奥州市水沢区大手町の後藤新平記念館(髙橋力館長)で、NHKテレビ放送開始60年記念企画展「放送文化の夜明け」が開かれている。社団法人東京放送局の初代総裁を務めた後藤新平(1857~1929年)が無線放送(ラジオ)の本放送開始の際に読んだあいさつの原稿、無線放送に対する抱負を収めた小冊子などの資料を展示し、「情報の公衆伝達」に力を尽くした郷土の偉人の業績の一端を紹介している。 逓信大臣などを歴任した後藤がNHKの前身である東京放送局の初代総裁に就いたのは1924(大正13)年のこと。翌25年から始まった放送はラジオという新しい文化が日本に生まれ、後藤が重視した情報の公衆伝達が動きだす節目となった。東京放送局は25年3月、東京高等工芸学校を仮放送所として放送を始め、112日間の仮放送を経て同7月芝の愛宕山に完成した放送局で本放送を開始。その際、後藤は「不肖後藤新平が当放送局の総裁として、茲(
「機械遺産」への認定が決まった旧横須賀製鉄所の3トンのスチームハンマー。巨大な門の形をしている=横須賀市で かつて横須賀製鉄所で使われた大型加工機械で、国の重要文化財(重文)に指定されているスチームハンマーが、一般社団法人日本機械学会の「機械遺産」に認定されることが決まった。横須賀市の吉田雄人市長は「これを機に、日本近代化の起点である横須賀製鉄所やスチームハンマーが広く知られてほしい」と期待している。 認定されたハンマーは〇・五トンと三トンの二台で、国内に現存する最古の物。幕末にオランダから輸入されて艦船の部品を製造した。その後も横須賀海軍工廠(しょう)や、米海軍船舶修理廠で活用され、約百三十年使われた。
1945年3月の神戸大空襲は米軍の無差別空爆ではなく、住宅密集地を徹底攻撃し、住民を標的にしたものだったとの調査結果を、日本の空襲史を研究している中山伊佐男さん(83)=東京都在住=がまとめた。中山さんは「米軍は狙いを定めず都市を爆撃したと言われているが、実は緻密に計画し、住民を徹底的に標的にしていた。無差別という言葉を使うと空襲の本質を見失ってしまう」と指摘している。 神戸大空襲は3月17日未明にB29爆撃機309機が来襲。兵庫区や長田区など神戸市西部を中心に焼夷(しょうい)弾を投下した。約2700人が亡くなり、6万9000戸が被災した。 中山さんは米軍が1943年秋ごろに作成した「焼夷攻撃データ」に着目した。データは、日本側が作った地図や写真のほか、火災保険額の査定資料といった空襲目標施設の詳細な資料まで加味されていた。米軍はこれを基に、住宅の密集度が40%を超える地区を高密度居住
茅野市蓼科を仕事場にした日本映画界の巨匠、小津安二郎監督と脚本家の野田高梧さんが蓼科でつづった日記をまとめた「蓼科日記抄」が完成し、編さんを担当した刊行会(山内静夫発起人代表)は28日、小津監督ゆかりの蓼科の山荘「無藝荘」で出版会見を開いた。小津映画の誕生秘話を知る「最後の未公開一次資料」で、山内代表は「映画文化、日本文化のプラスにしてほしい」と願った。 刊行事業は刊行会事務局長の北原克彦さん(65)=原村=が18年前、茅野市で「小津安二郎記念・蓼科高原映画祭」を始めるために野田家を訪れ、蓼科日記を見たのがきっかけ。2007年の映画祭で野田さんの長女山内玲子さん(故人)が承諾したのを契機に、小津家からの了解も得て、編集を進めてきた。 小津組プロデューサーの山内代表と、小説家の故小津ハマさん、野田陽子さん(野田家)、松竹会長の大谷信義さん、茅野市の柳平千代一市長、矢崎和広前市長らが発起人
俳人小林一茶(上水内郡信濃町出身)の作品を評する正岡子規の自筆原稿が25日までに、長野市戸隠の民家で見つかった。原稿の1枚目(写真)には「一茶の特色は主として滑稽、諷刺(風刺)、慈愛」などとつづり、訂正した様子も残っている。 明治時代を代表する俳人・歌人正岡子規(1867~1902年)が、上水内郡信濃町出身で江戸時代の俳人小林一茶(1763~1827年)の作品などを収めて1897(明治30)年に刊行された「俳人一茶」に寄稿した自筆原稿が25日までに、長野市戸隠の民家で見つかった。一茶の俳句を高く評価した内容がつづられている。子規記念博物館(松山市)によると、子規の自筆原稿は散逸するなどして現存数が少なく、全国的にも非常に珍しい。 同館によると、子規自筆の書簡や短冊は多数確認されているが、原稿は、同館が把握する限り20点に満たないという。 一茶研究家で子規にも詳しい矢羽(やば)勝幸・二松学舎
松本清張の埋もれた短編発見 全集未収の初期作、北九州市の火野葦平資料館 2013年07月24日(最終更新 2013年07月24日 11時16分)小説春秋に掲載された「女に憑かれた男」「点と線」を連載していたころの松本清張(1957年撮影) 北九州市出身の作家、松本清張(1909~92)が雑誌に発表したものの、その後顧みられることなく、研究者の間でも存在が知られていなかった短編小説が見つかった。清張が専業作家になって間もない56(昭和31)年に書かれたミステリータッチの短編で、全集、年譜にも未収録で単行本化もされていなかった。 半世紀の時を経て“発見”されたのは、小説「女に憑(つ)かれた男」(400字詰め原稿用紙約30枚)。56年6月に刊行された月刊文芸誌「小説春秋」臨時増刊号に掲載されていた。年上の女性と心中を繰り返すが、生き残ってしまう男の転落の人生をミステリー風につづり、検事や警察官
『いかに「基地の島」はつくられたか』 沖縄探見社 編 (沖縄探見社・1050円) 2013年04月28日(最終更新 2013年04月28日 13時29分) 『いかに「基地の島」はつくられたか』沖縄探見社編(沖縄探見社・1050円) 日米安保条約に基づく在日米軍施設の約7割は沖縄県に集中している。政府は普天間飛行場(宜野湾市)の沖縄・辺野古への移転を決めたが、沖縄県では県外移設を求める声が消えることはない。本書は膨大な研究書、資料を踏まえ、沖縄に米軍基地が集積した理由とそのプロセスを分かりやすく解説してくれる。 太平洋戦争で最終防衛ラインとなった沖縄は1945年、過酷な地上戦を体験。米軍はそのまま沖縄を占領し、すぐに基地の建設に乗り出す。50年以降、大型基地建設が本格化。ベトナム戦争が始まると、米軍は沖縄基地の機能を拡充、「基地の島」という今に続く体制が固定化していった。 沖縄の米軍基地
ブレイディー氏は今も、フィッシャーが頭角を現したマーシャル・チェスクラブに所属する。壁には、盤に向かうフィッシャーの写真が残る=ニューヨーク、中井大助撮影 米国出身のチェス元世界王者、ボビー・フィッシャーが64歳で亡くなって5年。絶対的な強さを誇りながら、忽然(こつぜん)と姿を消した人生は今も世界の関心を集める。その人物像に迫ろうと、少年時代から見続けてきたフランク・ブレイディー氏(78)が膨大な資料を使って伝記を書き上げ、新たな光をあてた。和訳『完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯』(文芸春秋)が出版されたのを機に、ブレイディー氏に話を聞いた。 2人が初めて会ったのは約60年前、チェス大会の会場。以来、活躍を間近で見守った。1965年にはフィッシャーの初めての半生記を出版。72年に世界制覇し、30年続いたソ連の覇権に終止符を打つと全面改訂もした。一方、半生記出版のころから関係は
米グーグルのメール共有サービス「グーグルグループ」を通じて国際条約の交渉過程が誰でも閲覧できる状態になっていた問題で、環境省は10日、同サービスの利用が省内の情報管理規定違反に当たるとして実態調査に乗り出した。 関係者の処分も検討する。省内で同様の事例がないか調べるとともに、交渉への影響の有無についても検証する。一方、複数の医療機関から患者情報が公開されていたことを受け、厚生労働省は都道府県に調査を指示、無料サービス利用に関して注意喚起も行う方針だ。 環境省では、水銀の輸出入などを規制する「水俣条約」交渉について情報を共有するため、交渉直前の今年1月10日に同サービスの利用を開始。他国との2国間会議の内容や、全体会議で発言予定の文案などを誰でも見られる状態にしていたことが分かっている。 同省によると、規定では、職員が省外の情報システムを利用する際は届け出が必要で、機密性のある資料を扱う場合
(本記事は出たばかりの本のネタばれを含みますので、ご注意ください) 国史大辞典 何とも変わった本が出た。本書は、『国史大辞典』を予約した人々はだれか、ということをひたすら紹介し続けるという本である。 国史大辞典を予約した人々: 百年の星霜を経た本をめぐる物語 作者: 佐滝剛弘出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2013/06/30メディア: 単行本この商品を含むブログ (8件) を見る 目次はこちら(出版者HP)から。実業家や文学者に華族、理系の人々、官公庁に学校の先生、さらに書店や図書館もあるから、図書館史の一資料ともいえそうだ。 『国史大辞典』という、日本史のことを調べるのにまずこれを引くという辞典の存在について、大学で日本史を専攻した人のなかには知らない人は恐らく存在しないし、また図書館で人文系のレファレンスをやったことがある人も最初に覚えるレベルで有名な本だろうと思う。今はジャパ
年縞6万年分を確認 男鹿で湖底堆積物調査 東北大など 湖底から深さ17メートル付近の年縞を見る調査員ら。白い層があり、1万7000年前、鳥取県の大山の噴火による火山灰が堆積したとみられる 秋田県男鹿市北浦西水口の農業貯水池の一ノ目潟(水深48メートル)で、6万年前後分の湖底堆積物が約60メートルにわたって層状に積み重なった「年縞(ねんこう)」が採掘された。国内で確認された本格的な年縞は8カ所あり、これまで最高だった福井県若狭町の水月湖の約5万年分、約45メートルを上回る最大級。過去の地震や火山の活動、気候変動を解析する貴重な資料になる。 調査したのは東北大など9大学と独立行政法人海洋研究開発機構の研究者20人でつくる環太平洋の環境文明史プロジェクト(代表・米延仁志鳴門教育大准教授)。 年縞は湖沼の底に花粉やプランクトンの死骸などが1年ごとの層(約1ミリ)となって重なる。一ノ目潟は水深が
土器に平仮名「いろは歌」=全文は最古、藤原氏邸宅跡から−京都 土器に平仮名「いろは歌」=全文は最古、藤原氏邸宅跡から−京都 平仮名の「いろは歌」ほぼ全文が記された墨書土器。一部は欠けている=27日、京都市上京区の市埋蔵文化財研究所 平安時代の貴族藤原家の邸宅跡として知られる「堀河院」(京都市中京区)から、平仮名の「いろは歌」ほぼ全文が墨書された土器が見つかり、市埋蔵文化財研究所が27日、発表した。土器は1200年前後のものとみられる。平仮名のいろは歌全文が書かれた資料としては最古で、都の文化を知る上で貴重な発見という。 墨書土器は直径9センチの土師(はじ)器の小皿。裏面にいろは歌が記されている。「いろはに」は2行目から余裕を持って書き始められたが、余白が少なくなり、最後の「ゑひもせす」は1行目に戻って書かれている。筆跡の未熟さなどから、子どもの手習いの可能性が高いという。「く」や「ゆ」な
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