バラカン こんにちは。ピーター・バラカンと申します。(拍手)テレビやラジオの仕事をしていると,いろいろと取材を受けることがあるのですが,いつも聞かれる質問があるんです。これは,そもそもなぜ日本に興味を持ったかということです。僕は日本語をロンドン大学で18歳から勉強していたのですが,なぜ日本に興味を持ったかというのは,それは正当な質問だと思うんですが,僕の場合は特に興味を持っていたわけではなくて,非常に不純な動機から大学に入った人間なんです。18歳で就職したくないという気持ちがまずあって,その代わりに何をすればいいかというと,大学に入るぐらいしかないんです。当時のイギリスでは,授業料を払わなくても,よほどの金持ちの家庭でなければただで大学に行けたので,特に罪悪感もなかったんですが,では大学で何を学ぶかというのはかなり悩んだものです。11歳から学校でラテン語と古代ギリシャ語をずっとやって
今私が非常に面白がっている人物で宇野常寛さんという人がいます。この人はネット上でサブカルチャーへの評論を展開し、その文章を買われて(?)ライターとしての活動を開始、現在はSFマガジンという雑誌で評論「ゼロ年代の想像力」を連載しており、オタク評論の新たな地平を切り開いた巨人・東浩紀と敵対したり、一緒に酒を飲んだりしています。要は上の世代にもある程度期待されている新進気鋭の評論家さんです。その主張は苛烈で痛快です。「評論の世界は十年遅れている」と言い放ち、その十年を取り戻す作業が自分の仕事だと宣言しています。上の世代の評論家はすべて「現状認識できていないノスタルジー中年でもはや害悪」、萌えに耽溺するオタクは「『酸っぱい葡萄』状態のどうしようもない奴ら」と無手勝流の撫で斬りで片っ端から斬り捨てます。この人の活動の遍歴をまとめてみると面白いのでは? と思いこの記事を書いてみました。 高校生時代北海
松浦武四郎は「北海道」の名付け親である。1844年から6回蝦夷地に渡っている。そして蝦夷地の詳細な調査を行い、その中で和人によるアイヌへの残虐行為を告発したことで知られる。 水戸藩のバックアップがあったこともあり、いわゆる「勤王の志士」扱いをされることもあるが、明治維新の時に就任した開拓大主典に就任し「蝦夷地」を「北海道」に変えたことで知られるが、わずか半年で辞任した。開拓使がアイヌの生活基盤を破壊した場所請負制を継続したことに抗議したためとされる。 松浦武四郎の評価も時代に翻弄された。明治時代前半には評価されなかった。一つには彼の実地調査には過ちが多かった、ということも事情の一つだが、彼のアイヌに対する和人の残虐行為の告発があまりに生々しく、実際にアイヌへの残虐行為に携わった人々がまだ存命で、しかも彼らがそこで得た資金を元手に社会の中枢に昇っていたことも関係していたと思われる。 関係者が
最近、ある人に振られた。 こう書くと、いつもの冴えない(?)恋愛話を期待する人がいるかもしれないけど、そうではなくて。 僕が振られたのは、ある著者である。 このブログをよく読んでくれる人はご存知だと思うけど、僕の本業は「ビジネス書」の編集者だ。 ビジネスマン(&ウーマン)対象の本を作るのが仕事だから、折を見ては、コンサルタントやら企業の社長、各種士業の先生に本を書いてくれと頼みに行く。 けれど、僕が最近振られた著者は、そういった職業の人ではなく、まったく異分野の人である。 いままでビジネス書など書かなかった人なのだけど、彼の専門分野の話はビジネスにも生かせるところが多い、とふんで会いに行ったのだ。 彼が指定した喫茶店で、いくらかの世間話と専門分野の話を聞いた。 その話はめっぽう面白くて、またビジネス書としても全然いけそうで、僕は最後に、今日聞いたような話を、ぜひビジネス書として作らせてほし

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