今回で、記事の数がちょうど百になりました(一覧は除く)。 元々「読書感想文」は、ホームページにおいて日記の一部として、ごくたまに書いていたものです。ある程度形式を決めて、定期的に更新するようになったのは、ブログに移行した二〇一一年五月以降のことでした。 取り上げるのは新刊でも話題の本でもないので、時流から外れ、のんびりしたペースで楽しんで書くことができました。尤も、そのせいで、たった百の記事を書くのに何年もかかってしまいましたが……。 僕にとって読書遍歴を晒すのは、それなりに勇気のいることです。読書好きであれば、どんな本を読んでいるかで、センスや好み、その人との相性が凡そ分かってしまうからです。いわば過去の恋人の特徴をこと細かく描写するようなもので、悪趣味の誹りを受ける可能性もあるでしょう。 とはいえ、僕の記事が、誰かの快適な読書の助けにならないとも限りません。 そう前向きに考え、しばらく
俳人小林一茶(上水内郡信濃町出身)の作品を評する正岡子規の自筆原稿が25日までに、長野市戸隠の民家で見つかった。原稿の1枚目(写真)には「一茶の特色は主として滑稽、諷刺(風刺)、慈愛」などとつづり、訂正した様子も残っている。 明治時代を代表する俳人・歌人正岡子規(1867~1902年)が、上水内郡信濃町出身で江戸時代の俳人小林一茶(1763~1827年)の作品などを収めて1897(明治30)年に刊行された「俳人一茶」に寄稿した自筆原稿が25日までに、長野市戸隠の民家で見つかった。一茶の俳句を高く評価した内容がつづられている。子規記念博物館(松山市)によると、子規の自筆原稿は散逸するなどして現存数が少なく、全国的にも非常に珍しい。 同館によると、子規自筆の書簡や短冊は多数確認されているが、原稿は、同館が把握する限り20点に満たないという。 一茶研究家で子規にも詳しい矢羽(やば)勝幸・二松学舎
松本清張の埋もれた短編発見 全集未収の初期作、北九州市の火野葦平資料館 2013年07月24日(最終更新 2013年07月24日 11時16分)小説春秋に掲載された「女に憑かれた男」「点と線」を連載していたころの松本清張(1957年撮影) 北九州市出身の作家、松本清張(1909~92)が雑誌に発表したものの、その後顧みられることなく、研究者の間でも存在が知られていなかった短編小説が見つかった。清張が専業作家になって間もない56(昭和31)年に書かれたミステリータッチの短編で、全集、年譜にも未収録で単行本化もされていなかった。 半世紀の時を経て“発見”されたのは、小説「女に憑(つ)かれた男」(400字詰め原稿用紙約30枚)。56年6月に刊行された月刊文芸誌「小説春秋」臨時増刊号に掲載されていた。年上の女性と心中を繰り返すが、生き残ってしまう男の転落の人生をミステリー風につづり、検事や警察官
店頭に並ぶのは25日からの予定ですが、見本が届きました! というわけで今日は宣伝記事 こちらの本に、瀬名秀明「希望」論を書かせていただきましたので、是非皆さん読んでみて、よければお買い上げお願いしますw 概要 現代日本SFをめぐる評論集 タイトルにある伊藤計劃だけでなく、宮内悠介や長谷敏司、飛浩隆、円城塔などを論じた、いわゆるSF小説の作品論を中心にしつつ、アニメや映画について論じたものや、SFミステリ、ネット小説といった近隣ジャンルの小説について論じたものもあり、SFど真ん中じゃない人にも興味を持って読んでもらえるものが何かしらあるかと 個人的にお薦めなのは、冒頭の岡和田晃「「伊藤計劃以後」と「継承」の問題」と末尾の飯田一史「ネット小説論――あたらしいファンタジーとしての、あたらしメディアとしての」の2編。 岡和田論は、現在のいわゆる「伊藤計劃バブル」に対して疑義を呈して、伊藤計劃の問題
「不良」とはまた聞き捨てならないセリフだ。いったい誰のことか。「生活者の哲学を練りあげた」鶴見俊輔、屈折したマルクス主義者にして前衛芸術運動の立役者のひとり花田清輝、はみ出し者に熱い視線を注いだ異端の作家きだみのる、そして、『砂の女』や『他人の顔』で名高い安部公房といった面々である。 では、なぜ彼らが「不良」なのか。著者いわく、彼らは「一つの立場に拘泥し、これに生命を賭ける、ということのばからしさをよく知っている」からだという。戦中から戦後の激動期、彼らは言論界の中心からややずれたところにあえて身を置き、革命や転覆、進化や超越というよりも、転向や転回、逸脱や倒錯、漂流や難破という思考と生の形式をむしろ自覚的に選び取った。著者の共感は彼らのそうした修辞と戦略に向けられる。直球型というより変化球型の書き手たちである。かくいう私も学生時代、花田の『復興期の精神』や『アヴァンギャルド芸術』を貪(む
このたび刊行された『占領都市 TOKYO YEAR ZERO II』。これは東京在住のイギリス人ノワール作家デイヴィッド・ピースが、『TOKYO YEAR ZERO』に続いて放つ《東京三部作》第二作です。描かれているのは「帝銀事件」。1948年1月26日、東京都豊島区の帝国銀行椎名町支店の行員らが、何者かによって毒物を飲まされて殺害された悪名高い事件です。ノワールを暗黒の散文詩の域に押し上げ、本国では現代イギリス文学として評価されるデイヴィッド・ピースのノワール小説。この『占領都市 TOKYO YEAR ZERO II』は、そんなピースが己の技量を総動員した究極のノワール作品と言えます。その刊行を機に、デイヴィッド・ピース氏にインタビューを行ないました。 占領都市 TOKYO YEAR ZERO II 作者: デイヴィッドピース,David Peace,酒井武志出版社/メーカー: 文藝春秋
分野問わずに遅くとも大学3年生の7月までには読むべき本。これを読んでおくとばらばらに学ぶであろうエントリーシート、小論文、卒業論文の作成技術を統合できる。 三森ゆりか著:大学生・社会人のための言語技術トレーニング 著者の三森ゆりかさんがつくば言語技術教育研究所で言語技術の普及を始めた背景が本書の「はじめに」に書いてある。 私は父の仕事の都合で、13歳から17歳までの4年間を当時の西ドイツの首都ボンで過ごしました。そこで、私は、各国の外交官や新聞記者の子弟の受け入れ指定校だったドイツの中高一貫校に入り、1年間外国人のためのドイツ語の授業を受けた後、年齢相応のドイツ人のクラスに放り込まれました。中学3年生のクラスでした。そこでの授業は全て議論中心で、議論後は必ず小論文の提出が義務付けられていました。私がまず直面した問題は、ある程度ドイツ語ができるようになっても、議論に参加できないことでした。
ブログタイトルの直下で「インターネット上で話題になっている事件を、理論とデータをもとに社会科学的に分析。」と称しているが、書いている[twitter:@uncorrelated]氏は、きちんと理論やデータを示していないことがよくある。特に日本の歴史認識問題において顕著な傾向だ。 たとえば金明秀教授を批判する最近のエントリもそうだ。 在日韓国・朝鮮人の歴史を粉飾したい金明秀 例えば『朝鮮学校「無償化」除外問題Q&A』の記述を見てみると、朝鮮学校の印象を良くしようと、真実に触れない作文になっている。 政府は戦後の混乱期に在日コリアンへの警戒心を強めたようで、1948年に入ると朝鮮学校を解体するべく様々な策を講じました。「阪神教育闘争」と呼ばれる激しい抵抗運動を暴力的に退け、ついに全校を強制的に閉鎖するところまで追い込みました。 金教授の書いた元ページを読むとわかるのだが*1、引用されている文章
会田誠さん(現代美術家) 65年生まれ。「会田誠展 天才でごめんなさい」が東京・六本木の森美術館で開催中。3月31日まで。=松本敏之撮影 ■芸術の核心を教えられた 『劇画における若者論』 [著]三島由紀夫 (『決定版 三島由紀夫全集36』に収録・新潮社・6090円) 高校1年の時、たまたま手に取ったエッセー集に、この一編が入っていました。三島由紀夫のことは「割腹した変な人」くらいにしか思っていませんでしたね。 でも、読んだらショックを受けました。あの手塚治虫の『火の鳥』を「日教組の御用漫画家になり果て」とこき下ろし、かわりに赤塚不二夫の『もーれつア太郎』を「このナンセンスは徹底的」と激賞しています。さらに「劇画ファンの若者の教養の不足を嘆く人たちは、自分たちが教養と信じてゐたものの、上げ底に巣喰(すく)つた蛆虫(うじむし)でもつくづく眺めてみるがいい」。しびれました。 手塚への批判は言い過
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abさんご [著]黒田夏子 〈読む〉とはどのような行為なのか? 画面をありのままに見ることの困難さを繰り返し述べてきた国際的な映画批評家・蓮實重彦氏が映画について述べたことは、文学にも当てはまる。我々は読んでいるつもりで何も読めていない。『abさんご』を読むとは、我々のまなざしが文字に触れることを妨げる思い込みから自由になることなのだ。 なるほど本書は日本語小説とは思えぬ佇(たたず)まいだ。芥川賞受賞作は横書きで、句読点ではなく、コンマとピリオドが使われる。頁(ページ)は左から右に読まれる。ただそのような形式的な面白さはこの小説の魅力のほんの一部でしかない。 スマホやネットの発達で文字が未曽有なほど日常に溢(あふ)れるいま、我々はなぜか言葉は透明だと疑いもしない。言葉(a)は物語内容(b)を運ぶ記号であり、これが気にならず、すっと読めるのがいい小説と思い込んではいないか。a=bの誘惑はかく
期せずして、同じ時、同じ場所に、同じレベルの才を持つ者が集まると、想像を絶する出来事が起こることもある。 1953年、3つの技術革命が始まった。熱核兵器、プログラム内蔵型コンピュータ、そして、生命体が自らの命令をDNAの鎖にどのように保存するかの解明である。これら3つの革命は相互に絡み合い、その後の世界を大きく変えることとなった。 とりわけそれ以前から密接に結びついていたのが、熱核兵器とプログラム内蔵型コンピュータである。かつて数学と物理が相互に進化を促しあったように、両者はがっちりと手を組み、怪物のようなものをこの世に生み落としたのだ。 背景にあったのは、第二次世界大戦における反ナチスおよび、その後の冷戦構造による人材の集結である。アインシュタイン、オッペンハイマー、ゲーデル、チューリング、ファインマン。これらの錚々たるメンバーが、人種や学問の壁を越え、プリンストンの高等研究所を中心とす
残念ながら技術までにはまとめきれなかった。 まとめ 完璧主義者だから質問しないのではなく、わからないという事実を悩んでいるだけで、何がわからないのかを考えていない(考えることができない)学生、別の言い方をすると「何がわからないか」がわからないをそのままにしておく学生もいる このような学生は、失敗を恐れない、意図的に質問をするように心がけても、質問はできない。理由は質問の内容がないから。 「何がわからないのか」を取り扱うステップは以下のとおり 自分が『考えている』のは、『何がわからないかわからないので困った』ということなのか、『何がわからないのか』なのかを区別する 何らかの方法を用いて自分の頭の中を可視化する 頭で考えるのでなく手で考えるということ 追記1:Togetter:私的メモ:「頭がよくなる『図解思考』の技術」の感想 追記2はてなブックマークのコメントにとても良い指摘があったので転
学会で、発表者が発表のはじめに「発表させていただきます」と言うのが我慢ならない、という論について。こういう論調は何度か耳にしたことがあるのですが、私はこの表現は問題ないのではないかと思います。 今回書こうと思った直接のきっかけは、こちらのツイートのRTを見たことです。 @kikumaco: うちの研究室では、特に生物系の学会発表等でよく見る「という題で××大学のが発表させていただきます」と言った学生はその時点で失格です。猛反省を促します。許しません 2013-01-27 20:21:10 viaTwitter foriPhone 誤解を防ぐために先に書いておきますが、「させていただきます」という表現を、「致します」と全く同じように使うのが誤用である、ということは知っています。ここで言いたいのは、それを知った上で、それでもなお学会発表は問題の無いケースなのではないか、ということです。 と
"61 essential postmodern reads: an annoteated list" というリストがLos Angels Timesのブログに掲載されていました。作成はCarolyn Kelloggさん。 あぁ……ポストモダン文学なんて言葉、久しぶりに聞いた気がするなぁ。20年前とは隔世の感があります。本当は、おいらこんな小説だけ読んで余生を過ごしたいんだけど…… このリストが面白いのは、各作品の「ポストモダン小説」属性まで掲載されていること。 ・作者が登場人物として登場する ・現実とフィクションの境界が曖昧 ・自己矛盾するプロット ・偽の歴史を扱っている ・形式との戯れ ・言語との戯れ ・他の文学作品へ過剰な参照 ・作品自身が書物であることへのコメント ・1000ページ以上ある ・200ページ以下 ・作中に別のフィクション(短編や手紙など)を含む ・ポストモダンの草分け
メールで情報をやり取りする際に面倒な点の1つは、前後の話のつながりを追いづらいことですよね。例えば Gmail のように、関連するメールをスレッド形式で表示するなどといった工夫もありますが、話の流れが複数に分散した時に把握しづらくなります。そこでIBMがこんなアイデアを考え出したとのこと: ■ Thread Arcs (visualcomplexity.com) 2003年発表とのことですから、既にご存知の方も多いかもしれません。個々のメールを「点」で示し、他のメールとの関連を「弧(arc)」で示す「スレッド円弧(Thread Arcs、スレッド・アーチと意訳した方がカッコいいかも)」というアイデア。中が塗りつぶされている点は他人のメールを示し、さらに色の違いで送信者などを表すようになっているそうです。より詳しい情報は、IBMの公式ページからどうぞ: ■ THREAD ARCS: An E
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