三種の神器―〈玉・鏡・剣〉が示す天皇の起源 [著]戸矢学 「三種の神器」について詳しく知る人は多くない。本書は、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の三種は、「日本文化の根源に存在する」との理解のもとに、記紀以前からの史実や語り継がれている内容、あるいは著者独自の分析などを織りまぜて説いていく。専門用語は多いにせよ、記述が平易なので、玉、鏡、剣の真の意味もわかる。 この「三種の神器」を制度として制定したのは天武天皇であり、「皇位の象徴」がここにあると知られるようになったのは、「天武朝の広報担当者が優秀」だったからとの指摘もある。記紀により公式に認定されたが、曲玉は宮中に、鏡と剣は宮の外に祀(まつ)られていることの公表など独自の演出もあったという。 「三種の神器」の思想は御霊信仰であり、この信仰では祟(たた)り神を「祀ることによって守護」となる
辛坊治郎が遭難した件。どうも彼は自己責任論者と見做されているようだけれども、明確なそれを示す話がない(イラク人質事件は微妙な模様)。 さて、こういう問題の時に、考えなければならないこと。愚行権に基づく(まあ愚行に限ったことではないが国民の)行動について、国家はコストを負担する。海難は基本無料だし、山岳の場合も民間が出動するに至らない(警察のみで完結する)場合は費用がかからない。これもある種の文化に対するコスト負担といっていいだろうけれども、危険なことを避けようとしている人から見ると納得感の少ない費用ではある。 だから「自己責任」なんだから助けなくていいよみたいな話出てくるんだけど、そういうわけにも行かない。こういう言い方するのもなんだが、一定量の愚行についてはそれを保証するのが社会のデザイン。大雨の日に河原でキャンプとか、アホかと言いたくなるようなことは沢山あるけれども、理由によらず救助が
■樋口陽一 東京大・東北大名誉教授 改憲発議要件を国会議員の3分の2から過半数に改めようとする安倍政権の憲法96条改正への反対を掲げ、アカデミズムを代表する学者らが「96条の会」を結成した。代表は東大・東北大名誉教授の樋口陽一(78)。憲法学の長老を駆り立てたものは何か、尋ねた。 ◇ 安倍晋三首相が、政権に就く前の昨年9月に講演でこう話したと報道されました。 「たった3分の1を超える反対で(改憲を)発議できないのはおかしい。そういう横柄な議員には選挙で退場してもらいたい」 憲法96条が国会に厳しい発議要件を課すのは、様々な意見をぶつけ合い、論点が煮詰まる過程を国民に示した上で、国民投票で誤りない判断をしてもらうためです。そもそも国会とは議論を尽くす所です。 だがそうした議会観に立たないことを「横柄」発言は映し出しています。 96条という外堀を埋めた後、憲法前文や各条文という内堀、立憲主義と
マックス・ウェーバーの日本 受容史の研究1905−1995 著者:ヴォルフガング・シュヴェントカー 出版社:みすず書房 ジャンル:社会・時事・政治・行政 マックス・ウェーバーの日本 [著]ヴォルフガング・シュヴェントカー本書は、日本のウェーバー研究の内容を、大正時代から現在にいたるまで詳細に検討するものである。実は、ウェーバーは日本で、ドイツで以上によく読まれてきた。にもかかわらず、日本人のウェーバー研究はドイツでほとんど知られていなかった。したがって、本書がドイツの読者にとって役立つことは当然であるが、日本人にとっても、いろいろと考えさせる事柄を含んでいる。 日本は、非西洋圏で唯一、近代資本主義国家となった。その理由を問うために、日本人は特に、ウェーバーの理論を必要としたといえる。しかし、ウェーバーが広く読まれるようになったのは、1930年代、天皇制ファシズムが席巻し、マルクス主義運動
バウアーの課題政治的解放の限界 福音書 「革命的実践を正しい関係の〜」についての解説 前日のつづき。 的場昭弘による「ユダヤ人問題によせて」解説編。訳と解説が交互するので、区別できるように、冒頭に[訳]と[解説]をつけました。 新訳 初期マルクス――「ユダヤ人問題に寄せて」「ヘーゲル法哲学批判‐序説」 作者: カール・マルクス,的場昭弘 出版社/メーカー: 作品社 発売日: 2013/02/28 メディア: 単行本 この商品を含むブログ (1件) を見る バウアーの課題 [訳] したがってバウアーは、一方でユダヤ人は国家市民として解放されるべく、人間はユダヤ教を、宗教一般をやめるべきだと主張しているわけである。他方でその結果的な形だが、彼にとって重要なことはもっぱら宗教をやめるために、宗教を政治的にやめることである。宗教が前提としている国家はもはや真の国家でも、現実の国家でもない。「当然
なぜ、マルクスは『資本論』を書かねばならなかったのか。 新訳「ユダヤ人問題に寄せて」 国家の宗教からの解放は、現実の人間を宗教から解放するということではない 自由という人権は政治的生活と闘争に入るや権利であることをやめる 的場昭弘による4ページ程の序文がえらくわかりやすいので、ほぼ丸ごと引用。 新訳 初期マルクス――「ユダヤ人問題に寄せて」「ヘーゲル法哲学批判‐序説」 作者: カール・マルクス,的場昭弘 出版社/メーカー: 作品社 発売日: 2013/02/28 メディア: 単行本 この商品を含むブログ (1件) を見る なぜ、マルクスは『資本論』を書かねばならなかったのか。 言い換えれば、なぜマルクスは経済学を批判しなければならなくなったのか。その謎はすべて、1844年『独仏年誌』に掲載された本書の二つの論文「ユダヤ人問題に寄せて」と「ヘーゲル法哲学批判――序説」にあるといってもよいだろ
「琉球民族独立総合研究学会」の設立を発表する研究者ら=15日午後1時すぎ、那覇市泉崎の県庁 琉球の島々に民族的ルーツを持つ人々が独立を目指し、学際的な調査研究を進める「琉球民族独立総合研究学会」が15日、設立された。学会設立準備委員会を務める研究者らが同日、那覇市の県庁で記者会見し、発表した。 委員らは米軍基地などを具体例に「沖縄で繰り広げられている問題を解決するには独立しかない」と指摘。「独自の民族として、平和に生きることができる『甘世』(あまゆー)を実現させたい」と話し、自己決定権を行使した基地のない島を目指し、担い手となる人々の参加を呼び掛けている。 沖縄の施政権が返還された「復帰」40年の昨年、宜野湾市の沖縄国際大学で「脱軍事基地、脱植民地化」をテーマにしたシンポジウムが開催されたことがきっかけ。日本国民などの多数派が琉球の方向性を一方的に決めている現状をあらためて確認し、参加して
中世における科学の基礎づけ 作者: エドワード・グラント,小林剛出版社/メーカー: 知泉書館発売日: 2007/01/25メディア: 単行本 クリック: 9回この商品を含むブログ (2件) を見る E・グラント『中世における科学の基礎づけ その宗教的、制度的、知的背景』小林剛訳、知泉書館、2007年、277–301ページ。 イスラム世界では1500年にいたるまで高い水準で精密科学と医学を発達させることができたのに、その後に西洋が初期近代に経験した科学革命を起こすことはできませんでした。逆に西洋世界は精密科学や医学や医学の水準ではイスラム世界にはるかに劣っていたのに、科学革命を経験しました。なぜでしょう?この問いにたいして著者は、イスラム世界が自然哲学抜きの精密科学と医学を促進したのにたいして、西洋は精密科学と医学の水準はたとえ低くとも自然哲学において高い水準に到達したことが、科学革命の有無
地図をつくった男たち―明治の地図の物語 [著]山岡光治 日本の近代地図の始まりは伊能忠敬の「大日本沿海輿地(よち)全図」いわゆる「伊能図」なのだが、これは大変精度の高い日本地図だと評価された一方、海岸線や主要な街道以外は、点検に用いた遠方の島や高山が描かれているだけで、内陸は埋められていない、とも言われた。つまり「測量しなかったところは、空白のままとした」のだ。 明治維新後の新政府は、欧米諸国に追いつくための改革を模索する中で、もっとも基本的な情報基盤である地図の脆弱(ぜいじゃく)さに直面し、国家の急務として「地図づくり」に取り組み始めた。 より正確な地図を作るためには優れた人材が欠かせない。緯度経度といった地球上の位置を正確に求める測量を日本で最初にした福田半(はん)をはじめ、伊能忠敬以来となる日本領土の実測図「小笠原嶋総図」の作成に活躍した小野友五郎、北海道最北端の聲問(こえとい)でも
記念碑に刻まれたドイツ―戦争・革命・統一 [著]松本彰 こつこつと自分の足で地道に歩いて調査し、記録したドイツとオーストリアの記念碑の数々。記念碑のカタログのようなたくさんの写真にまずは脱帽である。本書は記念碑という、わかりやすく目に見える建造物のあり方から、国家や地域社会が何を共同体の記憶として残そうとしているかを探る試みである。 ベルリンの壁崩壊後に旧東独地域でマルクスやレーニンの像が撤去されたり、通りや橋や広場の名前が変えられたりしたことは記憶に新しい。逆に、新しい記念碑もたくさん造られた。国家主導で記念碑が造られた時代を経て、現在は記念碑についての議論はより開かれたものとなっている。 自分たちは歴史とどう向き合おうとしているのか。本書はドイツ語圏のあり方を紹介するもので、日本との比較の視点があるわけではないが、一昨年の震災以降、地域に残すべきモニュメントが話題になっているなかで、ヒ
アメリカの越え方 和子・俊輔・良行の抵抗と越境 (現代社会学ライブラリー) 著者:吉見 俊哉 出版社:弘文堂 ジャンル:社会・時事・政治・行政アメリカの越え方―和子・俊輔・良行の抵抗と越境 [著]吉見俊哉 なぜ「アメリカを越える」ことが課題なのか? 東アジアにおいて戦前の日本の植民地主義が戦後、そっくりアメリカの覇権構造に引き継がれた点で、大日本帝国の崩壊と冷戦の激化のあいだには構造的な連続性があるからだ。終戦を迎えた日本と違い、アジアは日本の開国以前から戦後もずっと植民地支配、内戦、独裁といった“戦時”にあった。そういうねじれからアジアの未来を見通すことは、だから「アメリカを越える」ことと別でありえない。 問題に切り込むために採ったのは、鶴見という親米エリート一族に生まれた和子・俊輔の姉弟、従兄弟(いとこ)の良行の、三人三様の生涯をかけた思考の道筋を対置するという立体的な手法だ。成長期
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