そんな事より「俺はこれからnoteで書くぞ」などとnoteでの更新をスッカリサッパリ忘れるくらい前に偉そうに告知していた私が何故またここはてなで書いているのか。それからまず話さねばならないだろう。 理由は簡単である。老衰による忘却、いわゆる「ボケ」が始まっている。パスワードはおろかIDすら思い出せない。私のウェブログがどこにあるかも分からない。「母さん、俺のウェブログどこにいったか知らないか?」と奥さんに聞こうにも私がインターネッツで嫌味を垂れ流している事など知らぬ奥さんにはそんな事は聞けない。 しかしながら我らがはてな、アプリを消していたにも関わらず再インストゥール、何の入力をせずともアプリをタップすればいきなりのログイン、即ログイン、え?こんな世の中でセキュリティ的なものは大丈夫そ?的なログインであったので久しぶりにここで書いている。noteの事はもう忘れよう。ウェブログのタイトルす
今年は桜を満喫しました。といっても家の近所と電車で1時間ほどの公園なのですが。 わたしはいま、数十年ぶりに車を運転しています。若い頃に免許をとったものの数回乗っただけで乗らなくなりました。 事故を起こしたわけではありません。 免許を取得するのに人の倍くらいの時間がかかり、自分は運転が下手だ。向いていない。人身事故を起こしたら取り返しがつかない。と怯え尻込みしていました。 情けない、申し訳ないと思いながらも、家族や友人が運転してくれるのに甘え、もっぱら乗せてもらうばかりでした。 しかし家族も年をとり、わたしも年をとり、運転しなければいろんなことが立ち行かなくなる気配がしてきました。家族からの要請を受け、一念発起して昨年冬にペーパードライバー講習に通いました。 車の基本操作をすっかり忘れているし、車幅の感覚がなかなかつかめず、スピードも恐ろしく、時間をかけて教習所内と路上の講習を受けました。
お久しぶりです。 ログインの仕方を忘れてしまって気が付いたら一年近く放置してたけど アタシは元気です。 ここ一年で色んなことが荒らしのように変わって 今まで頑なに守っていたものが実はどうでもいいことだったのを知る一年でした。 おちびを養うため、そして自分のちっぽけなプライドを満たすため おっさんのように仕事してきたけど、彼とおちびと三人の家族として暮らして アタシ、当たり前の事にやっと気付いたの。 美味しいご飯、くだらない笑い、自分達の想いを込めて創った家、そのなかでの 暖かい家族の笑い声やそれぞれの好きな時間の使い方をみな、尊重しあう暮らし。 もっとね、暮らしと向き合って生きて行きたいと思ったわ。 だからアタシ、仕事辞めることにしたの。 今は後輩の育成をさせてもらってるけど、もういいかなって。 大きな仕事も楽しいけど、もういいかなって。 夫と子供とアタシの時間を大切にしようと思うの。 久
ブクマカなんてとんでもない個性の塊をさらけ出せばいいのに何を我慢してんだよ
例の如く、既にelveさんがレポを書いてくれてます。いつも早くて凄い! マリさんとデート - スナックelve本店 考えてみたら、今回のショッピングデートは私から誘ったんですよ。にも関わらず私は1枚も買わなかった。elveさんの買い物を一緒に見ている気分になっていた。ごめんelveさん(´;ω;`) 更に誘った癖して体調崩して1週間遅らせてもらうというね…マジで体調に自信がない。 それはさておき。 最初はルミネエストに行こうと誘ったんですが、自分の記憶を掘り起こしている内に「ルミネの方が対象年齢が高いのでは?!」と思ってルミネに行く事を提案したんですけど、実際にはあまり変わらなかったかもしれない…。 ルミネにテナントを構えてるショップは何処もお洒落で素敵な洋服ばかり揃えていて、何処をどう歩いても素敵な服に当たるみたいな状態だったのですが、何せお値段もそれなりな訳ですよ(;´д`)「素敵!
こんにちは、ARuFaです。 突然ですが皆さん、アニメは好きですか? 僕は好きです。 今や立派なジャパニーズカルチャーとなったアニメ。僕は毎晩テキーラを飲みながらアニメを視聴し、笑顔のまま気絶して朝を迎えるという素敵な日々を過ごしております。 ……さて、そんなアニメ好きな僕には、どうしても叶えたい夢があるのです。 それがこちら…… 自分もアニメキャラになりたい! そう、ヒーロー好きの子ども達がヒーローに憧れるように、アニメ好きな僕は、アニメキャラになりたくて仕方がないのです。 ……とはいえ現実的な話、立体的な一般人である僕がアニメキャラになることは非常に難しいでしょう。 しかし、どうしてもアニメキャラに近付きたい僕は、ある日ふと、こんなことを思いました。 じゃあ自分のキャラソンが欲しい! キャラソンというのは『キャラクターソング』の略であり、アニメキャラ一人ひとりのテーマソングのようなもの
私は知る人ぞ知る天邪鬼である。若い頃からだ。パンクバンドをやっていた頃も「このバンド知ってる?え?知らないの?」やら「このバンドはあれに影響受けてるよね。聞いてないの?」やら「パンクやるならこれ聞かないとダメでしょ!」みたいな事を言う奴に関しては「俺はパンクあんま好きちゃうねん」と言っていたし「いつも何聴いてるの?」と聞かれたら「中森明菜とか小泉今日子」と答えていた。これは嘘ではなく本当に聴いていたのである。何かの音楽雑誌のインタビューで読んだのだが、ギタリストのCharが「昔のプロってコードとか理論とか当たり前に知ってたけどね。最近はそういうの無いよね。」みたいな事言ってて私は「ふ〜ん、そうか。じゃあ昔の歌謡曲をちょっと掘り返して聴いてみよう。」と思ったのである。 山口百恵やらキャンディーズ、ショーグン、松田聖子やら中森明菜を改めてバンドとして聴いてみるとかなり面白い。うわ!このベースラ
人それぞれ仕事について色んな悩みや苦しみがある。バカプップの私ですらある。しかしながら実際本当に悩んでいるのかと聞かれれば「悩んでない」と答えるだろう。悩んでどうにかなるのなら悩まずともどうにかなるし、どうにもならないものは今現在自分にどうにかする力を持っていないんだから、何をどうしたってどうにもならないのだ。ではそれを切り捨てれば良い。ポイントは「早目に」だ。悩む人間は大抵「出来るはずなのに出来そうにない」か「出来るのにやってない」か「出来ると言った手前今更出来ないと言えない」とそんなところだろう。自分は出来るはずだというのはただの「驕り」である。まず何でもやってみるのは良いことだ。しかし必ずすぐ気付くはずである。「出来ない」と。その出来ない状態を変に悩んで引っ張るから疲弊し苦しむのである。何故引っ張るのか。驕りだ。プライドだ。出来ないであったり、ヤバい出来るけど時間がかかるといった場合
ズバリ、夜のフィットネスクラブだ。夕方じゃねえぞ。20時~23時くらいの時間帯だ。私は仕事の時間がバラバラなのでいつもその時間に筋トレに行くんだが、それはもう30代~50代の男女がネチャネチャイチャイチャしている。お前何しに来てんの?ってくらいマシンに肘を置いてオッサンと女の人が喋ってる。私は相も変わらず不機嫌な顔をして「どいてもらえませんかね」的な感じでマシンにドカと座る。決してモテないから拗ねてるんだろこのデブみたいに思わないように。モテないけど。お前が通っているフィットネスクラブだけだよバーカと言われそうだが、私はフィットネスクラブを2~3回変えているが何れもそういった雰囲気がある。そして私は仕事柄フィットネスクラブに出入りしており、そういった泥沼系の話をスタッフからよく聞く。当たり前だが真面目に筋トレしている人も勿論沢山いるので出会い系の場所と勘違いしないように。私の通う施設では半
ボーっとTwitterを眺めてるとフェミニストが「貴様のような奴はフェミニストなんかじゃない」とフェミニストを叩いていた。違う方向を向くと煙草を辞めた奴らがそれは絶対悪だと、煙草より大麻の方が安全だと叫ぶ。また上を見上げると日本は終わりだこんな国は滅べばいいと自分では何もしないで手ぶらで歌う。バカバカしい。コイツらは何をもってこんな事をいつも偉そうに吐き続けてんだろ。自分が知らずに掛けている他人への迷惑には気付きもせずに。私は咳込んで嘔吐きながら「何でこんなもん吸ってんだろ」と思いながらいつも煙草の煙を見つめている。他人の意見なんてどうでもいい。誰かがそうだから、世の中がそうだから、こうやって言えばこう見えるからなんてどうでもいい。クソだ。私は自分が思うように生きて迷惑かけてやる。しかしそれだけじゃ脳が無いじゃないか。だから私は迷惑かける以上の良いこともやってやる。文句と能書きばかり垂れて
妻が愛してやまない私の身体の部位がある。表題にもあるように「手」である。別に白魚のように綺麗なわけでも美しいわけでもない。太くて短い指、マメだらけの掌、所謂ゴツゴツとした工事屋の「手」である。ゴリラである。ブタゴリラである。特徴を一つ挙げるならば、私の「手」は異常にデカい。身長は177なのでそれほど高くは無いが、私より大きな手をあまり見たことがない。妻はその大きな私の手を溺愛しているのだ。手フェチであればもっと綺麗な手を好むはずだが、先ほど述べたように私の手は不細工甚だしい。何故にそれほど溺愛しているのか。私の大きな手は妻の頭をすっぽりと包む事が出来る。妻の大好物、それはヘッドスパである。大きな手のひらと握力、そして天才的な私のマッサージセンスによるヘッドスパは妻を楽園へ連れ去る。では方法を説明しよう。その儀式の舞台はお風呂である。妻が前に座り私は後ろからまずシャンプー。頭皮を洗いながら程
あっちを見ても山口、こっちを見ても山口と最近は山口ネタで溢れかえっている。トゥウィッターではフェミニスト達がリトゥウィートという拡声器を使いながら声高にアジテーションを飛ばす。オッサンのくせに。失せろオッサン。オッサン死ね。まぁあんな事をしでかしたのなら言われても仕方あるまい。被害を受けたJKを悪者にするような発言もあるようだがそんなバカな話はない。失せろオッサン。そんな事を言い放つオッサンは消えろ。私も同じ思いである。私は若くありたいと思ったことがない。太っているのは健康に良くないから痩せないとなぁとは思うが、若い格好をしたりとか若く見られたいとは全く思わない。私は若い頃から早くオッサンになりたかった。今はどこからどう見ても醜く太った薄らハゲの立派なオッサン。満足である。スリーピースのスーツを着てダレスバッグを片手にオールバックで顔は笑いジワだらけ。全くと言っていい程に女性は寄り付かない
先日、不機嫌な私の機嫌を取ろうとしたのか何なのか、急にルイが「シルク・ド・ソレイユ観に行く?」と聞いてきました。 私はシルク・ド・ソレイユは初体験。元々ミュージカルや舞台等は好きなので「行く」と即答。「SS席にしてね」と注文をつけ、5/1の平日昼間に観に行ってきました。 遠くから撮って近くで撮り忘れた外観。 座席にて飲食が可能です。 知らない人が写り込んでいるのでモザイク掛けました。人が凄く多いので、誰の顔も写らない様に撮影するのは無理。私達は何も購入せず、手持ちのペットボトルのみで着席。 物販もあり。 私達は(ry 面倒臭がり(私)と手荷物大嫌い(ルイ)で出掛けると大抵何も買いません。 「これは撮影スポットなのでは?!」と思って撮りましたけど、普通に宣伝ですよね。まぁ良いか。 開演前から舞台の上では細かい演出が行われており、徐々に気持ちが高まります。 私が29歳の頃(11年位前)、当時の
我々男どもは何故ゆえに女があれ程「嫌悪」している「頭ポンポン」を「良」としているのか。昨今では「イケメンでも無理」と言ってる人を多数見聞きする。そもそもこの「頭ポンポン」は効果的なのであろうか。もっと言えばその効果、何を期待して「頭ポンポン」するのか。私はよく知らない人の頭に触るなどは失礼極まりないと思っているのでやった事はもちろん無いが、これを「良」とする男達は何をもって「良」としているのだろうか。何を見たんだろう。小栗旬やら玉木宏あたりか。玉置宏なら逆に許される気がする。この「頭ポンポン」や「頭ワシャワシャ」について、自分に置き換えると分かるのだが私のようなハゲを巧みにスプレーやワックスで隠す髪型をしていると「頭ポンポン」若しくは「頭ワシャワシャ」をされたらまずぶん殴るだろう。何時間かかると思ってるんだ。トップはもちろんの事、不自然さが無いようにサイドにも気を遣い、前髪は自然な立ち上が
ウチのチビは5歳の男の子。すんげえ甘えたで、いつも私や奥さんにべったりである。パパは平日ほとんど家にいないので休日は「パパ!パパ!」と、あれ見ろこれ見ろ、これはこうやるんだぞ、仮面ライダーはどれだけ強いのかなどを必死で私に説明してくる。しかしながら肝心な時はやはり母親である。たまに「友達とご飯行ってくるねー」と夜出掛けたりすると、私と二人で布団に入るわけだが「ママがいい」とポロポロと涙を流す。「たまにはママにも遊ぶ時間あげないとねー」なんて言いながらぎゅーっと抱きしめて二人で絵本を読む。2~3分で寝息をたてる息子の顔を見ながら、私はどんな息子だったんだろうかと思案する。 私は母親の事をずっと「お母ちゃん」と呼んでいた。周りを見渡すと皆「お母さん」であったが、「お母さん」なんて呼ぶのが何とも照れくさくて、中学に入るくらいまで「お母ちゃん」と呼んでいたのではなかろうか。よく覚えていない。いつの
ドイツはデュッセルドルフに引っ越してきて2週間経過。順風満帆です!とは言い難く・・・国内、海外限らず引っ越して新しい土地で新生活を始めるのは不便な点もたくさんあり、地味にストレスが蓄積されます。 土地勘がない これは仕方ない事なんですがストレス溜まります。私も夫もデュッセルドルフは初めてなのでどこに何があるのかさっぱりで・・・ 週末も連日デュッセルドルフブログや情報サイトを参考にしながら市内を探索しています。 ちょっとカフェや公園に行きたいと思ってもどこにどんなカフェや公園があるのかパッと思いつかず、スマホでグーグルマップとにらめっこしながら観光客丸出しで歩いています。 すみません、歩きスマホは本当は大嫌いです.... 駅の名前を新たに暗記 以前住んでいたベルリンでもはじめは苦労しました、ながーいドイツ語の駅名の暗記! 駅名のスペルと電車アナウンスに集中して目と耳で覚えるよう意識していまし
Suicaが落ちていたのでひろいあげ、ためつすがめつしてみたものの、だれのものなのか判然としない。ゆえにビルヂングの防災センターに届けに参ったのだが、そこでつい困り果ててしまった。 記入用紙に拾得物名を記載するところがある。どこをどう見てバナナやこけしやクランクシャフトには見えなかったので、実直素直に「スイカ」とかくぞ! と息巻いていたのだが、はたとその手がとまってしまった。 つまり、「スイカ」とは「Suica」なのだけど、上記「スイカ」と書けばそれはもう「西瓜」である。ここで「スイカ」と記載すれば、おれは落ちていた西瓜を拾ったことになってしまう。そんなの狂人か泥棒である。 冷静に考えてみよう。落ちている西瓜。それはきっとただのゴミ。食いカスの西瓜。みずみずしい赤い果肉はほとんど失われ、白い皮の部分にほんのり残っている程度である。そして緑と黒でしあがったダンダラ文様のストライプはきっと砂利
4月16日は、ぼくの誕生日です。 46歳になりました。 つまり、2018年4月16日は、ぼくの1年ぶり46度目の誕生日だったわけです。 寂しいオッサン 誕生日の朝。いつもと変わらぬウチの朝の風景。朝食をとってそれぞれの学校へ行く子供たち。 あれ?と思いつつ、今さらお誕生日おめでとうもねーやな、とも思いつつ仕事に行く準備をしていると、カミさんが仕事に出る前に「あーおめでとう」といってバタバタと出ていきました。 おお、覚えているのがひとりいましたよ、と少し安堵してぼくも家を出ました。 まぁ、家族にとってももう何回目だって話ですし、40も半ばも超えたオッサンに誕生日もへったくれもないのは当然なので、無反応も致し方なしなんでしょう。 ツイートするオッサン そのまま一日仕事をしていたわけですが、何となく誕生日に淡々と日常をこなしてるのがどうにもいたたまれないんです。 おかしいな、今までそんなことなか
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