小袋成彬 2025年5月28日 2025年、さいたま市長選挙に立候補した。結果は32836票、私は5人中4位だった。投票率は35.78%、私の得票率は8.5%だった。 まずは、選挙活動を支えてくれた友人や家族、そしてボランティアの人たち、本当にありがとう。このご恩は一生忘れないだろう。そして私に投票してくれた人たちにも、改めてお礼を言いたい。3万人以上の人たちが私のフルネームを書いてくれたその重みを、いま私が一番感じている。 この選挙で小袋成彬に投票した人たちは、私と一緒に新しいさいたま市の誕生を夢見ただろう。文化や芸術を愛し、分断よりも融和を重んじる人たちも、きっと多かったはずだ。しかし残念ながら、それはこの街に住む8.5%の人たちの考えに過ぎないようだ。実際には、たくさんの人たちが外国人犯罪に不安を感じていて、その3倍以上の人たちが現状維持を望んでいて、それよりもさらに多い人たちが投票
約6年半ぶりとなる新作アルバム『Gen』を完成させた星野源。コロナ禍での創作、海外アーティストとのコラボレーション、そして深まる孤独。そのすべてを語った。 - English followsJapanese - コロナ禍で音楽の作り方が変わった星野源は、ずっと音楽に向き合い続けてきた。自らのクリエイティブの方法論を一新し、制作に没頭してきた。前作からおよそ6年半ぶりとなる新作アルバム『Gen』は“音を鳴らす”ことの、みずみずしい喜びが純度高く詰め込まれたような一枚だ。「やっとできた、長かったなというのが、一番大きな感情でした」と、星野は完成した実感を語る。 「コロナ禍があったことで3年くらい遅れてしまった感じなんです。本来のペースだったら3年前にはアルバムが出ていた。でも、コロナ禍の時にそれまでと全然違う作曲の仕方をイチから勉強した。だから、これくらいの時間がかかったのかなと思います」
筆者は子供のころ、自分が通っていた学校にジョン・レノンが来たことを憶えている。だが、それは正確にはいつだったのか? 1970年代のこの出来事を記録する資料はほとんど残っておらず、筆者は独自に調査を進める。その日レノンに同行していたメイ・パンもこの件に興味を示し、それが彼女たちにとって重要な1日であったことが明らかとなる──。 ジョン・レノンがやってきた! 1970年代半ばのある朝、フレンズ・セミナリーの校内放送で厳かなアナウンスが流れた。「著名なジョン・レノンさんが礼拝堂にお見えになっています。走らず、歩いて移動してください」 私たちは走らなかった。でも、走りたくてたまらなかった。 ようやく礼拝堂に到着すると、私は2年生のクラスメイトと一緒に、バルコニーの固い木製の長椅子に腰を下ろした。 マンハッタンの東16丁目にあるキリスト教クエーカー系の学校であるフレンズ・セミナリーの礼拝堂は、186
3分でコップ酒を3杯ぐらいあおって、自己客観能力を麻痺させる必要がある ──今回の映像作品は、向井さんとしてもキャリア初となる日本武道館公演を収録したものです。まずは初めての日本武道館公演を終えられた印象から伺えたらと思います。 そうね。あの……これ、正直なところ、タイムラグはありますよね。ライブを終えてから3日後ぐらいやったら、いろんな感想が噴き出ると思うんですけどね。現状としては、どうだったかなっていうことを思い出してみないといけない状況ではありますね。ただ、昨日ですね、青山の月見ル君想フという会場で、試写会というのをやったんですね。そこでね、私もこの映像作品をチラ見しました。あくまでチラ見なんだけどもね、それで改めて日本武道館公演のことを振り返ったんです。 ──チラ見をしながら。 ええ。どうしてチラ見になるかというと、自分の歌っている姿を映像で観るというのは苦手で、自分から積極的に自
59歳になったいまも、ビョークのエネルギーが衰えることはない。2024年の秋にパリのポンピドゥー・センターで没入型のサウンド・インスタレーションの展示をし、11月には5年間に及んだ「コーニュコピア」ツアーを記録した書籍も刊行した。 そんな彼女が、「嫌い」だと断言する最初のアルバム『ビョーク』から「最悪」な結果を迎えたという映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』、そしていま注力しているテクノロジーと環境問題についてまで、幅広くフランス紙に語った。 ──あなたがここまでたどりつけたのは、どうしてだと思いますか? 14歳のとき、レイキャビクのとあるレコード店の扉を開けたからですね。その店は、ミュージシャンやアーティスト、作家、パフォーマーのたまり場で、私はそこのコミュニティに入れたのです。そこで私は最年少でしたが、ヒエラルキーはありませんでした。 店の床掃除、コンサートの運営の手伝い、ポスターの印刷
日本時間2月10日に開催された、第59回スーパーボウルのハーフタイムショー「AppleMusic Super Bowl LIX Halftime Show」にケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)が出演を果たした。この模様は現在AppleMusicや、NFLの公式YouTubeなどでアーカイブが公開となっている。 このパフォーマンスについて、ライター/翻訳家の池城美菜子さんに解説頂きました。 <関連記事> ・ケンドリック・ラマー特集一覧 ・ケンドリック・ラマーが今、単独でスーパーボウル・ハーフタイムショーに出演する意義 ・今から間に合うケンドリック・ラマー入門 黒人のアンクル・サム 「やぁ、私はサム、みんなのサムおじさんだよ。で、これが偉大なアメリカのゲームだ」 昨秋、南部のニューオーリンズでの開催ながら、西海岸代表のケンドリック・ラマーがヘッドライナーに決まり、物議をか
togetter.com 昨年末のNHK紅白歌合戦に特別枠で初出場して話題をさらった B'z を巡り、年明けに X などで議論になってるのを見かけた。 その関係で、速水健朗さんの元日のツイートが気になった。 ただ数年経って状況が変わる。気が付くと世の売れている音楽の大半がビーイング製作になっていた。浸透したというか、中毒化を引き起こした。この銀座じゅわいよくちゅーるマキ系のCMの存在抜きに、B'zが嫌われたり、国民的なバンドになったりという構造は語れない。— 速水健朗 Kenro Hayamiz (@gotanda6) January 1, 2025 このあたりの議論で、渋谷陽一の過去の評を思い出した人が結構いたようだ。 https://t.co/3O7mjMAPR5 今回の件でも、渋谷陽一の文章を掘り起こそうかな https://t.co/RtGs90jF4J— yomoyomo (@y
紅白見ました。 司会については、彼女のバラエティ出演時の振る舞い等を考えると「伊藤沙莉無双」もあり得るかと思ったのですが、進行を書いた人の評価がそこまでではなかったのか本人の意思か、それほど前に出てくることはなく、というか彼女の声は大変に好きなのですが、ああいう場で、しかも華やかで通る声の橋本環奈と並んでしまうと、それはちょっと大変だと思わざるを得ず。 来年もう一度、フリースタイルな場を増やして再チャレンジしていただきたいと思います。 あと、装置については物理的な装置がほぼなくなって液晶スクリーンに任せるようになってから随分経ちましたが、今年は「CG使うからって別にCGっぽくなくてもよくね?」的な境地に達したか、無理にCGっぽい表現を使わず、壁とか柱とか照明とかの物理的なところを模したテクスチャー表現がこれまで以上に多用されていると感じました。 何年前だったか、昭和のCGみたいな人形をスク
あけましておめでとうございます。 2024年の紅白歌合戦は本当に良かった。 毎年用意されるサプライズ出演の中でも特大ビッグヒットとなったB'zの出演も、米津玄師&伊藤沙莉の可愛いピースサインも、後期高齢者とか舐めたカテゴライズしてんじゃねぇとばかりに熱すぎるTHE ALFEEの最強3声ハーモニーも、 蒼い炎のような静けさと情熱を感じさせてくれたVaundyも、マイク位置オイィィィ凄すぎるぅぅぅと感動した玉置御大の声量と毛量とかどれもどれも最高に楽しませてもらった。多分今、道ゆく人にウルトラソウッ!?ってマイク向けたら全員ハァァァァイ!!すると思う。 でもやっぱり一番僕の心を動かしたのはそうです藤井風の『満ちてゆく』です。 誇張なく2024年一番聴いて、一番口ずさんだ楽曲で一年を締めくくる事ができた感動と、色々あった昨年を満ち満ちの満ち状態にしてくれた。 そんな藤井風がお茶の間に届けた渾身の
今年の紅白歌合戦B'z→藤井風→三山ひろし(けん玉)の流れがヤバすぎて、まだ2024年にいます。 今回の紅白は本当にヤバく、からだダンダン体操を完璧に踊るパパになった有吉弘行、パプリカ暴走ゴートNumber i平野紫耀、グルーヴ狂いVaundy、縦歌詞への異常なこだわりを見せる椎名林檎、異常舌&異常指Creepy Nuts、北海道民の最後の希望GLAY、序盤の志摩みたいな顔つきの星野源、人間離れした声量と毛量のアルパカ玉置浩二、もはや紅白の概念を超越した米津玄師、洗顔ネットみたいなドレスを纏った歌が上手すぎるMISIA、ペガサスみたいな珍妙ギターを弾き狂うTHE ALFEE高見沢俊彦、有吉がお辞儀するたび後ろでずっと見切れてるTHE ALFEE桜井賢…と、見どころだらけ。神回と言っても差し支えがありませんでした。 22時。ついに紅白の場に初登場したB'z。なにを隠そう、現・朝ドラ『おむすび
先日発表された「第75回NHK紅白歌合戦」の、星野源の歌唱楽曲についてご報告させていただきます。 楽曲「地獄でなぜ悪い」は星野源の曲です。 星野は2012年にくも膜下出血で倒れ、その闘病期に病院でこの楽曲の作詞をしました。詞の内容は、星野の個人的な経験・想いをもとに執筆されたものです。後述する映画のストーリーを音楽として表現したものではありません。星野源の中から生まれた、星野源の歌です。 一方で、すでにSNS等で指摘されているように、のちに性加害疑惑を報道された人物が監督した映画の主題歌であること、映画タイトルにある「地獄」というワードにヒントを得たこと、映画タイトルと同名の楽曲であることもまた事実です。この曲を紅白歌合戦の舞台で歌唱することが、二次加害にあたる可能性があるという一部の指摘について、私たちはその可能性を完全に否定することはできません。 今回の歌唱楽曲は「アーティストの闘病経
「アドベンチャー・・・冒険よ、これは。」 地元の有志が集う旧軽の食堂のママTさんに言われた一言。 ギタリストの半年間の入院でお世話になった 看護師さんや理学療法士さんにも、 「奥さんは物凄いことをやろうとしているんです、よ・・・」 と、言われましたっけ。 ・ ・ ・ マックス180日と医療制度で定められているという、 回復期リハビリテーション病院での日々は、 初夏から秋へと季節の移ろいに気づかぬほど 猛暑のままの首都圏で、 あっという間に過ぎました。 毎週一回、やっと予約を確保しての面会。 軽井沢から通うにはなかなか大変なロケーション。 この病院は東京の西のはずれ、 関越道の起点となるあたりの住宅街に位置しており、 コンパクトな建物にも関わらず、 医療と技術の提供がシステマティックに機能しているのが 面会のたびに感じられました。 優秀なスタッフのみなさま(総称してすみません・・・) ほんと
音楽ライターの松永良平が、さまざまなアーティストに“デビュー”をテーマに話を聞く連載「あの人に聞くデビューの話」。前回に引き続き、坂本慎太郎をゲストに迎えてお届けする。後編では、レーベル移籍~ゆらゆら帝国解散後のソロデビューを中心に語ってもらった。 ──ゆらゆら帝国のメジャーデビューによってお客さんがどんどん増えて会場が広くなっていくのは望んでいたところではあると思うんですけど、以前のインタビューで、ある時期から、あまりキャパが大きくなりすぎるのもなという思いも出てきたとおっしゃっていました。それはもう少し先の話でしたっけ? そうですね。例えばイベントでも、知り合いがいるようなやつはまだよかったんですけど、メジャー系のアーティストしかいないようなイベントに出るのはキツかったですね。雰囲気が違いすぎて。なので、なるべくそういうオファーは断ってました。でも、今と比べて90年代のイベントは、もう
音楽ライターの松永良平が、さまざまなアーティストに“デビュー”をテーマに話を聞く「あの人に聞くデビューの話」。この連載では多種多様なデビューの形と、それにまつわる物語をじっくりと掘り下げていく。第6回のゲストはZAZEN BOYSの向井秀徳。向井は1995年に地元・福岡にてロックバンドNUMBER GIRLを結成。インディーズでリリースしたアルバム「SCHOOL GIRL BYE BYE」(1997年)が話題を呼び、1999年に東芝EMI(現ユニバーサル ミュージック)よりメジャーデビューを果たした。前編となる今回は、NUMBER GIRL結成の経緯やD.I.Y,精神あふれるインディーズ時代の活動を中心に当時を振り返ってもらった。 取材・文 / 松永良平 撮影 / 沼田学 向井秀徳と同じ時代を共有できてよかったと心から思う。バンドでもソロでも、音楽に対する彼の誠実さと不敵さ、カッコよさとバ
ナタリー音楽 特集・インタビュー 米津玄師1万5000字インタビュー|4年間の旅の先 たどり着いた失くし物の在処 米津玄師「LOST CORNER」 PR 2024年8月21日 米津玄師が8月21日にアルバム「LOST CORNER」をリリースした。 「LOST CORNER」は2020年8月発表の前作「STRAY SHEEP」以来、4年ぶりに完成したオリジナルアルバム。NHK連続テレビ小説「虎に翼」の主題歌「さよーならまたいつか!」をはじめ、スタジオジブリの宮﨑駿監督作「君たちはどう生きるか」主題歌である「地球儀」、ゲーム「FINAL FANTASY XVI」テーマソングの「月を見ていた」、テレビアニメ「チェンソーマン」オープニングテーマの「KICK BACK」、映画「シン・ウルトラマン」の主題歌「M八七」など、この4年間で発表された数々のヒットソングはもちろん、今夏公開の映画「ラスト
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