現在、バージョンアップに向け作業中。 10月31日夜の公開目標。 作業がギリギリ間に合わなかったので11月1日の公開となります。 山川世界史用語集(2023年12月発売・初版一刷)から用語をまとめました。 以下のスプレッドシートで公開しています。ダウンロード可能です。 ここがイチオシ!・見出し語5600語だけじゃない!あちこち拾って1万語超! ・本文内からも用語を抜粋!「ステルス用語」が分かる! ・収録されてない用語まで勝手に収録!何が落とされてるのか分かる! ・「呪術」「君主」「歩兵」のような語彙まで収録! ・「新世界史」に載ってる激レア用語も分かる! ・表記揺れに強い!書籍では邪魔になる些末な表記揺れをいちいち収録! ・カテゴリ分け有!人名だけ眺めたりできる! 更新履歴(準備中) 記載のルール・見出し語はすべて記載するが、「:」は無視(例:P157のバロック様式) ・見出し語が重複する

山形市の山寺・立石寺で江戸時代に作成されたとみられる大量の木札が発見されたことが、山形大学の発表で明らかになりました。その数はおよそ10万点に上り1か所から見つかった江戸時代の木札としては、国内最多だということです。 山寺・立石寺で発見された木札です。大きさは大小さまざまで、多くは、長さおよそ30センチ幅は4センチほど。木札に書かれた年号から江戸時代の1669年から1692年に作成されたものとみられています。 山形大学の2日の会見で学術研究院の荒木志伸教授が発表しました。 木札は、2021年に山頂にある「奥の院」近くの岩窟にサルが入り込み、木札を散乱させたことがきっかけとなり立石寺の関係者が発見しました。 その木札の一部について荒木教授と学生が考古学の授業でおととしから調査を重ねた結果、総数は、およそ10万点に上ると推定され、1か所から見つかった江戸時代の木札としては、国内最多とみられるこ

1940年の帝国議会で日中戦争を批判し、議事録から大半が削除されたままとなっている斎藤隆夫元衆院議員の「反軍演説」を巡り、自民党が全文を復活させる方向で検討していることが分かった。会合などで度々演説に言及している石破茂首相の思い入れを反映しているとみられ、野党との調整に入った。複数の関係者が30日、明らかにした。 衆院によると、不適切発言などを理由に国会の議事録から削除された部分を元に戻した前例はない。議長の諮問機関である議会制度協議会で対応を協議することになるという。 首相は戦後80年に当たり、先の大戦に関する見解を10月4日の自民総裁選後に発表する意向をにじませている。「政治はいかなる役割を果たし、いかなる役割を果たさなかったか」などの論点を盛り込むと説明している。 野党では、立憲民主党の長妻昭前代表代行が議事録の復活を主張している。社民党の福島瑞穂党首らも賛同している。 首相は講演な

桂・ハリマン協定(かつら・ハリマンきょうてい[1][2]、英語: Katsura-Harriman Agreement[3][注釈 1])または 桂・ハリマン仮協定(かつら・ハリマンかりきょうてい) とは、1905年(明治38年)10月12日に東京で桂太郎首相とアメリカの実業家ハリマンとの間にかわされた[1]東支鉄道南部支線 (長春-旅順間、南満洲鉄道) 経営のためのシンジケート組織に関する予備協定覚書の俗称[2]。外交資料では「桂・ハリマン間満州鉄道に関する予備協定覚書」「一九○五(明治三十八)年十月十二日 - 千九百五年十月十二日附桂伯爵(日本政府ヲ代表ス)及「ハリマン」氏(自己並ニ組合者ヲ代表ス)間予備協定覚書」[7][8]。 日露戦争後の1905年10月、総理大臣桂太郎と「鉄道王」と呼ばれたアメリカ合衆国の企業家、エドワード・ヘンリー・ハリマンとの間に交換された覚書で、満鉄経営のた
立憲民主党の有田芳生衆院議員が30日までにX(旧ツイッター)を更新。20日投開票の参院選で初当選した参政党の新人、初鹿野裕樹(はじかのひろき)氏の投稿を厳しく批判した。 【写真】南京大虐殺「捏造」投稿議員の投稿 有田氏が問題視したのは、初鹿野氏の6月18日のポスト。初鹿野氏は、元航空幕僚長の田母神俊雄氏が自身のXで「日本保守党の河村たかし共同代表が日本軍について『虐殺事件を引き起こした』と指摘する朝日新聞の記事を引用した質問主意書を提出し、政府は17日、日中戦争時の1937年に旧日本軍の南京占領で起きたとされる『南京事件』を巡って、『日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為があったことは否定できないと考えている』とする答弁書を閣議決定したとか。このような我が国を貶める答弁書を決定する日本政府、もうそろそろ終わりにしてもらいたい。日本軍が世界で最も軍律厳しい軍であった証拠はいくらで

古代の東アジアで最も長いとされる鉄の剣など、貴重な発見が相次ぐ奈良市の富雄丸山古墳で去年、ひつぎの中から見つかった3枚の鏡は、いずれも異なる時代に製作されたとみられ、最も古い鏡は中国で製作されてから奈良で埋葬されるまで400年程度かかっていたことがわかりました。 調査した奈良市教育委員会は、いつ、どのように日本に鏡がもたらされたか研究が進めば、古代の日本と中国の交流や関係を解き明かす重要な資料になるとしています。 4世紀後半に造られたとされる奈良市の富雄丸山古墳では「蛇行剣」と呼ばれる古代の東アジアで最も長いとされる鉄の剣などとともに木製のひつぎが見つかり、ひつぎの中から3枚の青銅製の鏡が重なるように納められていたのが去年2月、確認されました。 奈良市教育委員会が調べた結果、3枚はいずれも直径20センチほどの大型の鏡で、最も古いものは埋葬された時期より400年程度前の紀元前後に作られたと推

「近代日本の歩み」の一部「立憲政体」に関する節をリリースしました。(2025/6/5) 小論報に「慰安婦システムは合法か?」を追加しました。(2025/1/11) 「近代日本の歩み」の一部「明治維新」の章をリリースしました。(2024/12/7) 小論報に「征韓論政変_西郷は朝鮮との修好を求めた?」を追加しました。(2024/10/17) 小論報に「南京事件_なぜ捕虜殺害は起きたのか」と「ハーグ陸戦条約の成立経緯」を追加しました。(2023/11/4) 2つのサーバに分散配置されていたコンテンツを一つのサーバに統合しました。南京事件と慰安婦問題のURLは変更になります。詳しくは下記「更新履歴」を参照ください。(2023/9/17) 「軍国主義崩壊への道」第1部(近日中に「ヨーロッパが歩んだ道」に標題を改定する予定)、すべてのペ-ジをリリースしました。(2023/8/17) 「軍国主義崩壊へ
ここ数回の『ブラタモリ』は江戸時代に盛んだった“大山参り”の道のりをたどるという企画で、都内から大山街道を巡り、昨日はいよいよ最終目的地、大山阿夫利神社を目指すという回だった。 江戸時代の浮世絵もみながら、いかに“大山参り”が盛り上がっていたか、なんて話もしながら、大山ケーブルに乗車。 途中、日本のケーブルカーでは唯一という“離合ポイント”(ケーブルの両端で繋がってる2台の車両が丁度すれ違うところ)に駅があるという“大山寺駅”で一旦降車。 車両のすれ違う様子をみたり、急斜面にある駅のベンチにすわってみたりして、そのまますぐまたケーブルカーで移動して、大山阿夫利神社の下社に参拝。 さらに登った山頂にある本社にはさすがにタモリを歩かせるわけにもいかず、スタッフと中継でつないでいた。 さて、なにがスルーされたのか。タモリ一行が神社に参拝するシーンで、唐突に隅の方にテロップがでた。 曰く、「江戸

奈良・石上(いそのかみ)神宮に伝わる国宝「七支刀」(4世紀)のX線CT(コンピューター断層撮影)調査が初めて実施され、金象眼の銘文がくっきりと浮かび上がった。不明瞭だった文字の一部が鮮明になり、日本…

ウィーンで見つかったローマ時代の集団墓地には、150人以上が埋葬されたとみられる/Urban Archeology Vienna (CNN) オーストリア首都ウィーンのサッカー場を改修中に見つかった大量の人骨について、現場はローマ時代の戦闘に参加した100人を超える兵士たちの集団墓地だったことが分かった。 ウィーン博物館に属する都市考古学局によると、これらの大量の人骨は昨年10月下旬、現場で工事に携わる建設会社が発見した。 同博物館並びに発掘企業から集まった考古学者と人類学者が発掘したところ、少なくとも129体分の人骨が出土した。ウィーン博物館が2日、報道向けの発表で明らかにした。 しかし実際に現場にあった人骨の合計は150体分を超えると推計される。当初の建設作業時に、多数の骨を移動させていたからだ。これらの骨は長さ約4.8メートルの穴の中にあった。 人骨が秩序立って埋葬されていないことか

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載です。今回は東北の城柵について。陸奥国府だった多賀城や、征夷大将軍・坂上田村麻呂が築いた志波城など、古代ロマンをかきたてる場所がてんこ盛りです。 <奈良時代の水洗トイレが! 最北の「古代城柵」秋田城>で述べたように、「城柵(柵)」とは、東日本に地方支配の拠点として設けられた軍事・行政施設のことだ。7世紀から9世紀にかけて、段階的に北進して設置された。 『日本書記』に初見される城柵は、647(大化3)年に越後に設置された渟足柵(ぬたりのき=新潟市)だ。「渟足柵を造りて柵戸(きのへ)を置く」と記されている。太平洋側(陸奥側)では奈良時代以降に多賀城(宮城県多賀城市)、胆沢城(いさわじょう=岩手県奥州市)、志波城(しわじょう=盛岡市)、日本海側(出羽側)では出羽柵(山形県庄
![多賀城、志波城、払田柵…、古代ロマンあふれる東日本の城柵 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]](/image.pl?url=https%3a%2f%2fcdn-ak-scissors.b.st-hatena.com%2fimage%2fsquare%2f040dc67359c76282871ba2cf4ac53805f78dcdbd%2fheight%3d288%3bversion%3d1%3bwidth%3d512%2fhttps%253A%252F%252Fwww.asahicom.jp%252Fand%252Ftravel%252Fwp-content%252Fuploads%252F2019%252F08%252Ftop-3.jpg&f=jpg&w=240)
NHK公式【大河ドラマ「光る君へ」】風俗考証を担当する佐多芳彦さんに、刀伊を追討した武者たちの衣装について伺いました。<ドラマをもっと楽しむコラム>

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