职业: 制作人员
日本の特技監督。株式会社ドリーム・プラネット・ジャパン代表取締役。東京都出身。
1970年代から1990年代にかけての東宝特撮を支えた。
子供のころから、近所の東映の映画館で番落ちの白黒時代劇映画に親しんだ。親戚に映画関係者が多く、封切りの東宝映画はチケットを回してもらって観ていたという。そんな折に観た総天然色の『地球防衛軍』の華麗な特撮に強い感銘を受け、特撮に興味を持ったと語っている。
撮影技師志望だったが、入社後は主に合成を担当したほか、飯塚定雄のもとで怪獣や超兵器の出す光線アニメーションの作画を担当し、『怪獣大戦争』のAサイクル光線車やX星円盤、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』のメーサー車の光線などを手掛けた。合成から助監督へ移った理由については、オプチカル作業により目を悪くしたためと述べている。
チーフ助監督を務めた『ゴジラ対メカゴジラ』では、ロボット怪獣メカゴジラの武器である「フィンガーミサイル」や、頭を回転させて発生させる「ネオ・ディフェンス・バリアー」などの名称アイディアを発案した。同作品では、合成を手掛けた『ウルトラマンA』で培った光線表現も応用している。フォース助監督であった浅田英一によれば、川北は合成に神経を使っており、合成担当の宮西武史にダメ出しを行うこともあったほか、宮西も川北は出来上がりに満足できないと自ら手を出そうとしてくるのでプレッシャーであったと述べている。
1971年公開の『ゴジラ対ヘドラ』では、ヘドラから逃げるアングラバーの客として、1975年放送の『日本沈没』第23話「海に消えた鎌倉」では、首相演説を聴く男として、2001年公開の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』には、防衛軍将校として出演もしている。
思い出深い作品として、最初にゴジラシリーズの特技監督を務めた『ゴジラvsビオランテ』と同シリーズで最後に手掛けた作品となった『ゴジラvsデストロイア』を挙げている。
ゴジラシリーズを担当してきたが、「平成ガメラシリーズ」なども高く評価している。ただし、カメのキャラクターは好きではないらしい。
自身の手掛けた平成期の特撮シリーズについては、ゴジラやモスラばかりでなく過去の東宝特撮のようにバラエティ豊かな作品を作らなければならなかったと述懐している。
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