职业: 制作人员
日本のアニメプロデューサー、実業家。
アニメ制作会社サンライズ企画部の「矢立肇」という共同ペンネームは、1980年代前半までほぼ山浦本人を指すものだったとされる。
大学卒業後、東映動画の撮影部に入社。カメラマンを目指したが、テレビ時代の到来を機に、新興の虫プロダクションに移る。
入社後しばらくして役員秘書になるが、虫プロの経理のいい加減さに気付いた[1][9]。いくらの予算があっていくらかかって結果がどうなったのか誰も把握しておらず、昇給が仕事をやるかやらないかではなく文句を言ったか言わないかで決まるなど、まったくの丼勘定であった。また現場では、たくさん動画の描ける能力の高いアニメーターも能力の低い人のレベルに合わせてしまっていた。そこで山浦は、当時の社長に役員と管理職のリストラと出来高払い制の導入を提案したが、「自分の哲学として人のクビは切れない」と言われ、受け入れてもらえなかった。しかし、そのことで現場の人間だけの会社なら経営を維持できることがわかったので、虫プロを辞めて仲間たちと会社を設立することにした。
1972年、虫プロに所属していた岸本吉功、伊藤昌典、渋江靖夫、岩崎正美、沼本清海、米山安彦とともに東北新社の下請け会社としての「創映社」を設立。その後、創映社は「日本サンライズ」に改組して独立。
1979年には日本サンライズの自主企画・制作の『機動戦士ガンダム』が大ブームとなる。
1987年、日本サンライズがサンライズと改称するとともに3代目の代表取締役社長に就任。
2010年、海外から帰国したその足で立ち寄った喫茶店で急逝(享年73)。
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