……としか思えなくなってしまった。 酷く精神が乱れているのとこういった文章を書くのは初めてであるため、読み辛い点が多々あると思う。 私は所謂「頭のいい」子供だった。 小学生の頃から、教員に「賢い」子供として扱われ、旧帝大とはいかないがそこそこ名の知れた大学へ行きそこそこ良い成績を収めた。 これらは田舎から都会の学校へ行かせてくれ、一人暮らしの諸費用も捻出してくれ、塾・習い事・資格習得・留学等、私のやりたいことを全てさせてくれた両親のお陰であった。 「良い企業に入って、両親に恩返しをしたい」と私は強く思っていたし、学歴的にもそれが可能だと思っていた。 しかし、全然ダメだったのだ。就活が。最強の新卒カードを持っていた筈なのに。コロナなんて影も形もなく売り手市場であったのに。履歴書と試験だけの一次には受かる。しかしその先が全然進まない。面白いくらいに落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる!!!!!

大学生の就職のあり方について議論している日本学術会議の分科会は、新卒でなければ正社員になりにくい現状に「卒業後、最低3年間は(企業の)門戸が開かれるべきだ」とする報告書案をまとめた。最終報告書は近く、文部科学省に提出される。同会議は、今の就職活動が、学生の教育研究に影響しているとして、新しい採用方法の提案などで大学教育の質についての検討にもつなげたい考えだ。 日本学術会議は、国内の人文社会・自然科学者の代表機関で、文科省の依頼を受けて話し合っている。報告書をもとに同省は議論に入る。 今回、就職にかんする報告書案をつくったのは「大学と職業との接続検討分科会」で、就職活動早期化で、大学4年間で学ぶ時間を確保できにくくなっている弊害などが出ていることから、対策を考えてきた。 日本の企業は、大企業を中心に、新卒者を採用する傾向が強い。中途採用はあるものの枠は狭く、希望の企業に採用されなかった
報道の考え方として古臭いと思うのは、この世の中に報道を行なう者とそうでない者の境界線を明瞭に引けるとしている点です。これは考え方としてカビが生えるほど古いと思っています。 かつてはそういう時代もありました。それは報道を行なうには巨大なツールを必要としたからです。新聞と言う報道では、新聞を印刷する輪転機やこれを配送するシステムが必要であり、これを個人の趣味で整えるのは事実上不可能です。またテレビも収録放映のための設備が必要であり、さらに電波を発信するにも国家の難しい許可を必要とします。ラジオや雑誌もまた似たようなものです。 不特定多数に情報を発信するには個人では手軽に準備できない巨大なツールが必要であり、その結果としてそういうツールを所有ないし利用できる組織に属するものが報道に携わる者とされ、それ以外の人間と境界線を引く事は概念上可能だったと思います。個人の能力の部分もありますが、実質のとこ
医師不足を解消するため、医学部定員の増加が必要とされているが、設備や教員の拡充がままならないため、すぐに定員を増やすことはできない。しかし、今すぐ、養成医師数を増やす方法がある。それは、医学部を廃止することである。 医師国家試験で問われる水準の医学知識は、高卒程度の基礎知識があれば、独学で習得可能である。学校教育は要らない。「国家試験は必要最小限度の知識であって、医学部の教育目標は、それよりも、ずっと上にある」と医学部教員は言うだろうが、実際には、医学部を卒業するのに必要なものは、国家試験程度の知識だけである。それだけが、医学部卒業者の品質保証となっている。 実技教育は、ほとんど行われていない。OSCEは落ちる人のいない試験である。臨床実習の実態は職場見学である。それは必要なことではあるが、医学部でなければできないということはない。つまり、医師国家試験があれば、医学部など必要ないのである。

サウジアラビア「東京人の民度は素晴らしい。落ちてる財布を交番に届けた!」 大阪じゃなくてよかった〜 (名無しクオリティ)
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