると、進さんは「当然」というような表情を浮かべていた。
法廷を出ると、傍聴していた記者数名が進さんに取材殺到。急遽司法記者クラブで記者会見を行った。「勝訴」の旗を用意していなかったのは、弁護団の判断ミスであった。
判決は、「暴行のいずれについても、明確さに欠ける部分のほか、看過することのできない変遷または齟齬があったり、仮にその証拠関係のとおりであったとすればそれ自体が不自然であったり疑問が生じる部分を多く含んでいる」などとし、警察官らの証言の信用性を否定するものだった。
5 今後
不当な捜査に抗議しただけで公務執行妨害をでっち上げられるという事例は実は少なくない。しかし、それが正義に基づいて断罪される事例は少ない。本件も6年以上の年月が一審裁判に費やされている。国賠を闘い続けられるのは二本松さんのような強靭な意思を持っている方だけである。多くの人が泣き寝入りを強いられている中、警察官の不正を断罪した裁判所の判断は大きい。警察権力の濫用は、冤罪の温床である。こうしたことは許されないと声を上げた二本松さん、そしてそれを支え続けた国民救援会のみなさんには、本当に敬意を表したい。
東京都は控訴すると思われるが、引き続き不正義を許さない闘いを二本松さん夫妻、国民救援会はじめ支援者のみなさんとがんばっていきたい。
以上