連載:グッドパッチとUXの話をしようか 「あの商品はどうして人気?」「あのブームはなぜ起きた?」その裏側にはユーザーの心を掴む仕掛けがある──。この連載では、アプリやサービスのユーザー体験(UX)を考える専門家、グッドパッチのUXデザイナーが今話題のサービスやプロダクトをUXの視点で解説。マーケティングにも生きる、UXの心得をお届けします。本記事はグッドパッチブログ「【イカしたUIを見る】Vol.5 スマホから飛び出した体験設計!リアルの世界でこそ輝くUI」の加筆版です。 近年、多くの店舗が効率化のためにセルフレジを導入し、「自分で商品をスキャンして支払う」光景はもはや当たり前になりました。しかし、その操作方法は店舗によって大きく異なり、利用者が戸惑う場面も少なくありません。実際、セブン-イレブンのセミセルフレジやローソンのセルフレジが「分かりにくい」と話題になったのは記憶に新しいでしょ

ニューヨークにユニクロが世界初のグローバル旗艦店をオープンしたのは2006年。そこからの快進撃の陰には、最初に出会ってから15年間毎週早朝から始まる、柳井正と佐藤可士和のふたりのOne to Oneの時間があった。対談前編をご覧ください。(後編はこちら) 「可士和さん、ユニクロの世界戦略をやってもらえませんか?」 初対面でファーストリテイリング代表取締役会長兼社長の柳井正氏が発した言葉がすべての始まりだったーー。 柳井 そもそも僕はクリエイターという職業を信用していないんです。名乗っている人の95%にはクリエイトする力がない。つまり自分でものがつくれない人が多い。そんな僕に、ある知人が「佐藤可士和というクリエイターがいるので、ぜひ会ってみてくれ」と言ってきた。でも僕はずっと断っていたんです。そうしたら、その人が「NHKの『プロフェッショナル仕事の流儀』という番組で、可士和さんが取り上げら

今週のお題「防寒」なんてあったんですね(odai2)。 冬の防寒は普段着からアウトドアも状況に応じて様々なパターンがありますが、今回は日頃近所の河川敷などをバードウォッチングやカメラを持って散歩する際の防寒について紹介します。 別に散歩なので何を着ても良いのですが、2時間前後、距離にして10km程度歩いていると結構汗をかくこともあります。保温ばかり求めて着込んでしまうと、熱がこもったり汗冷えすることなども……。寒さとオーバーヒートを防ぎつつ快適に歩くことを求めた結果、こんな感じに落ち着いています。 ファストファッション中心のレイヤリング 基本的には登山やアウトドア活動の際に用いるレイヤリング(効率的な重ね着)の応用で、それをアウトドアウェアでなくユニクロやワークマンなどのファストファッション中心に組み立てる感じ。 アウトドアウェアを使わない理由ですが、まず普段着として雑に洗濯したいから(特

日本の再成長への一手を考える「目覚めるニッポン」。今回は柳井正ファーストリテイリング会長兼社長。政治的な発言を控える経営者が増えるなか、柳井氏はあえて直言をやめない。怒りともいえる危機感を示し、企業経営から政治まで大改革の必要性を説く。 >>「目覚めるニッポン」シリーズ記事一覧へ 柳井 正氏 Yanai Tadashi ファーストリテイリング会長兼社長 1971年ジャスコ(現・イオン)入社。72年、実家の小郡商事(現・ファーストリテイリング)に転じ84年から社長。2005年から現職。01年からソフトバンクグループ社外取締役。山口県出身、70歳。(写真=竹井 俊晴) 最悪ですから、日本は。 この30年間、世界は急速に成長しています。日本は世界の最先端の国から、もう中位の国になっています。ひょっとしたら、発展途上国になるんじゃないかと僕は思うんですよ。 国民の所得は伸びず、企業もまだ製造業が優

日本人はここ30年のあいだで、おしゃれであることが「見た目」から「くらし」にシフトしている。そう指摘するのは、新著『おしゃれ嫌い 私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』(幻冬舎新書)で、ユニクロの普及とともに起きた日本人のファッション観と消費の変化について読み解いた、甲南女子大学教授で社会学者の米澤泉氏。 実際、日本人の「おしゃれ」に対する感覚はどのように変化しているのか。「おしゃれはセンスではなくロジック」であるとして、そのメソッドを綴った本『最速でおしゃれに見せる方法』(扶桑社)がベストセラーとなったファッションバイヤーのMB氏とともに、日本人の「おしゃれ」のこれまでとこれからについて語り合ってもらった。 「おしゃれ」の定義が30年で変化した――米澤さんは『おしゃれ嫌い 私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』で、80年代のDCブランドブーム収束後、ファッショントレンドはボディコン(服よりも身体

「自分はまだまだ甘い」。新刊『トヨタ物語』のゲラを読んだファーストリテイリング会長兼社長の柳井正氏はそうつぶやいた。『トヨタ物語』著者の野地秩嘉氏がその真意を聞く。柳井氏が考える「強さの本質」「ユニクロが目指す、その先」とは。その後編。 ■重版出来!『トヨタ物語』トヨタはなぜ強いのか――その本質に迫る巨編ノンフィクション。日経ビジネス連載「トヨタ生産方式を作った男たち」に書下ろしの新章などを加えた圧巻の408ページ、ついに刊行。早くも3刷。日経BP社刊 (前編から読む) 世界に進出して、ユニクロは変わりましたか。 柳井:僕は「グローバルワン 全員経営」と言っています。最初のうちはその地域の事情が分からずに、売れない色の商品を作ったり、大きなサイズばかりを作って、売れ残ってしまったこともありました。しかし、日本から派遣した店長たちがグローバル化とローカライズのバランスをうまく取って経営した

「自分はまだまだ甘い」。新刊『トヨタ物語』のゲラを読んだファーストリテイリング会長兼社長の柳井正氏はそうつぶやいた。『トヨタ物語』著者の野地秩嘉氏がその真意を聞く。柳井氏が考える「強さの本質」「ユニクロが目指す、その先」とは。その前編。 ■重版出来!『トヨタ物語』トヨタはなぜ強いのか――その本質に迫る巨編ノンフィクション。日経ビジネス連載「トヨタ生産方式を作った男たち」に書下ろしの新章などを加えた圧巻の408ページ、ついに刊行。早くも3刷。日経BP社刊 『トヨタ物語』にあるトヨタの本質 柳井:僕は昔、大野耐一さんの本『トヨタ生産方式』を買って、読んだことがあるんです。熟読したけれど、何が書いてあるのかよくわからなかった。それが、今回、本書を読んで、納得しました。大野さんは「オレの本を読んでもわからないのは当たり前だ。中身がわからないように書いてある」と言っている。つまり、トヨタ生産方式は

ファーストリテイリングは10月7日記者会見を開き、世界的クリエイターのジョン・C・ジェイ氏をグローバルクリエイティブ統括(President of GlobalCreative)として迎えると発表した。同氏は近日中にファーストリテイリングに入社、グループ全体の商品デザイン、店舗デザイン、マーケティング、ブランディングを含むグローバルでのクリエイティブを統括するという。「President of GlobalCreative」は同社初のポストとなる。 会見の中で、同社代表取締役会長兼社長の柳井正氏は、「いま我々のビジネスの拠点はヨーロッパ、アメリカ、アジアに広がっている。このプラットフォームの上にジョン・ジェイ氏と共に新しいビジネスを作っていきたい。ジョン・ジェイ氏とは1999年のフリースの広告キャンペーン以来交流が続いており、たびたびアドバイスを受けてきた。我々が真のグローバルカンパニ

「いつも心は折れそうだけど」 柳井正氏の自分論ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長(上)2018 / 1 / 18 ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長は、家業の紳士服店を世界的な衣料品企業に成長させた立志伝中の人物だ。しかし、自身を振り返り、「僕は内向的で、経営者に向いていなかった」「いつも心が折れそう」と意外な心のうちを吐露する。24歳で家業に入り、40年以上経営の第一線で走り続けた柳井氏のモチベーションとは何か。 「経営者向きではなかった」――柳井さんの持論は「失敗しても諦めずに挑戦する」です。心が折れそうになることはないですか。 「いつも折れそうだよ(笑)。僕は、もともと内向的で、経営者に向いてない性格だったしね。学生のときは、本ばかり読んでいた。商売人どころか仕事しないで一生暮らせる方法はないかな、と思ってた。でも、何度も経験するうちに免疫がついてくるんじゃないかな」 ―

ユニクロの新ライン「ユニクロ ユー(Uniqlo U)」から2017年秋冬コレクションが9月29日に発売する。国内のユニクロ店舗及びオンラインストアで順次展開される。3シーズン目となる今回は、ウィメンズ46型、メンズ27型、グッズ11型を展開。島精機製作所と発足した「イノベーションファクトリー」で開発され、ホールガーメント技術によって縫い目が無い立体成...

子どもの頃の僕は、なにしろ臆病で、ちょっとしたことで人一倍怖がる子どもだった。 道を歩いていても、人がいなければ、しんとして怖いと言い、人がいれば、あの人が怖いと言うように、何かあるたびに、いちいち怖がって、親に面倒をかけた。 8歳の時、町外れにあった柔道の道場に通うことになった。自宅から道場までは、歩いて30分の距離だった。夕方の暗くなった道を一人で歩くのだ。柔道を習うのは楽しいけれど、その行き帰りが僕には怖くて仕方がなかった。 「明るい道を歩けば大丈夫よ」と母は言ったが、途中にあるうっそうと茂った木々や、お化け屋敷に見える家や、なんだか不気味な曲がり角など、僕にとっては怖いものだらけだった。 目をつむって歩いたり、走ってみたり、時には大きな声で歌をうたいながら歩いたりと、子どもながらの工夫をするけれど、そうすればそうするほどに怖さは大きくなって、通うことに僕は、駄々をこねるようになった

父も母も大好きだったけれど、いつか家を出ようと思っていた。それは大海原で浮き輪から手を離して泳ぎ出すような無謀なことだとわかっていた。けれども、大人へのあこがれと、自分はもう一人で生きていけるんだということを世界に証明したかった。 サンフランシスコに着いた日の夜、公衆電話に鎖でつながれた電話帳から、ホテルを探して電話をかけた。英語が通じなくて電話は切られた。マーケット・ストリートを歩くと、いくつかホテルの看板を見つけたが、ドアマンがいるようなホテルに泊まるお金は、僕にはなかった。 いつしか強い雨が降ってきた。鮮やかな色をしたネオン管に24時間と書いてあったドーナツ屋に入り、コーヒーとシナモンドーナツを注文し、カウンターに座って食べた。 ジーンズのポケットから小さなノートを出して、「エクスキューズミー」と言ってから、ホテル、安い、探している、と単語を書いて、それをひとつひとつ指差しながら、カ

リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く