元和8年、二代将軍徳川秀忠が急死した。大坂の陣から7年あまり。将軍の死は徳川体制に動揺を与えると、幕閣大奥の一部で秘密にされ隠蔽された。何より、いまだ秀忠の後継者が決まっていなかったのだ。本来なら嫡男・家光が三代将軍を継ぐことに異論はないはずだが、実母の於江与(おえよ)が家光を愚鈍と嫌っており、弟・忠長の方が将軍にふさわしいとの声が土井利勝を中心に幕閣の間で大きくなり始めていた。
将軍の死因をいぶかる土井は忍びを使って秀忠の胃袋を調べようとするが、突然現れた者に奪われてしまう。
届けられた先は将軍家剣術指南役・柳生宗矩(むねのり)。彼の検視により秀忠の死はヒ素を盛られたためと判明する。一体誰が…。宗矩に問い詰められた家光の小姓・松平信綱と乳母お福(後の春日局)が秀忠暗殺を白状する。将軍が家光を廃嫡する動きに出たためやむを得なかったのだと…。
宗矩は柳生新陰流の弟子・家光を将軍に据えるため陰謀を張り巡らせる。それは朝廷を巻き込み幕府を家光派・忠長派に分裂させ、柳生一族をも骨肉の争いに駆り立てる、仁義なき戦いの始まりであった…!
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