ねる子 @100hGamers 昔、ある禅僧に「自分探しをしている」と相談したら、「探している自分と、探されている自分、どっちが本当のあなたですか?」と問われて絶句したことがある。 その時は意味がわからなかったけど、今思えば「私とは何か」を必死で固めようとする行為自体が、すでに二つの自分を前提にしているということだった。探す側の自分がいなければ、探される自分も存在しない。 結局、「自分とは何者か」という問いへの答えは、問いそのものを手放すことではなく、問う自分と問われる自分の両方を同時に見られるようになることだったのかもしれない。川の流れを見ながら、同時に川の中にいる感覚というか。 2025-11-13 12:51:17 かぽ @thecure2392 養老先生が「皆さんは無意識のうちに西洋近代的自我を教え込まれている」と指摘していたことがあったけど、キリスト教的な世界観というのは、天使の

静伸 @satoshugen 中学校の授業で「仏教を始めたのは誰か?」との質問に当てられて、祖父がお坊さんだった私は「釈迦」と呼び捨てにするような環境で育ってなく当たり前のように「釈尊(しゃくそん)です」と答えた所、先生が敬称を知らなく「なんだそれ、マイケル・シャクソンか?」と笑いものにされた事を思い出しました x.com/1004KI8/status… 2025-09-28 13:20:59 ももしきや @1004KI8 うちの中学生が「一揆の連判状の署名は、なぜ丸く並んでいるか」という先生の質問について「首謀者をわからなくするため」と答えたら「それは古い考えで、団結や平等を示すためである」として、みんなの前で「そんなこともわからないのか」調で言われて恥をかいたのだそうだ。古い…のです…? 2025-09-27 14:03:39

すぽんちゅ@仏教は最高の教え @Iwatekko6969 仏教、特に座禅を重視する禅宗系では、「座禅中に仏が現れた」とか「ブッダに語りかけられた」と言うと 「あ、これはアカン」 という雰囲気になって速攻病院送りになるとか。 禅宗系の寺では、厳しい環境下に置かれた人間が極限的な疲労と空腹で幻覚を見る事を、既にマニュアル化してるんですよ。 x.com/LxLxNPLAYA/sta… 2025-01-31 19:46:15 𝐋𝐱𝐋𝐱𝐍𝐏𝐋𝐀𝐘𝐀 @LxLxNPLAYA 精神科に行ったら躁鬱(双極性障害)と言われたので、"理解のある彼くん"をセルフエミュレートする事で自分の中に自分を支えてくれる存在を擬似的に作り上げ、自己対話しながら前向きに生きていたら躁鬱が治った気がしたので、再び精神科に行ったら多重人格(解離性同一性障害)を併発していると診断された x.com/smallb

おおぬき @o_nuk_i 優しい性格ゆえに人生で躓いてしまって、「お坊さんになりたい」と言われる方がたまに居られるのですが、臨済宗だと僧堂がバリバリの体育会系なので潰されてしまう未来しか見えず、おすすめしづらいのですよね。他の宗派さんはどうなのでしょう。 2024-08-18 17:13:48

このエントリは三沢文也さんについての長文感想です。 三沢さん本人か三沢さんに興味あるという人だけが読んでくれれば満足です。 1 三沢さんは偉い投げ出さずに完成させたことが偉いと思います。 何であっても完成させたことがもっとも価値がある。 これが一番の進歩であり収穫であって それに比べたら読者からの評価なんて些細なことです。 反省点があればすぐ次の本を書けばいいだけですから。 その上で、三沢さんはやっぱり読解力がおかしいと思います。 一般的な「文章を読めない人」と比べても更に何かがあるように見えます。 引用した本の嚙み砕き方にさまざまな違和感があります。 このことは揶揄からかいのために言うのではありません。 私ははてブ民の誤読なら大抵は何をどう誤読してるか秒でわかりますが 三沢さんの読書感想文はもっと不思議な感じで脳が詰まります。 2 三沢さんが仏教の本に出会った三沢さんの誤読はおそらく我が

安達智@あおのたつき連載中 @Sato_adachi ととちゃん🐕日本画専攻7年。 マンガボックスであおのたつき連載中▼webから読むmangabox.me/reader/106002/… 江戸関連のツイートは覚書なので参考にされる際は各自でお調べください。 安達智@あおのたつき連載中 @Sato_adachi お米一粒も残さずに食べるのみっともないってポスト見たんですがわたくしは幼稚園が仏教で般若心経唱えた後「一粒のお米にも万人の力が授かっております。のの様に感謝していただきます」と唱えてご飯いただいてたのでご飯粒残したら悪いことが起きそうでなるべく食べる派です🙏 2024-05-20 13:22:02

宝石の国は、思うに視点を3段階で変えて見る必要があんのよね、話の構造的に 一段階目は「主人公が気になるアイツのために成長するだろう物語」として、徐々に変化していく主人公目線で読む アニメの範囲はこれだから、序盤〜前半は分かりやすく読みやすい 二段階目は「変貌した主人公が何をしていくのか予期できない中で、群像劇として見る」 話がどこに辿り着きたいのか予期できなくなるし、主人公の人格も定かではないので、周りの登場人物を面白がって細かい部分を見る ここで感情移入がし辛い問題が発生するし、周りのキャラが気に入らないと脱落する人も多い 三段階目は「これって仏教説話なの?悟りの先に何があるのか」と気にしながら見る 構造が何を意図しているか分からないと、どんどん置いてきぼりになる仕組み

仏の教えは合理的。基本的な理屈の前提となっているのは、この世界には「因果関係」があって、あらゆる物事は因果関係の連鎖で成り立っていますってことだけ。 ・絶え間ない因果関係の連なりがあるから「諸行無常」。諸行無常ってのは、あらゆる物事は変化し続けているってこと。 ・諸行無常な世界を普通の人間が経験すると、「一切皆苦」と感じる。あらゆる物事が変化し続けているってことは、やがては人の望まない状態になり得るし、たいていはそうなるから。人生には「四苦八苦」がつきもの。 ・普通の人間は、永遠不変の私がいることを素朴に信じていて、その『私』に強く執着している。しかし実際は、「諸法無我」。つまり、永遠不変の私は存在しないということ。なぜなら、私はこの世界の一部であって、世界の一部であるからには因果関係の連鎖によって一時的に立ち現れている物事でしかないから。身体も五感も思考も欲求も一時的に立ち現れているもの

在家者が葬式に出家者(お坊さん)を呼んで布施を与えるのはなぜか。仏教のあるべき姿とは。本稿は、大竹 晋『悟りと葬式 弔いはなぜ仏教になったか』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。 なぜ仏教は在家者の葬式のための宗教になったのか 在家者が握る「葬式仏教」盛衰のカギ 仏教においては、生物は煩悩にもとづいて善業・悪業を積み続け、それによって、輪廻において転生し続けていると考えられている。 煩悩にもとづいて善業を積んだ者は善趣(善い趣き先)へ転生し、煩悩にもとづいて悪業を積んだ者は悪趣(悪い趣き先)へ転生する。善趣とは、人、天である。悪趣とは、地獄、畜生、餓鬼である。 輪廻においては、善趣へ転生しても、悪趣へ転生しても、生物は苦を免れない。しかし、生物は、もし煩悩を断ちきったなら、煩悩にもとづく善業・悪業を積まなくなり、輪廻から脱して涅槃(鎮火状態)を証得する。涅槃を証得して死去する者はも

コロナ禍の前後から、中国の対外工作や戦狼外交(西側諸国に対して中国外交官が過剰に攻撃的な姿勢を取ること)はいっそう露骨になった。日本国内での公安出先機関の設置工作や、Xで暴言を連発する中国駐大阪総領事の素顔は、すでに過去の記事でも見てきたとおりだ。さらに、彼らはなんと日本の伝統仏教の世界にも浸透工作を仕掛けていた事実が判明した──。12月15日に『戦狼中国の対日工作』(文春新書)を刊行する安田峰俊氏が、実態に迫った。 明代仏教を伝える⽇本の仏教寺院にせまる影 「黄檗宗」という仏教宗派をご存知だろうか。信者数こそ約7.3万人とすくないものの、日本の伝統仏教十三宗の一角を占めており、数百万人以上の信者を抱える大宗派とも対等の権威と社会的信用を持つ。同じ禅宗の大宗派である臨済宗や曹洞宗とは、法統の上でも親類関係にあり関係が良好だ。 黄檗宗の最大の特徴は、宗祖の隠元隆琦(いんげんりゅうき:1592

「ダライ・ラマは小児性愛者」中国が流した「偽情報」に簡単に騙された欧米...自分こそ正義と信じる人の残念さ <チベット弾圧から世界の目をそらすため、欧米の無知と偏見に付け込んでダライ・ラマを炎上の的にさせた中国と、見事に引っかかった世界> チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世に対して4月8日、世界の主要なSNSで新たな中傷キャンペーンが開始された。 と言っても、それだけなら今に始まった話ではない。抗中独立運動が拡大した1959年のチベット動乱以来、祖国を脱出したダライ・ラマは隣国インドで亡命生活を送っている。今もなおチベット人には敬愛されているが、中国政府はダライ・ラマの写真を所持することも禁じている。そして一貫して、ありとあらゆるメディアで誹謗中傷を続けている。 今回もまた「メイド・イン・チャイナ」の偽情報なのはほぼ間違いないが、不愉快な新手法があった。ダライ・ラマを、なんと小児
仏教が他の宗教と違うところは神がいないことだ。他の宗教には神がいてそいつが偉そうにああしろこうしろというものである。ルールを人格化しているともいえる。一方の仏教ではルールはただルールとして存在し人格化はされていない。 仏教はただ世界観を与えるものである。まず生きることは辛く苦しいものであるとされる。その上であなたは死んだあとにまた別の存在として生き返りますと言われる。これが輪廻転生。辛くて苦しい生の呪縛から抜け出すことが仏教の目的。 善い行いをしてカルマを貯め煩悩を廃した状態になればあなたは輪廻転生から解放されますよとそういうやり口である。初期仏教ではこの修行は個人的なものであったが日中韓で流行った大乗仏教では皆でこの状態にならないと意味ないよねということから始まった。菩薩という皆の先生になりたいという煩悩のみが残った生体の概念を作り出した。 そんなわけで仏教は神であなたを脅すのではなく世

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