時代経ても変わらない味 売り子のおばちゃんと談笑する子どもたち。昔から変わらない光景だ=長崎市出島町、出島和蘭商館跡 コーンに盛られた口溶けの良いアイスを一口食べると、体と心に涼感が広がる。長崎の夏の定番「チリンチリンアイス」。長崎市の観光地周辺では、修学旅行生と売り子のおばちゃんが談笑する光景が半世紀にわたって続いている。戦後復興期に産声を上げ、時代を経ても変わらない味。現在も商売を続ける冷菓店などに話を聞き、歴史や屋台車の秘密などを探った。 かつて、売り子さんが屋台車を押し、街中を練り歩き販売していた。その際に鳴らしていた鐘の音色が名前の由来だ。そもそもチリンチリンアイスが登場したのはいつか-。はっきりした記録は残っていないが、関係者の話を総合すると、本格的に屋台車での販売が始まったのは1950年代後半とされる。 「市政100年 長崎年表」(市発刊)によると、長崎原爆投下から7年
長崎原爆で被爆したことの証明が不十分との理由で被爆者健康手帳の交付申請を却下されたのは不当として、韓国在住の金勝男(キムスンナム)さん(68)が、長崎市を相手取り、却下処分の取り消しを求めた訴訟の判決が9日、長崎地裁で言い渡された。 井田宏裁判長は金さんを被爆者と認めて処分を取り消し、市に健康手帳の交付を命じた。 金さんは生後8か月だった1945年8月9日、爆心地から約500メートルの同市橋口町の自宅で被爆したと主張。2011年5月に手帳交付を申請したが、市は、証人がいないことなどを理由に同年11月に却下した。金さんは、翌12月に提訴した。 金さんの戸籍には、長崎市橋口町で出生したと記載されている。訴訟で金さんは、両親から聞いた話として、父親が勤務していたボルトナット工場の社宅で被爆し、母親と共に助け出されたと主張していた。 これに対し、市側は▽被爆後に市が行った調査で金さんが主張する番地
豪の元捕虜に被爆者手帳 長崎市、93歳男性に交付 2013年6月11日 18:15 カテゴリー:九州 > 長崎 社会 長崎市は11日、第2次世界大戦中に捕虜となり、長崎原爆で被爆したオーストラリア人男性(93)に被爆者健康手帳を交付すると発表した。捕虜だった外国人への手帳交付は11人目。 男性はビクトリア州のアラン・チックさん。4月にメルボルンの日本総領事館を通じ、交付を申請していた。市はオーストラリアに市職員を派遣。19日にチックさんと会い、本人確認後に交付する。市職員が海外に出向き、在外被爆者に手帳を手渡すのは初めてという。 チックさんを支援している同市の市民団体「在外被爆者支援連絡会」は「今後は医療費などの手当申請時に、きめ細かい支援が継続してできるかが重要になる」としている。=2013/06/11 西日本新聞=
【動画】三角形の海底資源探査船横幅は70メートルだが、全長は104メートルしかない海底資源探査船=長崎市、朝日新聞社ヘリから、関田航撮影海底資源探査船の船尾部分。一度に広範囲の海底を調べるため、従来船より幅を広めた=長崎市、朝日新聞社ヘリから、関田航撮影 長崎市の三菱重工業長崎造船所で、まるで船首部分だけのような不思議な三角形の船が建造されている。海底資源探査船で、横幅は世界最大級の70メートルだが、全長は104メートルほどと短い。船尾から24本のケーブルを海に流し、海底から跳ね返ってくる音波を捉える。一度に広範囲の海底を調べるため、従来の探査船より30メートル幅を広げ、より多くの探査用ケーブルを並べられるようにした。今春、ノルウェーの資源探査会社大手に引き渡す予定。 関連リンク動画ページ
長崎の被爆者や沖縄のアメリカ軍基地などを撮り続けてきた、日本を代表する写真家の東松照明さんが、去年12月、沖縄県内の病院で亡くなっていたことが分かりました。 82歳でした。 東松照明さんは昭和5年、愛知県に生まれ、愛知大学在学中に本格的な写真活動を始めました。 その後、プロの写真家になり、原爆投下がもたらした実態を伝えるために、昭和36年から長崎の被爆者の戦後を追い続け写真に収めてきました。 また、本土復帰前の沖縄で、ベトナム戦争に出撃する爆撃機や広大なアメリカ軍基地を目の当たりにして以降、基地や周辺に暮らす人々の様子などを撮り続けてきました。 国内だけでなくアメリカやヨーロッパなどで写真展を開くなど作品は国内外で高く評価され、平成7年には紫綬褒章を受章しました。東松さんは、2年前から沖縄に移り住み、撮りためた作品を去年、県立の美術館に寄贈するとともに、無料の勉強会を開いて後進の育成にも努
仏隊撮影の写真見つかる 明治初期の長崎で金星観測 2012年9月5日 02:02 カテゴリー:九州 > 長崎 金比羅山にあるフランス隊の観測記念碑の説明をする松本直弥県天文協会長。碑には「VENUS」の文字や金星の太陽面通過の様子を記した絵が刻まれているフランス隊のジャンサン隊長が使用した216ミリ望遠鏡。その大きさから観測の規模がうかがえる=長崎大提供、パリ第5大で接写 1874(明治7)年に長崎市で「金星の太陽面通過」を観測したフランス隊が撮影した観測関連の写真28枚を、長崎大付属図書館がパリ第5大で発見した。金比羅山の観測小屋や当時の機器などが写っており、県天文協会の松本直弥会長は「フランス隊の技術の高さや、当時の熱の入れようが分かる貴重な資料」と話している。 観測は太陽と地球との正確な距離を計測するのが目的で、観測条件の良かった日本で行われた。金比羅山に観測記念碑が残っているが
小川 和己氏(おがわ・かずみ=ブラジルに移住し平和公園を建設した長崎被爆者)関係者によると、4日夜、ブラジル南部サンタカタリナ州の自宅で死去、83歳。病死とみられるが詳しい死因は不明。
路面電車運賃箱から現金盗む 長崎、広島両県警は23日、広島県廿日市市で路面電車の運賃箱から現金を盗んだとして、窃盗(車上狙い)の疑いで住所不詳(本籍北海道北見市)、職業不詳、佐藤敏秋容疑者(33)を逮捕したと発表した。長崎、熊本両市の路面電車の運賃箱から現金が盗まれた事件についても関与をほのめかしているという。 逮捕容疑は9日午後11時25分から10日午前5時半にかけ、廿日市市の広島電鉄の駐車場で複数の路面電車の運賃箱から現金約13万1千円を盗んだ疑い。 長崎県警によると、現金はすべて釣り銭用の五百円硬貨。乗車口に鍵のない旧型車両が被害に遭った。バールなどの工具で運賃箱をこじ開けたとみられる。 路面電車の運賃箱をめぐっては、長崎市中川2丁目の長崎電気軌道の蛍茶屋車庫で4日から5日にかけ、旧型の路面電車6両から現金8万8千円(五百円硬貨176枚)、熊本市電で7日から8日にかけ現金約1
田川 裕氏(たがわ・ゆたか=被爆者で原爆報道に取り組んだ元NBC長崎放送報道部長)8日、胃がんのため死去、75歳。長崎市出身。葬儀・告別式は10日午後に行った。喪主は妻テル子(てるこ)さん。 被爆者医療に尽力した故永井隆博士が医療活動を記録し、所在が分からなくなっていた「原子爆弾救護報告」を1970年、25年ぶりに長崎市内の民家で発見。75年度に芸術祭大賞作品に選ばれたNBC制作のドキュメンタリー「もう碑(いしぶみ)は建たない」では、長崎に原爆を投下した米軍のB29爆撃機「ボックスカー」の機長に国内メディアとしては初の単独インタビューに成功した。自身も長崎で被爆。
アパートの2階通路が崩落 2階にあった屋外通路が崩落したアパート。右端は玄関を開ける住民=28日午後9時59分、長崎市淵町 28日午後9時5分ごろ、長崎市淵町の2階建てアパート「RYOWA 4th」の住民から「2階の踊り場が落ちた」と110番通報があった。稲佐署員が駆け付けると、2階各室の玄関に面した屋外の通路が1階に崩落していた。消防車が出動し、はしごで住民を救助。けが人はなかった。 稲佐署と住民らによるとアパートは約1年半前に完成。14室に計14世帯が入居。4メートルの高さから崩落した通路は幅1・2メートル、長さ21メートル。玄関と通路の隙間が徐々に広がっていたという。 2階に住む男性(23)は「ドーンという音がして、逃げようと玄関の扉を開けたら通路がなかった」。2階の女性(35)は「風が強い日はアパートが揺れ『危ないのでは』と話していた。どこに住めばいいの」と途方に暮れた様子で
長崎市の平和公園周辺で女児による寸借詐欺とみられる被害が相次いでいた問題で、長崎県警浦上署は18日、同市内の中学1年の女子生徒(12)を詐欺の非行事実で補導したと発表した。 発表によると、生徒は2日午後6時半頃、同市浜口町の路上で、女子大生(23)に「祖父が入院する病院までのタクシー代を貸してほしい」などとうそを言い、3000円をだまし取った疑い。 県警には1月29日~今月16日、同公園周辺で女児に「金を貸してほしい」と声をかけられたとの相談が29人から寄せられており、うち18人が120~5000円、計4万3280円を渡していた。 同署で関連を調べている。
国内外で核兵器廃絶を訴える下平作江さん(左)を支えた夫隆敏さん(右)=長崎市の聖フランシスコ病院で2011年1月18日午後2時13分、下原知広撮影 長崎原爆の語り部として講話を続ける下平作江(さくえ)さん(77)=長崎市=の夫隆敏(たかとし)さん(83)が17日、肺炎と呼吸器不全で亡くなった。同じ被爆者で、公の場で体験を語ることはなかったが、国内外で活動する作江さんの良き理解者として支え続けた。 隆敏さんは三菱工業青年学校2年の時に爆心地から4・5キロ離れた潜水艦内で被爆。近所に住む作江さんからは「兄ちゃん」と呼ばれる仲だった。原爆で母、姉兄を亡くした作江さん。10年後には妹が病気を苦に鉄道自殺。肉親をなくし、後を追おうとした際「絶対に死んだらだめだ」と泣きながら声を掛け、引き留めてくれたのが、隆敏さんだった。隆敏さんも原爆で母親を亡くしていた。 二人は結婚。その後、隆敏さんは甲状腺機能低
福井県立恐竜博物館は12日、長崎半島の東に位置する長崎市北浦町の白亜紀後期の地層から、草食でカモノハシ恐竜として知られるハドロサウルス科の骨とみられる化石を発掘したと発表した。長崎県での恐竜化石の発見は、半島西側で見つかった同科の別個体の化石に次いで2例目。博物館は「長崎市周辺が恐竜の生息場所だったとみられ、今後も発見される可能性が高い」としている。 博物館によると、約8400万年前の地層から右大腿骨の上半分が見つかった。長さ約41センチで、最大幅は約23センチ。腰や太ももの筋肉が付着する突起の特徴から、二足歩行で草食の「鳥脚類」の骨と断定した。全長は約6メートルと推定され、博物館は、アヒルのくちばしのような平たい口が特徴のハドロサウルス科とみている。化石は12~16日に長崎市役所茂木支所で、17~25日は長崎市科学館で公開される。恐竜博物館では12日から複製を常設展示する。
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