松本清張の埋もれた短編発見 全集未収の初期作、北九州市の火野葦平資料館 2013年07月24日(最終更新 2013年07月24日 11時16分)小説春秋に掲載された「女に憑かれた男」「点と線」を連載していたころの松本清張(1957年撮影) 北九州市出身の作家、松本清張(1909~92)が雑誌に発表したものの、その後顧みられることなく、研究者の間でも存在が知られていなかった短編小説が見つかった。清張が専業作家になって間もない56(昭和31)年に書かれたミステリータッチの短編で、全集、年譜にも未収録で単行本化もされていなかった。 半世紀の時を経て“発見”されたのは、小説「女に憑(つ)かれた男」(400字詰め原稿用紙約30枚)。56年6月に刊行された月刊文芸誌「小説春秋」臨時増刊号に掲載されていた。年上の女性と心中を繰り返すが、生き残ってしまう男の転落の人生をミステリー風につづり、検事や警察官
「不良」とはまた聞き捨てならないセリフだ。いったい誰のことか。「生活者の哲学を練りあげた」鶴見俊輔、屈折したマルクス主義者にして前衛芸術運動の立役者のひとり花田清輝、はみ出し者に熱い視線を注いだ異端の作家きだみのる、そして、『砂の女』や『他人の顔』で名高い安部公房といった面々である。 では、なぜ彼らが「不良」なのか。著者いわく、彼らは「一つの立場に拘泥し、これに生命を賭ける、ということのばからしさをよく知っている」からだという。戦中から戦後の激動期、彼らは言論界の中心からややずれたところにあえて身を置き、革命や転覆、進化や超越というよりも、転向や転回、逸脱や倒錯、漂流や難破という思考と生の形式をむしろ自覚的に選び取った。著者の共感は彼らのそうした修辞と戦略に向けられる。直球型というより変化球型の書き手たちである。かくいう私も学生時代、花田の『復興期の精神』や『アヴァンギャルド芸術』を貪(む
ぼくらの文章教室 作者: 高橋源一郎出版社/メーカー: 朝日新聞出版発売日: 2013/04/05メディア: 単行本この商品を含むブログ (5件) を見る 内容紹介 どうすれば上手な文章を書けるようになるのだろうか。 そのためにはまず、自分の好きな文章たちを見つけること。 そしてその文章たちの中に入りこみ、 「びっくりしたり、感動したり、うろたえたりしているうちに、 ……『文章』の成分のようなものがしみついて」くると、 タカハシさんはいう。 たとえば、タカハシさんが好きなのは、明治から昭和にかけて生きた貧しい農婦である木村セン。 彼女は遺書を残そうとして文字の手習いをはじめた。 障子紙の切れっ端に色鉛筆で書かれたその文章は短く、 ことばにも文字にも誤りがあるのに、なぜか力強く響く。 これは「名文」以上の文章ではないか。 あるいは、免疫学者の故多田富雄さんの『残夢整理』の文章。 これは作者が
第七回歴史コミュニケーション研究会に出席した。 報告内容についてはこちらとかこちらで既に詳しい説明があがっているからいいとして、私が気になったのは第二部「さかのぼり世界史A」である。というのも、なんか普段文学や芝居、映画のナラティヴに触れている人にとっては「さかのぼり世界史」は本当はさかのぼってないんじゃないかという疑惑があり、実は初めての査読論文が小説をタイムラインに起こしてみるというものだった私にはなかなか気になるところで…と、いうわけで、独断と偏見で「時間が過去から未来に直線的に進まない作品のナラティヴ分類」を今後のためにやってみようと思う。こういう時系列の分析って読解テクニックとしてけっこう文学や映画の人は学校で習ったりふだんの経験で身につけたりするんだけど、いい参考文献見つからなかったので何も見ないで自分の手業で書いてるからちょっと不適切なところがあるかも…いい文献あったら誰かコ
写真家 井上青龍の時代 [著]太田順一大阪・釜ケ崎は日本有数のドヤ街として知られる。昭和30年代、幾度か暴動も起きた。当地の写真を撮ったことで名を馳(は)せた井上青龍の評伝である。周辺の人々への丁寧な取材と相まって、社会派カメラマンが生きた時代の匂いが濃厚に立ち上ってくる。 井上は高知の人。関西写真界のボス、岩宮武二に師事し、ドヤ街に住みつきながら写真を撮った。個展では「人間そのものが泣きたくなるほど好きになり、死んでしまいたいほど嫌いになる場所」という言葉を寄せている。「結局、釜ケ崎を変えることはできなかった」という言葉も残している。 「狼(おおかみ)が抜き身で歩いているような」男であったが、シャイで俳句に親しむ文学青年でもあった。釜ケ崎以降、テーマに行き詰まる。人間にレンズを向けるとはきつい行為である。とりわけドヤ街においては。長い空白はその“受傷”故でもあったのか。 旧式のボロカメ
5月末で閉館するホテル西洋銀座(東京都中央区)で、昭和62年の開館から26年間の歴史を振り返る写真約30点が、1日から31日まで展示される。 ホテル西洋銀座は「西洋スタイルの建物に、日本旅館のきめ細かなもてなしの心」を掲げ、宿泊客の相談に乗るコンシェルジュ、執事のように要望に応じるバトラーサービスなど、日本初のサービスを導入し、新しいホテルのスタイルを築いた。パティシエやソムリエなど多くの優秀な人材を輩出したことでも知られる。 約30点の写真は、開業時のスタッフや、客室、シェフソムリエだった田崎真也氏がソムリエコンクールで世界一になったとき、ワイン評論家のパーティで1人100万円で販売されたディナーなど。コメントも添えられ、正面玄関から階段、2階ロビーなどパブリックスペースに展示される。
リスクと向きあう [著]中西準子 /リスク化される身体 [著]美馬達哉 原発事故以降「放射線のリスク」が注目される。当然、それを減らしたいと願う。しかし、気をつけなければならないことがある。この世には様々なリスクがあり、あるものを抑え込むと「頭押さえりゃ尻上がる」的に別のリスクが増える性質(リスク・トレードオフ)があって、一筋縄にはいかないことだ。 『リスクと向きあう』の著者は、公害問題、とりわけ水の問題を通じてこの悩ましい現実に相対してきた。有害な化学物質を無くそうとすると別のリスクが顔を出す。殺菌で生じる発がん物質を嫌い水道水の殺菌をやめ80万人がコレラになった国がある。発がんも感染症も好ましくないが、どこかで妥協点を見つけなければならない。著者は「トレードオフ」の概念を日本に紹介し、質的に違うリスクをいかに「比べる」か現場で考え行動し続けた。原発事故を経た我々の社会で、彼女の経験と、
Geekなぺーじ:ブログ論 最近のブロガーってどこで運営ノウハウ習得しているんだろう? - 情報の海の漂流者 ブログの運営については何も知らない。 だが、“長文ブロガー道”や“ブロガー精神論”についてなら語れる。 『シロクマの屑籠』も今年で7年目を迎え、ブログはすっかり自分の生活の一部となった。書きたい時に書きたいことを書き、誰かに声を届けたくなったら躊躇せずトラックバック記事を書く――そういう素人ブロガーらしいブログライフを楽しめていると思う。 この7年間、欲望の赴くままに書いてきたから、俺はブログの運営なるものを知らない。マネジメントを欠いているからこそ、デフォルトのままのデザインで、記事の方向性も散らかっている。じゃあそれで損をしたかと言われたら、あまり損をしていないような気がする。自分が書きたいことだけに意識のリソースを集中させることが出来たという意味では、“下手の考え休むに似たり
教育ソリューション:授業で使うはてな本名はとりあえず明かさない。 先生や同級生の本名も明かさない。 あなたが渋谷のスクランブル交差点の中央で行って恥かしいことはネットでも行ってはいけない。 文章能力が上がるとは期待しない。文章は添削されなければうまくならない。自分の考えを文章に綴る練習であると割り切る。 スタイルや書き方は一貫していなくても良いのでとりあえず続ける。今日は武士語、明日はギャル語、あさっては英語でOK。 どうしても誰かを批判したくなったら、オフラインで批判する。ブログに書かない。 ネガティブな意見があったとしても、それは「あなた自身」に対するネガティブな意見ではなく、「書いた事柄」に対する意見なので理解したら流す。初めてのネガティブ意見は心臓を殴られたような気分になるが慣れると案外流せる。 怒りが頂点に達しているときは寝る。 悲しみが頂点に達しているときは書き綴る。そこから
「砂の女」などで知られる小説家で劇作家の安部公房が終戦直後の昭和21年秋、22歳で書いた未発表の短編小説が見つかったことが6日、分かった。北海道に住む安部の実弟、井村春光さんが自宅に保管していた。7日発売の文芸誌「新潮」12月号に全文が掲載される。 短編は「天使」という題で、A5判ノート19枚に黒インクで書かれていた。旧満州から日本への引き揚げ船内という過酷な環境下で執筆されたとみられ、安部の3作目の小説になる。左右の行を空け、横書きノートに縦書きしていくスタイルは初期の自筆原稿と同じで、安部の長女、安部ねりさん(58)が安部の青年期の筆跡であると確認した。保管していた井村さんは文学への関心が強く、安部が発表前の作品をよく見せていたという。 「天使」は、監禁されていた病棟を抜け出した「私」が主人公。通行人や看護人ら外界のすべてが天使に見え、自らをも天使と認識していく主人公の奇妙な一日が滑稽
Google を辞めてから、頭を冷やすためにゆっくり休んで、その間にいろいろ考えた。 辞めた時に勢いで書いた記事には「IME の会社を受けてみたい」と書いたけれど、それでいいのか確信もなかった。 だって、IME の会社というと、某国産 IME *1を作っている*2徳島の会社ってことになるんだけど、はっきり言うと…斜陽の匂いがするっていうか…。 一方で、ネットの日本語表記に対する違和感のようなものが、だんだんと自分の中でふくらんでいた。やたらと漢字が増えててムカツク…。 自分で N-gram かな漢字・漢字かな変換のような実験的なものは書いてみたけど、頑張って IME にしたところでATOK ほどの使い勝手にならないのはわかってるし…。 頭の中で、こうしたゴチャゴチャした思いが渦巻いていた。こういう時に行動を起こしても、いい結果にならない。Google に行ってしまったのは不幸なミスマッチ
三角コーンに擬態するヤドカリロボットを作ってみた【NT金沢】 先週末開催されたNT金沢にて、こんなものを持っていきました。 というわけで、#NT金沢 出展中です!今回の作品は「ヤドカリ・パイロン」。パイロンに擬態したヤドカリが、シャカシャカ歩き回ります。"つくる〜む海老名"ブースにて! pic.twitter.com/ZTTKCtSdKj— shikk…
2005-03-06 はじめに 2005-03-05 提案の目的 2005-03-07 必須ツール 2005-03-06 注意点 2005-03-11 多くのCSSは図書館方式で整理されている 2005-03-06図書館方式の例 2005-03-07図書館方式の利点 2005-03-11図書館方式の欠点 2005-03-04図書館方式の何が不満か 2005-03-06 プロパティ別整理法とは 2005-03-04 絶対規則 2005-03-04 推奨規則 2005-03-06 プロパティ別整理法の例 2005-03-11 プロパティ別整理法の利点 2005-03-04 プロパティ別整理法の欠点 2005-03-04 プロパティ別整理法に近い例 2005-03-04 機械との親和性 2005-03-04 Grep検索を活用する 2005-03-04 機械が完全に理解できる 2005-
上の図は、今年春(3月)の段階での女性ファッション誌のポジショニングマップです。 4年前にも、私は『日経エンタテインメント!』2004年9月号、三浦展著『かまやつ女の時代』、同『下流社会』のための調査で、女性ファッション誌のマップを創りました。それはここでも発表しましたが↓、その続編ということです。http://d.hatena.ne.jp/TRiCKFiSH/20041224/p2 今回の図は、先日発売された南田勝也・辻泉編『文化社会学の視座』(ミネルヴァ書房)に私が寄せた論文「差異化コミュニケーションはどこへ向かうのか」のために創ったものです。 4年前と違い、今回は網羅している世代の中心に雑誌のタイトル名を置きました。たとえば『CanCam』は「コンサバ→専業主婦」の23歳あたりに置かれていますが、実際の読者は10代後半から20代後半まで幅広いです。・追記:「『装苑』や『SPUR』や『
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「ブログが情報の探し方を変える」、Stuart Henshall氏というインタビュー記事。 ブログが従来のWebと異なるのは、第1に、毎日、容易に更新でき、同時にニュース・フィードも更新できる。第2に、ニュース・アグリゲーターを使ってRSSフィードを得ることができることです。 企業への新しいナレッジ・ツール導入のコンサルティングを行っているStuart Henshall氏に、SNSやブログといったツールの最新動向に関してインタビューした記事です。内容は平易で、もの凄く未来の話でもなく、現状を的確に捉えたものとなっていますので読みやすいです。 従来のウェブページとブログの違いを次のように説明しています。 キーとなる違いは、ブログは、ポストを書き、Webページを更新するという作業を非常に簡単に行える構造化されたフォーマットを持っているということです。 これは入門ブログマーケティングでシックス・
美術監督・小林七郎。その名が私の頭に刻まれたのは高校生の頃。「ルパン三世 カリオストロの城」「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を繰り返し見るうちに、その名に気づきました。そして「天使のた
わー、不快な本だなー。胸くそ悪い・オブ・ザ・イヤーに決定。 冒頭に著者が本書は、読む人にとっては不快な本である。 と断り書きしている通りだよ。 つれあいが新聞の書評欄か広告で見つけて、買ってきてぼくに読め読めと押しつけたものである。 ぼくはコミュニティや居場所を作り出すことは現代において社会運動の重要な機能であるとこの「紙屋研究所」でくり返しのべてきた。それは左翼運動にかかわる若い人たちとの交流の結果得たものだし、様々な読書体験を通じて得た結論でもあった。 ところが、本書では、「ピースボート」の乗船体験やそこでのアンケート・インタビューをもとにして、その結論を否定する。このサイトでいろいろ論じているような、あるいはぼくが読んできたような論者や運動関係者を俎上にあげ、批判し、サブタイトルにあるような「承認の共同体」というものは幻想なのだとして、社会運動への悲観を述べて終わるのだ(必ずしもそ
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