
ご覧いただいた画像は自家製「かんぺきなハムエッグ」。この理想的なバランスを得るタメには、まず市販のパック入りよりも
ひとまわりデカいハムが必要。んでそのハム(お高い…)を単体で焼く。それとは別進行で、
玉ねぎを輪切りにし、中央最外殻だけを抜き出してフライパンにセット。ここに玉子を割り落とし、ゆっくり焼いて目玉焼きをつくる。
ハムの肉と脂が熱せられジューシーに焼けたらその真ん中に目玉焼きを乗っけて大完成!
オレンジ色に輝く黄身の鮮やかさを損ねないため蓋はしない。最後まで玉ねぎフレームにセットしたままだと、いかにも「枠に嵌めて焼きました」感が出て自然さがなくなるので、半分熟したころにそっと枠を外して
若干の輪郭の流れだしを設けるのがコツ。まさに「
意図されたぐうぜん」だね。



ええとそんなハムエッグ、これが"
世界"の比喩にして"
ヴァルヴレイヴ"の比喩ではないかというのが
かねてからの自分の見立て。これをさらに確信させたのが8-9話。

「
命を"
はんぶん"になんて、できるわけがない!」
「ハムエッグの
黄身は"
はんぶんこ"にはできない」との衝撃的な発言で有名なハムエルフ氏、そのルーツが8話終盤に明かされる。

「これで我が一族は…
命を繋ぐことができる」
そしてその直後、エピソードの"ヒキ"。無垢なエルリゼと対比されるように明かされる、謀略家カインの目的の一端。自分らの
命のためにヴァルヴレイヴを得ようとする。

搭乗者契約は肉体の不死化。永遠の
命。ああ、なる程「
命」
がいちばん大事なんだ。
ソレは置いて、
9話感想。9話はもう
キューマに尽きる。ああ、なる程「
9話」だけに…。


「もうこれ以上犠牲を出さないためなんだ!"
みんな"で幸せになるためなんだ!」
「…"
みんな"って誰のコトだよ?」
「その"
みんな"ってやらのなかに、てめーは入ってんのかよ!」
「自分が入ってねぇ"
みんな"なんて、クソだろうが!!」
かんじんの自分自身を抜きにした「みんな」、この世界なんて絶対ありえない。自分の吐く言葉、とる行動は、
誰でもない自分のためだけにある。エルエルフと山田を通して9話でキューマがやっと辿りつけた答え。"
この物語"における
真理。この世で最も尊く美しいものはエゴ。

「…"
みんな"のためじゃない。」
「俺は…"
俺のため"に戦いたいんだ!」

10話のショーコの演説とレイプ劇はその拡張。他の誰かのためじゃなく、何かに強いられたからじゃなく、ひとは自分のやりたいことをやるべきだ。…やりたい願い、それが「
たまたま」他の誰かのためなんだったら、それもためらいなく全力で、誰でもない
自分自身のためにソレをやれ。もちろんやりたいことをやる以上、
代価は必ず支払わねばならない。おおきな願いにはおおきな代償が必要だ。覚悟して、それでも「
やれ」と。それを決断するのも
誰でもない自分自身。



サンプル1 距離:遠 「"ヤスラカニ"、っと」
サンプル2 距離:中 「櫻井さん、見てる?…結局言いそびれちゃったわ」
サンプル3 距離:近 「ああ、解ったよ。アイナ!」
アイナという他人へのそれぞれからのバラバラな距離感、めいめいに
身勝手に折り合いがつけられるアイナという人物像。「他人」というものは「自分」という観測者がいなければ成り立たない。善きにつけ悪しきにつけ、この世界において他人とは「自分のために存在するオブジェクト」に過ぎない。


自分にウソついて"
遠い"フリして「ヤスラカニ」を押しても折り合いなんかつきっこない。自分の本心を自分に向かって正直に吐露し、その指で改めて「ほんとうの折り合いつけの"ボタン"」、自分を殺すほどの激情の「Yes」をついに押すキューマ。

戦いのさなか、"まさにいよいよ"なタイミングでパイロットたちの前にあらわれるアイナのイメージ。死して尊い聖母が少年を導く…まったく「
サンライズ的」
演出ではあるのだけど、
このヴァルヴレイヴではそんな「
聖母」
はまったくの虚像でしかない。何の奇跡ももたらさない。何の意志も行使しない。もちろん台詞なんかあるワケない。巨大アイナ像は戦艦のビーム砲を止めちゃいない。


機動戦士ゼータガンダム最終回で主人公カミーユの前にあらわれた戦死者たち、折角眼前にあらわれたのに、肝心のそのカミーユを
ほっといて幽霊同志で痴話喧嘩おっぱじめるのは流石というか何つーか、すごい衝撃的なシーンだったw…いっぽうガンダムUCで描かれる「死して尊いすがた」は
ヴァルヴレイヴと同じタイプ。
ハルトもキューマも「そこにいないアイナを見るという"
儀式"」をもって
決断を果たす。他人とは自分自身を見るためにだけ存在するもの。「下すべき決断」なんか内心とっくにわかっちゃいるけど、どうしてもわだかまりがまだ残ってる。それを振り払うために、
身勝手にアイナという他人を「
使ってる」んだ。このアイナ像の描写においてはファンタジー現象、
オカルトなんかどこにもない。その対極、ただ
生々しい人間の行動があるだけ。

偽りのアイナが喋る言葉は、誰でもない自分が発してる言葉。「エルエルフと手を組む
べきだ」「死んでしまった者への執着は捨てる
べきだ」…そんな聞きたくなかった自分自身の声と彼らが向き合うためのツールがアイナという自慰玩具。ヴァルヴレイヴの物語は、誰も彼もがとことん
身勝手だからこそ美しい。もちろんアイナ自身にもじつは
アイナだけの身勝手な世界があり、見た目どおりのただの「天使」に終わらないキャラクターを抱えてる。
誰も彼もが身勝手だから美しい。
俯瞰したこの世界がどうあるか、あるべきなのかなんてコトは心底クソどうでもいい。事実なんかより大切なのは、
誰でもない自分自身が事実とどう向き合い、どう解釈するのか。自分だけの真実、たったひとつそれだけが
世界のすべてだ。エゴだけがすべて。「命は等価、世界は平等」なんて冗談でしょうw この世界=誰でもない自分自身にとって「
重い命」と「
軽い命」の格差はハッキリ存在するんだよ。それがない世界、それに目を背けて過ごす世界なんてディストピアそのもの、まったく笑えない冗談でしかない。モブはモブという身分を重々わきまえてひっそり死ね。

うぁーいかに9話のハナシが「
この世でこの自分自身だけが大好き」を常日頃から強く標榜し続けてるオレのツボを突いたか、
描かれる価値観に
強く共感したかはまぁさておき、9話をフルに使って訴えかけられたメッセージ、それは
自分と
世界の関係。
世界とはイコール自分自身のこと、
この自分こそが世界。世界という概念がハムエッグに見立てられるのなら、まったく同じように自分自身もハムエッグに見立てられなきゃおかしいよね。ダブルスタンダードは絶対に許さない。
ハムエッグは世界、
ハムエッグは自分自身。その中心、欠かせざるモノ…「ハムエッグの
黄身」=「世界における
輝く太陽」=「はんぶんこにできないひとの
いのち」。この簡潔に成立する等号よ。太陽はいのち。
すると「ハムエッグの
ハム」の方は「世界における
大地(それを可視化したものがダイソンスフィアの外殻構造)」であり「ひとの
肉体」というコトになるな。世界もひとも、そのすべてが
二項化同心円として図示される。命=太陽=心、中心にある抽象的なこのへんの概念を纏めて「
霊」と呼び、大地や肉体といった外殻部分、物理的な存在を「
肉」とでも呼ぶべきか。


しかしそれにしても「
命」というこの
お題、もちろんここではじめて出てきたワケじゃない。革命機ヴァルヴレイヴは最初っから一貫して、清々しいくらいに「
命」をあらわしてる。
ヴァルヴレイヴという機体が全力で体現する太陽は、命の象徴。太陽とは永遠に燃え盛る命。太陽崇拝とは生命への崇拝。そしてヴァルヴレイヴが実際にもたらしたものは文字通りの永遠の命。コア機関部=太陽=命=霊、それと一体化せずただ取り囲むフレーム=大地=肉。ヴァルヴレイヴも同心円構造だ。

そしてキーワードである「革命」、それは
語義どおりの「
世界を変革すること」であり、
字義どおりの「
命をあらためること」でもある。このダブルミーニング。作品を貫くポリシーはブレなくひとつ。ヴァルヴレイヴはどこを切っても「
世界=自分=二項化同心円」。強烈な意志、強烈な作品性。あーじつに素晴らしい!

「諸君!
国家とは何だ!」
「総ての国民が最も必要とし求めているもの、それは"命"だ!…自由も平等も総ては命があってこそ」
「力が無ければ正義も正論も通りはしない!国家とは力である!」
「赤い木曜日の悲劇を忘れてはならない。」
「未来を違え失われた同胞の血に懸けて、ドルシアに絶対無敗の勝利を!」
もうすっかり記憶の彼方にいっちゃった、5話、ドルシア子安総統の全国民に向けた
すこぶるどうでもいい演説。
コレ2行目いらなくね?この時点ではよくある「アホ独裁者の演説」と思って聞き流してたんだけど、一字一句正確にことばを追うと、
2行目だけ他全体と噛み合っているようで
噛み合ってない。特に2行目から3行目への論理展開がまるでなってない。命か~ら~の~、だったら話の流れは「力が無ければ」→「
命が脅かされる」等になるハズだし、最後だって「同胞の
血」じゃなくて「同胞の
命」にならないと締まらないでしょう?どんな素人演説だ。いっそ
抜かしていいよ2行目。2行目さえ抜かせばキチンと筋道とおった演説になるから。
この革命機ヴァルヴレイヴやアクエリオンEVOLは異化のお話。「"おかしい"を無くしたい同化の作劇」とは真逆、「"おかしい"を生みたい異化の作劇」。異化にあっては「
おかしい」は観客の思考を誘発するために
与えられたツール。積極的に挿し込まれた違和感を見つけ、それをトリガーにして
考えろと。異化にあっては、同化で尊ばれ絶対視される「キャラへの感情移入」はむしろ積極的に否定するべき要素とされる。同化劇という「
オモテの世界」と対極なのが異化劇という「
ウラの世界」。作劇手法をひっくり返すから価値観もひっくり返る。

2行目を抜かした「
正しい演説」と、2行目だけの「
おかしな演説」の2つを同時に子安は力説してる。前者がキャラクターの視点「ドルシア総統からの
国民へのメッセージ」。国家とは力だ。なら後者は?…物語の視点「革命機ヴァルヴレイヴからの
観客へのメッセージ」。まず命ありき。なんじゃね。アクエリオンEVOLでも、ときどき「おかしな台詞」が登場する。劇中その状況下、その人物の立ち位置・知識からは吐き出されるハズのないおかしなロジック、象徴的な単語。それは「
その人物のことば」ではなく、物語がとつぜんキャラクターに"憑依"して喋ってる「
物語のことば」。
いやしかし、物語に沿ってひたすらに命=心=精神性=
「霊」を志向するエルエルフ&サキはいいけれど、そうではない人たちこそが、かんじんなポジションにいますよね。

「ハムエッグの主役はハムでしょう!」と言い切り、「うん、ハムは大事だ」と即座に同意するハルト。やっぱり
ハルト&ショーコは「肉」担当ってコトですわ。
大事なのは命、「
霊」の方こそが絶対的に尊いのだ!…んなわきゃない。「霊」と「肉」どっちか片方だけが大事なんでなく、両方キッチリ揃えてこそですよ。対極を志向する半端者どうしが手に手をとって団結してはじめてコトが成せるハズ。なんせ、「
霊肉一致」して誕生する理想世界が「
第三帝国」なんだから。
はじまりはすべてをあらわす。彼らと世界が行き着く「
答え」は、まさに1話冒頭のナレーション、いきなり言葉で提示されてるモノそのもの。
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