宮崎駿氏の最新作『風立ちぬ』を見ました(以降は、ストーリー上の「ネタバレ」に触れている箇所もありますので、気になる方は映画を先にご覧になることをお勧めします)。 まず、零式戦闘機(通称「零戦」)の設計者である堀越二郎については、飛行機への思い一筋に生きた姿がアニメ一筋に生きた宮崎氏自身の生き方と重なって説得力がありました。戦争の問題については、控えめな表現ですが「国を滅ぼしてしまった」「(零戦は)一機も帰って来なかった」という台詞が全てを語っているように思います。 色々な議論が可能と思います。ですが、亡国に至った戦争は否定するが、資源の物量を技術力で補って究極の抑止力を目指した零戦開発の努力までは否定しないという宮崎氏の立場について、私は納得させられたということは申し上げておこうと思います。 ところで、この作品ですが、その堀越二郎の「零戦開発奮闘記」というストーリーに、堀辰雄の小説『風立ち
2012年11月5日、筆者は産経新聞より読書面にエッセイの寄稿を求められました。文字数は14行×55字=770文字、締め切りは12年11月26日、掲載日は12月2日ということでした。担当者は、私の著作を読んでおり、また「『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』へのゲスト参加等々、拝見、拝聴し、刺激を頂いて」いる旨を明言していました。私は念のため、「どんな本を選んでもよいという確約をいただきたい。たとえば、おおげさではなく『共産党宣言』 で載せることは可能ですか?」と確認をし、快諾を頂戴しました。そして11月25日の夜に執筆した文書を産経新聞に送信しました。すると、26日夜にメールが着信し、一方的に紙面掲載を拒否されました(前日に入稿しており、さらに770文字という短い分量なのですから、内容が別の意味でそぐわないなら修正の交渉をするという方策があったはずですが)。 私は、最後のメー
2009年11月22日放送の「爆笑問題の日曜サンデー」にて、『27人の証言』コーナーで三島由紀夫の特集が行われていた。ゲストは美輪明宏であり、三島由紀夫との思い出を語っていた。 「昭和26年ですかね、終戦後です。私(わたくし)が長崎から歌手になりたくて国立の音楽学校に通ってたんです。でも、ウチが破産したんでアルバイトしなくてはいけなくて、銀座の4丁目の喫茶店で働いてたんです。それで、その2階がクラブだったんです」 「始めは女の人がたくさんいたんですけど、よそに引っこ抜かれて辞めてボーイばかりが残ってたの。綺麗なボーイさんばかりが残ってた。そこは、以前から有名人、知識人とか政財界の人たちが来ていて、そのままだったんですよ」 「それで、売り出し中で、知る人ぞ知るといった感じだった三島由紀夫さんが来ていて、出版社の人たち大勢に囲まれてきていた。でも、私は1階の喫茶店で働いてたから、関係なかったの

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