11月7日の衆議院予算委員会における高市早苗首相の「存立危機事態」に関する答弁に中国政府が反発し、日本への渡航自粛要請を出すやいなや、日本行きツアーの中止や留学プログラムのキャンセルなどが相次ぎ、日本行きの航空便も減便されている。19日、中国政府は水産物の輸入を停止する方針を日本に示した。 高市首相がどのような経緯で答弁を行ったのか、その内容が妥当であったのか、あるいは、そもそもどのような条件が「存立危機事態」に該当するのかなど、日本国内では活発な議論が行われている。 日本国内でのこうした議論は非常に重要だが、残念ながら、中国政府がその意義を理解するはずがない。意義があると感じる人がいても、厳しい言論統制下においては、そのような姿勢を示した人は処罰される。 しかし、中国政府による言論空間の遮断を意識した上で、日本のリスク管理や国益について考え、議論しようとする人が日本にはほとんどいない。私
自民党の石破茂前首相は13日夜、TBSラジオ「荻上チキ・セッション」に出演し、昨年10月の首相就任前に意欲を示した選択的夫婦別姓制度の導入が実現しなかった理由について、党内でかたくなな抵抗に直面したためと説明した。「絶対にダメだという人がいるから。夫婦別姓にすると『家族が壊れる』と。本当にそうですか?みたいな所はあるが『絶対そうだ』と言われると、話が先に進まない」と語った。 「郵便配達の人が困るという」石破氏は昨年10月の総裁選で、選択的夫婦別姓について「かねて個人的に積極的な姿勢」と語っていた。自民は先の通常国会で今年2月以降に党内議論を本格化。別姓推進派と慎重派の溝は深く、党の「基本的考え方」を示すにとどめ、独自法案の提出を見送った。 石破氏は番組で党内議論を振り返り「『選択的ではないか?』といっても『ダメだ』という人が一定数いた」と強調。慎重派の主な意見について「『親と子供の名前が違

このなんてことないイラストは、過去半世紀にわたって平等や社会正義を巡る哲学の議論が達成しようとしてきたことの、ほとんど全てが台無しになってしまったことを示している あなたのお気に入りの哲学者を困らせたいなら、最近だと一番良い方法は、箱の上に乗った子どもたちのイラスト(「平等と公平」ミーム)を見せることだ。これを哲学者の苦しみの種というのは言い過ぎかもしれないが、哲学者の仕事を楽にしてくれないのは確かである。 哲学者のほとんどはこのイラストを見たことがあるが、それ以上に重要なのは、学生はみなこのイラストを見たことがあるということだ。それだけでなく、学生たちはこのイラストを持ち出せば議論を完全に打ち切れると考えている。学生らに言わせると、このイラストは「公平性(equity)」の正確かつ議論の余地ない定義を示しており、「平等(equality)」という道徳的理念を決定的に打ち負かしているのだと


タイトルで書きつくした(まあその分、タイトルが長いんだけどさ)。 褐色肌の人間として、既存のプリンセスを褐色肌の俳優を起用してリメイクすることは今を生きてる子供たちにとって本当に本当に本当に重要なことだと思う。だから褐色肌じゃない人が「原作に忠実じゃない」とか「それなら新しいものを作ればいい」といってるのを見ると悲しいです。シンプルに悲しい。— な (@Nappanonajanai8) March 22, 2025 こういう人って、そもそもプリンセスというもの自体が身分制度っていうバリバリの差別に根差した存在だってことを真面目に考えたことあるんだろうか。 「そもそもプリンセスに憧れるのをやめろ」と言っていかないと筋が通らない筈じゃないのか。 https://t.co/0SLchjqq7i— 黒屋ぶるー (@kuroya_blue) 2025年3月23日 「自主の主の字を 分解すれば 王の頭

結局受賞は逃したものの、伊藤詩織さんの映画『Black Box Diaries』は、米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞に日本人の監督作品として初めてノミネートされたという世界的評価を得た作品だ。しかも、海外では数々の賞を受賞し、上映や配信もなされているにもかかわらず、日本では公開の目途も立っていないという、極めて異例の現実に直面している。 2024年10月に続いて、先日2月20日にも外国特派員協会で、伊藤さんと一緒に裁判を闘ってきた旧弁護団がこのままでの映画公開は人権侵害にあたるという、これまた異例の記者会見を行い、それ以降、ネットを中心に、激しい議論が交わされている。 この一連の経緯や、問題とされている事柄は、ドキュメンタリー映画の本質に関わる、とても深刻で重要な意味を持っている。 2月20日には、午前中に旧弁護団が会見を行った後、午後に予定されていた伊藤詩織さんの会見は、体調不良で急

はじめに はじめまして。リツといいます。どうぞよろしくお願いします。今回が初めてのnote投稿になるので、読みづらい部分があると思いますが、最後まで読んでいただけると幸いです。 ◇はじめに②(追記2024/3/24) この記事が私が想像していた以上に拡散されています。自分の考えを多くの人に伝えることが出来て嬉しい限りです。しかし、拡散されていくと同時に、私の語彙力のなさも相まって想定外の解釈が生まれているのも現在発見しています。記事のまとめになりますが、私がこの記事で伝えたいのは、 1、人間の感情・直感を大切にしよう 2、道具の便利な部分だけではなく影の部分にも目を向けよう 3、互いの考えを反映させるために、パブコメ以上にしっかりとした話し合いの場を作ろう この3つを念頭に置いて読んでいただければあまり解釈違いは起こさないと思います。 また、多くの誤字脱字、伝わりにくい表現等の指摘をいただ

筆者の児玉真美さんは障害者やその家族の立場に立って活動しているベテランの著述家だ。その著者が、安楽死の議論と実践が進んでいるオランダやカナダなどの現状を伝え、議論のたたき台としてまとめたのが本書、ということになる。安楽死・尊厳死・自殺幇助といったまぎらわしい語彙を理解するにも向いているだろう。 いわゆる人権先進国で安楽死が急増している 人の生死を扱う書籍だけに、『安楽死が合法の国で起こっていること』にはドキドキする話題やセンシティブな議論が多い。なかでも強い印象を受けたのは、カナダやベルギーやオランダやスイスで安楽死が合法化され、しかも急速に広がっているという話題だった。 たとえばカナダでは2016年に安楽死が合法化されたが、少なくとも当初、その条件は慎重に設定されていた。 カナダは2016年に合法化した際には「死が合理的に予見可能」すなわち終末期で「本人が許容できると考える状況下では軽

番組配信後に「論破王が論破された!」とネット上で話題になっていた同番組を、米山氏にあらためて見返してもらった。「怒りがこみあげてくるものですか」と問うと「もうなんの感情もわかないですね」と冷静に答えた 「ひろゆきさんのように、相手の感情を揺さぶり、瞬間的に言い返す力を競うのは、ほとんど意味がないと思います」 取材の冒頭でこう断言したのは、立憲民主党所属の米山隆一衆議院議員(56)だ。彼が、ひろゆきこと西村博之氏(47)に言及するのには理由がある。発端は11月25日に配信された、2人の“舌戦”だ。 YouTubeのネット番組『ReHacQs(リハックス)』で、米山氏とひろゆき氏との討論がおこなわれた。ひろゆき氏といえば「論破王」の別名で知られ、ディベートの強者として、メディアに取り上げられることが多い。この日、そんな“王者”に圧勝したのが米山氏だった。 【関連記事:論破王ひろゆき、ついに賠償
![ひろゆき、瞬き激増で完全敗北! 米山隆一議員が語る“論破芸の正体”「彼はたんなる普通の人」 - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]](/image.pl?url=https%3a%2f%2fcdn-ak-scissors.b.st-hatena.com%2fimage%2fsquare%2fcb9ea5d76fbb2a964ac0e1daec6954bcaf9a422d%2fheight%3d288%3bversion%3d1%3bwidth%3d512%2fhttps%253A%252F%252Fdata.smart-flash.jp%252Fwp-content%252Fuploads%252F2023%252F12%252F04193319%252Fronnpa_1.jpg&f=jpg&w=240)
永井均『「純粋理性批判」を立て直す-カントの誤診1』絶賛発売中! @hitoshinagai1 哲学をやっています。2014年からツイッターを始めました。私が何を言っているのか理解したい方は、まずは近年の主著である『世界の独在論的存在構造-哲学探究2』(春秋社)からお読みください。これら拙著における議論を前提にしたことを呟きますので、読まずにリプライ等をしないようにお願いします。 永井均 @hitoshinagai1 何故かは知らないが、社会学を「叩く」ことが流行っていると聞いた。私は、マックス・ヴェーバーを自家薬籠中のものとしており、折に触れて(例えば日本の現況を説明する際に)それを使えるというだけでも、多くの社会学者に深い敬意を感じる。そういうことは奇跡的といえるほど素晴らしいことだと思う。2023-09-06 21:32:34 永井均 @hitoshinagai1 なぜ奇跡的といえ

さらに、去年全国で起きた自転車が関係する死亡・重傷事故7107件のうち、73.2%で「前方不注意」や「信号無視」「一時不停止」など、自転車側に交通違反が確認されたということです。 重大な事故につながる悪質な自転車の違反を減らすことが、喫緊の課題となっています。自転車の取締りは、刑事罰の対象となる交通切符、いわゆる「赤切符」を交付するなどして行われているものの、実際に罰則が適用されるケースは少ないのが実情です。専門家などからは「責任の追及が不十分だ」という指摘もありました。 こうした状況を受けて、警察庁は自動車やオートバイのようにいわゆる「青切符」による取締りを行う反則金制度の導入を検討することになりました。 実効性のある取締りにつなげるのが狙いで、月内にも有識者で作る検討会を設けて、取締りの対象とする違反の内容や年齢など具体的な議論を始めることにしています。 検討会では▼自転車の交通ルー

米ワーナー・ブラザースは、映画『バービー』X(Twitter)米公式アカウントによる投稿が原爆被害を軽視していると批判を招いている件について、プレス向けに正式な声明文を伝達した。不適切を認め、謝罪する内容だ。以下、原文。 Warner Bros regretsits recent insensitive social media engagement. The studio offers a sincere apology. -Warner Bros Film group 以下、拙訳。 ワーナー・ブラザースは先の配慮に欠けたソーシャルメディアへの投稿を遺憾に思っております。スタジオより深くお詫び申し上げます。 8月1日 18:02 追記:本声明文は、THE RIVERを含む日本の媒体に向けて米ワーナー・ブラザースより伝えられたものである。海外プレスにも同じ文が伝えられている。

映画が原爆のミーム化を好意的に公認し、被爆国の想いを踏み躙っているのではないかとして批判を招いた騒動。ハリウッド業界メディア御三家の一角であるDeadlineは、「ワーナー ブラザースジャパン、米スタジオによるバーベンハイマーのツイートを“極めて遺憾”と批判(Warner Bros. Japan Criticizes U.S. Studio’s “Extremely Regrettable” Barbenheimer Tweets)」と題した記事を掲載。一連の経緯をまとめながら、日本からと見られるユーザーの批判ツイートを英訳しながら紹介している。続いて、Varietyも同様の記事を届けた。 ハッシュタグBarbenheimerはもともと、アメリカで同日公開となった『バービー』と『オッペンハイマー』を一緒に楽しもうというだけの純粋な動機によるものだ。しかしながら騒動化したことで、ハッシュタグ

「女装の男性」に関する事件が最近起きた。直接的に警察が捜査している事件は、被害者としてだが…… いろいろと複雑な情報が流れているので、そこは略しよう。 もうひとつ、通産省(経産省か)でトイレ使用に関する裁判とその判決があった。トランスジェンダー “女性用トイレの使用制限”違法 最高裁2023年7月11日 20時35分 経済産業省に勤めるトランスジェンダーの職員が、職場の女性用トイレの使用を制限されているのは不当だとして国を訴えた裁判で、最高裁判所は、トイレの使用制限を認めた国の対応は違法だとする判決を言い渡しました。 性的マイノリティーの人たちの職場環境に関する訴訟で最高裁が判断を示したのは初めてです。 ※記事の後半に判決のポイントや今後の影響についてのQAを掲載しています。 裁判のきっかけと争点は 性同一性障害と診断され、女性として社会生活を送っている経済産業省の50代の職員は、執務

画像説明, 米ネットフリックスの「アフリカン・クイーンズ:クレオパトラ」では、複数の人種のルーツを持つイギリス人俳優アデル・ジェイムズさんがクレオパトラ7世を演じている

柴田英里 @erishibataColaboや仁藤夢乃さんへのバッシングを「女性・フェミニズムへの攻撃」「ミソジニーによるもの」と断言する人たちは、「フェミニズム」を自分たちに都合よく切り取って使っている。あまりに杜撰に見える公金使用や支援対象(多くは未成年)に対する政治的働きかけに疑問を持つ人は男女問わずいる。2022-12-09 23:14:41 柴田英里 @erishibataColaboや仁藤夢乃さんへのバッシングを「女性・フェミニズムへの攻撃」「ミソジニーによるもの」と断言することは、あまりに杜撰に見える公金使用や支援対象に対する政治的働きかけの問題を有耶無耶にし、「悪い男たちに嫌がらせされる可哀想な女性」のストーリーに仕立てあげることだと思う。2022-12-09 23:18:28 柴田英里 @erishibataColabo弁護団の記者会見の映像も見たけれど、Col

1.はじめに ベネッセホールディングスが集計した小学生の流行語の一位に、ひろゆき氏の「それってあなたの感想ですよね」がランクインしたというニュースがあった。 現在、「データを伴わない意見はただの感想でしかない」というアホみたいな風潮があり、データ化できるものとできないものがあるというごく当たり前のことが無視されていると感じる人は少なくないのではないだろうか。 社会の全てがデータ化されているかのように言う人までいる状況でそう感じるのはおかしなことではない。 統計やデータを議論の補強材料にするならまだしも、「データや統計なしに議論をするべきではない」といった主張はナンセンスだ。 この記事ではそうした社会的風潮について述べるものとしたい(補足も読まずにコメントをする連中がいるので念のため)。 現在の社会問題を議論する上で十分な量のデータがあると感じている人がいるかもしれないが、それらは「なんとな

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