将軍の食事は毒見をするために20食作られた 八代将軍吉宗の時代には、将軍に出す食事を台所役人と呼ばれる総勢100人の男たちが作っていました。 その100人の男たちで作られた食事をたべるのは、将軍とその正室の2人だけです。 つまり、たった二人分の食事を作るためだけに、100人もの人間がかかわっていたということになります。 いったい、なぜ将軍の食事を作るために100人もの人間が必要とされたのでしょうか? 意外にも質素だった将軍の食事内容 将軍の食事がどんなに豪勢であったとしても、常識的にたった2人分の食事を作るのに100人の人間は必要ありません。 スポンサーリンク そもそも、私たちが想像するほどに江戸の将軍は贅沢な食事をしていたわけではありません。 将軍の食事は二汁五菜が基本だったといわれています。 つまり、汁物が2種類とその他のおかずが5種類ということになります。 現代のわれわれの食事とくら
池波正太郎も、東京の下町洋食の代表例として、ハンバーグではなくメンチボールをあげています。 池波正太郎『むかしの味』池波正太郎が下町洋食の代表として例示したチキンライスは、カレーライスとともにイギリスから渡来した料理。 パン粉揚げのカツレツもイギリス料理。ポテトコロッケも、元々はフランス料理ですが、イギリス経由で渡来した料理です(なのでウスターソースをかける)。 詳しい理由については『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』を参照していただきたいのですが、日本においてまず普及した西洋料理は、イギリス料理だったのです。 ということは「メンチボール」もやはりイギリスからきた料理、と考えるべきかと思います。メンチはmince、ボールはballという英語を語源としていますし。 実際の所、19世紀のイギリス都市部の中流家庭料理においては、挽肉をボール状にして食べることが習慣化していました。ただし、名前

かつてアメリカの国民食であったハンバーグ・ステーキとホットドッグ。しかしながら現在では、その地位をハンバーガーとピザにゆずってしまいました。 ハンバーグ・ステーキからハンバーガーへ、ホットドッグからピザへの主役交代は、1980年代以降に起こった現象と思われます。 1968年から77年にかけて、アメリカの食生活と健康問題を検討する上院特別委員会United States Senate Select Committee on Nutrition and Human Needsが開かれました。 委員会が当初問題としたのは、貧しい人々の不十分な栄養摂取問題でしたが、1970年代後半になるとむしろ、過剰な栄養摂取による健康問題に焦点が当たるようになります。肥満による慢性疾患が問題となったのです。 この上院特別委員会の報告は、主導した上院議員マクガバンにちなんで、マクガバン・レポートという名で日本で有

日本の国民的洋食ハンバーグは、アメリカにその起源があります。アメリカにおいてもかつては、国民食といえるほどにハンバーグ・ステーキが愛されていたのです。 カメラマンの名取洋之助は、1936年にフォーチュン誌の企画でアメリカ横断撮影旅行に挑みます。その道中の食事は“普段はだいたいハンバーグ・ステーキかホットドッグ”というものでした(『アサヒカメラ』1950年9月号所収「アメリカ撮影旅行の思い出」名取洋之助)。 雑誌『主婦と生活』1950年9月号には、ハンバーグ・ステーキを頻繁に食べていたころのニューヨーク食事情がレポートされています。 “ニューヨークの人達は、今とてもハンバーグがお好き。例の挽肉のおだんごを、ジュッと燒いたもの” 「ほんとにアメリカ不思議なお国(その六)」 外交官の妻としてアメリカ滞在経験のある料理研究家・飯田深雪は、1960年の『世界の家庭料理 5』において、当時アメリカで人

防14の記載がある防衛食容器(うみねこ博物堂 所蔵品) 防衛食容器(ぼうえいしょくようき)とは(防衛食器[1][2]、防衛食[3]とも呼ばれる)、第二次世界大戦中の金属類回収令(金属供出)により、食料を貯蔵する缶詰の代用として作られた陶磁器製の「特許真空容器」[4][5]。大量に製造されたものの、中に入れる食糧が不足したため空の容器のみが大量に残ったといわれている[6][7]。容器の現物がそのままの姿あるいは破片や修復された姿のものが多く現存し、博物館などに収蔵されているほか、オークションに出品されるケースもある[7][8]。 容器に表記されていることから「防衛食」という語句は本稿で述べる容器を含んだものを指すこともあるが、もともと「防衛食」とは、戦時下での避難貯蔵食糧を指すことが主である[9]。 戦時中に書かれた資料によれば、炊事により敵機に存在を知られることなく、煙を出したり火をおこし
ふるたか @furutakatoyo 幕末に日本から遣欧使節団が派遣されたときに一行は欧州でとうとう醤油禁断症状のような事態に陥ったそうで 「ヨーロッパに醤油などあるはずもない」 と諦めていたところ、オランダで醤油を売っている店を見つけ大いに驚き買い込むことに成功 これははるばる日本から輸出されたものだったようです 2018-06-24 21:57:56 にいがたさくら@小話する人 @monkey_across 日本を代表する調味料·醤油は江戸時代、上方から江戸に大量輸送されていたことは有名な話だが、実は長崎を通して海外にも輸出されていた。 長崎から欧州へ輸出するのだが、木製の樽のままでは長時間の輸送中に劣化し、醤油本来の風味が失われるのが問題だった。 そこで開発されたのがコンプラ瓶だ。 pic.twitter.com/GTYW2Wr5Ct2022-07-10 12:24:50 にいがた

昭和時代から平成時代にかけて作られた、いわゆる「レトロ自販機」だとか「懐かし自販機」といった古い自動販売機を修理し、稼働させている神奈川県相模原市の「中古タイヤ市場」を訪ね、「うどんそば自動販売機」が稼働する様子を見せてもらうことになった。 想像以上におもしろかったので、皆様にお知らせします。 懐かしい自動販売機がめちゃくちゃあるぞ 相模原市の「中古タイヤ市場」にやってきた。 中古タイヤ市場 懐かしい自動販売機がずらりと並ぶので、ひとまず見てほしい。 古い自販機がどっさりある うどんそば自販機 うどんそば自販機。これを見たことがある人、そしてこの機械に懐かしさを感じる人はどれぐらいいるだろうか。 ぼくが子供のころ、今から40年ほど前に家族で大阪まで行くさいによく立ち寄った勝央サービスエリア(岡山県)にこの自販機が置いてあり、ぼくは必ずうどんをねだって買ってもらっていた。田舎の子供だったぼ
佐々木鏡石@『階段から突き落とした〜』コミカライズ配信中 @Kyouseki_Sasaki 今某所で、 「なろう系小説が中世ヨーロッパ風世界でフライドポテト作ってた! 中世では油は貴重品で容易に手に入るわけがない!」 という意見がありましたが、実はこれはまっっったくの誤りです。皆さんはこれからも遠慮なく異世界でフライドポテト作ってください。 理由は後述。→2022-04-09 18:20:39 佐々木鏡石@『階段から突き落とした〜』コミカライズ配信中 @Kyouseki_Sasaki 確かに中世では油が貴重品だったのは事実ですが、それは日本の場合です。日本は歴史的に精油技術が遅れており、庶民が気軽に油が買えるようになったのは江戸時代中期以降のことです。 なんで日本は精油技術が遅れたか? 答えは簡単。 オリーブの木がなかったからです。→2022-04-09 18:21:57 佐々木鏡石@

寒空の下、何千人もの人々がただビックマックのためだけに何時間も列をなしていたなんて、今では想像できないだろう。しかし1990年、初めてモスクワにマクドナルドが登場した時、街中はまさに熱狂したのだった。 1990年1月31日、ソ連にマクドナルド第1号店がオープンした。何千人ものモスクワ市民がこの新しいバーガーチェーンに押し寄せた。モスクワの中心部プーシキン広場に出来た列は数キロメートルにも及んだ。 アレクサンドル・ステシャノフ撮影/МАММ/MDF/russiainphoto.ru このロシアの首都の店舗は、オープン初日最多動員数を記録し、3万人以上の腹ぺこ達の腹を満たした。それまでの最多動員数記録はハンガリーの首都ブダベストの店舗で、9,100人だった。 モスクワ初の「マクドナルド」が開店した日の行列。 ウラジーミル・ヴャトキン撮影 / Sputnik あまりにも沢山の人が集まったため、騒

日本の獣肉食の歴史(にほんのじゅうにくしょくのれきし)では、日本(大和民族)における獣肉食の歴史について述べる。 1900年代の横浜、貝類や山鯨を売る店 日本では古来、食用の家畜を育てる習慣が少なく、主に狩猟で得たシカやイノシシの肉を食していた。仏教伝来以降は、獣肉全般が敬遠されるようになっていったが、日本人の間で全く食べられなくなったという時期は見られない。獣肉食に関する嫌悪感も時代とともに変わっていったが、おおむね、狩猟で得た獣肉は良いが家畜を殺した獣肉は禁忌、そして足が多いほど禁忌(哺乳類>鳥>魚)と考えられることが多かった(タコ・イカは毛が生えていない小型海産動物の魚介類とみなし例外)。江戸時代以降、魚肉より獣肉消費量が上回るのは第二次世界大戦後の高度成長期以後のことである。 鯨の骨で作られたとされる縄文時代の鍬(北海道室蘭市絵鞆半島出土、東京国立博物館蔵) 鹿の骨の装身具(東名遺

象のうち1頭が射殺された場面、1870年12月 カストルとポルックス(Castor and Pollux、生年不明 - 1870年12月)は、フランス・パリ市西側に位置するブローニュの森の北側にある遊園地のアクリマタシオン公園もしくはセーヌ川の畔にあるパリ植物園で飼育されていた2頭の象である[1]。 2頭は1870年の普仏戦争によるパリ包囲の間に、動物園で飼育されていた他の沢山の生き物たちとともに殺されて、パリの市民たちの食糧にされてしまった。 1870年のクリスマスディナーのメニュー。外国産動物の料理が並んでいる カストルとポルックスの2頭は、兄弟の象と推定されている。普仏戦争が勃発する前には、2頭は背中に人々を乗せて園内を散策することで人気を博していた。しかし、プロイセン王国の軍勢がパリ市を包囲すると、早晩パリの市民たちは食糧の窮乏状態に陥ってしまい、象や他の動物たちを殺して食糧に充て

まとめ 炊飯器だけで簡単!モロコシ飯のレシピ「焼きおにぎりなどアレンジもおいしい」 作って食べるためにまとめました。炊飯器だけで作れるところもグッド。 14293 pv 100 71 5 users 288 きなこ @3h4m1 数日前実家の98歳の祖母に「とうもろこしご飯を作ったら息子が思いの外よく食べる」という話をしたら今日 「農家を実家に持っているのに代用食を長男や夫にたべさせるなんて申し訳ない」 という達筆の手紙と共に米30kgが送られて来た。祖母の戦争が未だ終わってない、切ない。 2017-07-03 17:38:56 きなこ @3h4m1 @ttagu0x0 祖母は戦中疎開して来た親戚縁者を食べさせるのに大層苦労したようで、今のとうもろこしご飯はバターもはいって美味しいのよ!と言っても「きなこちゃんごめんなぁ、ばあちゃんに言ってくれたら..」しょんぼりしていて切ないです。違うね

『軍隊調理法』(ぐんたいちょうりほう)は、大日本帝国陸軍が昭和期に編纂・発行した料理の基礎と献立をまとめたレシピ集。本稿では明治期に編纂された、『軍隊調理法』の前身である『軍隊料理法』(ぐんたいりょうりほう)および、兵食(へいしょく)と称される「軍隊料理」こと「帝国陸軍の食事(「日本陸軍の食事」)」自体についても詳述する。 なお、本書は主に兵営や駐屯地において調理される兵食のレシピであり、乾パン・缶詰肉(大和煮など)・乾燥食品・粉末調味料などといった演習地や戦地でも前線で食される野戦糧食(戦用糧食・携帯口糧・レーション)については別に開発・供給されている[1]。 厳しい軍隊生活において、日々の食事は給養のみならず士気の観点からも重要であった。そのため帝国陸海軍の兵食には、戦前の日本人が慣れ親しんでいた食物のみならず、パン食・洋食・肉食を積極的に取り入れたメニュー、おやつ(デザート)といった
イギリス料理がマズいのにはちゃんと理由がある 「イギリスで食えるものは、イングリッシュ・ブレックファーストくらい」 というのは、世界中の人が知ってる有名なステレオタイプです。 「最高の人生と最悪の人生」のジョークに使われたりもしてます。 最高の人生とは、アメリカ人の給料をもらい、イギリス人の家に住み、日本人の嫁を娶り、中国人のコックを雇うこと 最悪の人生とは、中国人の給料をもらい、日本人の家に住み、アメリカ人の嫁を娶り、イギリス人のコックを雇うこと 最近は外国の料理を取り入れたブリティッシュ・フュージョン・スタイルが人気で、食通の舌を唸らす品質の高いレストランも多く出てきており、ロンドンは他のヨーロッパ諸都市にも劣らないグルメ都市に生まれ変わろうとしています。もはやイギリス料理がマズいのは過去の時代の話である、と。 ただそれもやっぱり、「イギリス料理がマズい」という前提があるから成り立つの

「ケーキを食べればいいじゃない」(ケーキをたべればいいじゃない)とは、フランス語による「Qu'ils mangent de la brioche(訳:ブリオッシュを食べればいいじゃない)」を踏まえた英語の慣用句「Let them eat cake」の日本語訳である。 日本語訳としては、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」のフレーズでも広く知られる。 ジャン=バティスト・シメオン・シャルダンの「ブリオッシュのある静物」 原典は、フランスで発表されたジャン=ジャック・ルソーの自伝『告白』とされ、原語における「Qu'ils mangent de la brioche(訳:ブリオッシュを食べればいいじゃない)」のフレーズが6巻に登場する。この発言は、「une grande princesse(訳:あるたいへんに身分の高い女性)」が、農民の主食であったパン不足を知らされた際の台詞である(後
ライブドアニュース @livedoornews 【戦後70年】旧日本海軍の缶詰17個を小豆島で発見…中には「赤飯」 news.livedoor.com/article/detail… 太平洋戦争中、食糧の調達部に所属していた人が、海軍の様子を知ってもらおうと家族に持ち帰った物資のひとつという。 pic.twitter.com/ZLDtx2mw4O 2015-07-31 11:22:08 リンク 産経WEST 【戦後70年】71年前の旧日本海軍の缶詰、中身は「赤飯」だった 小豆島で17個見つかる香川県土庄町のアートギャラリー「MeiPAM」(磯田周佑代表)の施設から、木箱に入った旧日本海軍の缶詰計17個が見つかり、30日、同ギャラリーのスタッフが公表し… 2 users 884 “香川県土庄町のアートギャラリー「MeiPAM」(磯田周佑代表)の施設から、木箱に入った旧日本海軍の缶詰計17個

豚肉、牛肉、鶏肉。食卓に並べられる食用の家畜の肉。人間は過去数百年・数千年にわたり、動物を食用として飼育し、育ててきた。 古い時代には飼育した家畜は貨幣と同じような価値があった。そこまでは知っている人も多いと思うが、その起源まではわかる人は少ないと思う。 ここでは、海外で良く食されている食肉動物がどのような経緯で誕生したのか、その歴史を見ていくことにしよう。 10. ウサギ この画像を大きなサイズで見る 欧州、中国、南米、北米、中東の一部の地域で食されているウサギだが、かつてブリーダーたちは、ウサギを何にでも使える「マルチ動物」として育て上げようとしてきた歴史がある。 現在最も食用として流通しているウサギはニュージーランド白ウサギだ。名前にニュージーランドとあっても、飼育されているのはアメリカだ。 このウサギがどうやって誕生したのかは諸説あるが、カリフォルニア州のブリーダー「W.S.プリシ

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