オンラインゲームは、「ゲーム」を楽しむコンテンツであると同時に、様々な人が集まる「コミュニティースペース」でもある。ゲームとしてとらえれば、「競争心」「闘争心」は欠かせない。他のプレーヤーと比較して、自分の能力がどれだけ優れていると感じられるかで、達成感や満足度は大きく変わる。そのためには、他者を出し抜いてでも「強い自分」を求めたくなる。しかし「コミュニティー」となれば、(日本市場の場合は特に)「マナー」や「秩序」「協調性」が重んじられる。 どちらの気持ちを優先させるかによって、ゲームスタイルは大きく変わってしまう。 所詮はゲームなのだからと、自分の欲望のままに「オレ様」の態度を貫いていれば、コミュニケーション上のトラブルは避けられない。かと言って、マナーのつもりで譲ってばかりでは、ゲームプレーがスムーズに進行しない場合もあり、出遅れ感が募って自身のストレスもたまってしまう。 つまりオン

「私が眠ると、みんな死んじゃう」 “ネトゲ廃人”その悲惨な実態 1 名前:らいちφ ★:2009/06/11(木) 18:20:45 ID:???0 ネットゲームにはまり過ぎて、リアル(現実)での生活が破綻してしまった人たちのことを「ネトゲ廃人」という。韓国や中国、ロシアでは2000年代初頭から、ネトゲを連続でプレイしすぎて死者が出るなどすでに社会問題化していたが、09年5月に発売された『ネトゲ廃人』(リーダーズノート発行)によると近年日本でも 問題になりつつあるという。 ◆一度始めるとやめられない この本で、著者のジャーナリスト芦崎治氏は、全国25名のネットゲーマーに綿密な聞き取り 取材を実施。ネトゲで、「友達。おしゃれする心。出かける探求心」を失ったという若い女性や、「1日12時間交代でゲームに没頭。マンションで2人暮らしする高校生兄弟」「ゲームのし過ぎで倒れ、運ばれた病院で医者に呆れ

ネトゲのキャラクターは死ぬべきである。でないと、時間をかけたプレイヤーほどレベルが上がって有利になるので、そのゲームばっかりやってる廃人の溜まり場になってしまう。たぶん、ポケモンとかダビスタみたいに「主人公ではないキャラクターを育てる」ようにして、そいつに寿命があるネトゲを作るのが一番いいと思う。できれば、ダビスタのように成長期があって、ピークがあって、そこからだんだん衰えて死んでいくことが望ましい。生物ってそういうものだし、育成ゲームは生き物を育てる楽しさをシミュレートしたものだから。 育てたキャラクターが死んでしまっても、プレイヤーはキャラクターの育て方を学んでいくことができるので、何も残らないわけじゃない。つまり経験値がプレイヤーに残る「不思議のダンジョン方式」だ。とはいえ、本当にゲーム上に何も残らないのもちょっと悲しいので、ダビスタみたいに「殿堂入り」の馬の記録を残すとか、レース
そのゲームは、友達に誘われて始めたもので、ラグナロク系とでも言おうか、よくあるクリック連打ゲーであり、高めの月額課金だったけれど、なぜだかハマっていた。 飽き性の私にしては珍しく数ヶ月程、他人に比べればずいぶんのんびりと、私にしては熱心にキャラクターを育てていたゲームだ。 途中で、ゲームに誘ってくれた友達の友達(赤の他人じゃないかと言われればその通りである)が主催するグループにも入り、しかし一人で戦っているのが好きだった私は、ソロをしながらチャットを眺めるだけだった。 そして時間も過ぎていって、グループのメンバーは日毎にいなくなっていき、友達もログインするのをやめ、そして私もやめてしまった。 引退宣言などはしていない、するような相手がいなかったと言うのが正しい。 なぜなら、私がやめた頃にはもうグループのメンバーは誰一人ログインしなくなっていたから。 交流しない、あるいはできないタイプだった

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