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このたび刊行された『占領都市 TOKYO YEAR ZERO II』。これは東京在住のイギリス人ノワール作家デイヴィッド・ピースが、『TOKYO YEAR ZERO』に続いて放つ《東京三部作》第二作です。描かれているのは「帝銀事件」。1948年1月26日、東京都豊島区の帝国銀行椎名町支店の行員らが、何者かによって毒物を飲まされて殺害された悪名高い事件です。ノワールを暗黒の散文詩の域に押し上げ、本国では現代イギリス文学として評価されるデイヴィッド・ピースのノワール小説。この『占領都市 TOKYO YEAR ZERO II』は、そんなピースが己の技量を総動員した究極のノワール作品と言えます。その刊行を機に、デイヴィッド・ピース氏にインタビューを行ないました。 占領都市 TOKYO YEAR ZERO II 作者: デイヴィッドピース,David Peace,酒井武志出版社/メーカー: 文藝春秋
(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集 [著]安部公房 文学部で教えていて恐ろしいことがある。安部公房の名前をあげても、〈?〉顔の学生ばかり。いや、この反応に〈!〉顔の教師だって作家の全貌(ぜんぼう)を知っているわけではない。でも学生たちに世界文学の宇宙で燦然(さんぜん)と輝く〈安部公房〉の名くらいは知ってほしいし、その喚起するイメージくらいは共有してほしいと思うものだ。 平易であるが研ぎ澄まされた方法意識に貫かれた文体で、無国籍的で不条理な作品を書いた作家。本書所収の短編を読めばわかるように、地名や人名などの固有名詞のない抽象的な作品設定は、その発想力と言葉の力だけで読者を作品世界に引きずり込む。文化的背景についての知識を持たないまっさらな若い読者に、文学の魅力・魔力を伝えるのにこれほどふさわしい作家もいないのだ。 言葉の力だけで、と書いたが、そんな魔力を持った言葉を、その使い手自身
abさんご [著]黒田夏子 〈読む〉とはどのような行為なのか? 画面をありのままに見ることの困難さを繰り返し述べてきた国際的な映画批評家・蓮實重彦氏が映画について述べたことは、文学にも当てはまる。我々は読んでいるつもりで何も読めていない。『abさんご』を読むとは、我々のまなざしが文字に触れることを妨げる思い込みから自由になることなのだ。 なるほど本書は日本語小説とは思えぬ佇(たたず)まいだ。芥川賞受賞作は横書きで、句読点ではなく、コンマとピリオドが使われる。頁(ページ)は左から右に読まれる。ただそのような形式的な面白さはこの小説の魅力のほんの一部でしかない。 スマホやネットの発達で文字が未曽有なほど日常に溢(あふ)れるいま、我々はなぜか言葉は透明だと疑いもしない。言葉(a)は物語内容(b)を運ぶ記号であり、これが気にならず、すっと読めるのがいい小説と思い込んではいないか。a=bの誘惑はかく
世界の中の柳田国男 [編]R・A・モース、赤坂憲雄 編者のR・A・モースらは、柳田国男を「知の巨人の一人」と評する。その存在と学問研究は単に日本だけの遺産ではなく、世界的な意味を持つというのが本書の訴えである。11人の外国人研究者、2人の日本人研究者がそれぞれの角度からその実像を描きだす。礼賛・称揚に傾かず、短所や限界まで具体的に抽出しているので、改めて我々の柳田像を見直すことになる。 膨大な著述、独自のフィールドワークと口承重視の研究、同時にその経歴は多様だが国家が押しつけるナショナリズムとは一線を画したとの論点、視点が示される。 とくに1920年代初頭に国際連盟の委員としてジュネーブに滞在するのだが、そこで柳田の学識は広まったとの見方、『桃太郎の誕生』ではヨーロッパと日本の物語の関係性に注目したという。比較研究中心のヨーロッパ流フォークロア(民俗学)との決別、それ自体は「西洋への反逆」
ブログや日記、メールなどを作成している際についつい「正しい文章」を書いてしまい、読んでいる人を辟易させたことはありませんか? 日本語が乱れがちな現代社会。 没個性を重んじる風潮が強いこの国において、”この人は正しい日本語が扱えるきっちりした人だ”と言う印象を与えることは、あなたのイメージを損ねる原因となりかねません。 そこで本日は、読んでいて気持ちの悪い「間抜けな文章」を書くために知っておくべき6つのテクニックをご紹介しましょう。 間抜けな文章を書くために では実際に気持ちの悪い文章テクニックと文例を見ていきましょう。 最初に出ている青枠は気持ちの悪い(今回の講座においては正しい)文章、赤枠はきっちりと構成された大変に読み応えのない悪い例です。 1.敬体と常体を入り混ぜましょう。統一性が無くなるからだ。 私は篠崎愛ちゃんが大好きだ。 彼女の豊満な体にばかり目がいきがちですが、注目すべきはそ
直木賞作家の常盤新平さんが死去 [2013年01月22日 21:26] メールで記事を紹介する 印刷する 直木賞作家の常盤新平さんが死去 洗練された文体の小説やエッセー、米現代文学の翻訳などで知られた直木賞作家で翻訳家の常盤新平(ときわ・しんぺい)さんが22日午後7時12分、肺炎のため東京都町田市の病院で死去した。81歳。岩手県出身。自宅は東京都町田市つくし野2の20の28。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻陽子(ようこ)さん。 早大卒。早川書房に入社し「ハヤカワ・ミステリ・マガジン」編集長を経て文筆活動に。 米国文化やジャーナリズムを紹介したほか、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインの「大統領の陰謀」、アーウィン・ショーの「夏服を着た女たち」などの名翻訳が評判になった。
2009年の『週刊読書人』以来3年ぶりに、『文學界』「新人小説月評」で文芸時評みたいなことをやったので(2012年7月号〜12月号)、気がついたことのメモなどを。半年程度なので俯瞰的な傾向もへったくれもないのですけれど、複数の作家が、同じような手法を採用しているのが目についたのでその件について。一言でいうと、それは、人称あるいは視点の問題である。一人称と三人称の交換可能性を追求した作品、あるいは一人称と三人称は交換可能であるという前提で書かれた作品、もしくは一人称を三人称のごとく客体化する作品、はたまた一人称が分裂したりする作品という感じだろうか。少なくとも3年前の09年には、こうした試みはほとんど見られなかったから、ここ数年で開発・採用が進んできた技法であるといってよいと思う。作品にそって具体的に見てみよう。顕著なのは、山下澄人「トゥンブクトゥ」(『文學界』12月号)と滝口悠生「わたしの
2012年11月24日20:42 「希望は戦争」への5年越しの回答:熊代亨『ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く』 カテゴリ Tweet ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く 著者:熊代 亨 販売元:花伝社 (2012-10) 販売元:Amazon.co.jp 熊代亨『ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く』・・・8点(10点満点中) ※著者様のご厚意により献本いただきました。ありがとうございます。 この本は「はてなダイアリー」やblogosでもおなじみのブロガー「シロクマ(@twit_shirokuma)」氏による初の単著である。「ブログ発」ということなので目次を広げてみると以前見覚えのあるタイトルが並ぶが、それらのほとんどはタイトルのみ拝借した形でほぼ全面的に書き直されている。で、そこで何が語られているかというと、著者も連なる「ロスジェネ世代」を中心とした世
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